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質問 いわゆるテロは兵法的にはどのように解されるのでしょうか。  2006.11.19

<質問>

 アメリカ同時多発テロ事件(9・11)を契機として、テロ行為が21世紀の主要な戦闘手段になるのでは…と注目されておりますが、この、いわゆるテロ的手段は、兵法的観点からすればどのように解すべきなのでしょうか。


<回答>

一、日本人は戦略的思考のできない民族である。

 テロの問題に関して言えば、つくづく日本人は戦略的思考のできない民族と歎ぜざるを得ません。これも偏(ひとえ)にそのようなものに関する勉強をキチンとしていないという証左であります。

 そもそも戦争と法律の関係が良く分かっておらず、何でもかんでも法律で解釈すれはことが済むと考えていること自体が噴飯物です。

 法律はあくまでも国家権力が安定した後、初めて機能するものです。法律が全てで戦争はそれに付随するものなどという馬鹿げたことはあり得ません。たとえば、今のイラクやアフガンが無法状態であるのはまさにその意味であります。

 さらに言えば、台風22号で家屋が流失したので台風22号を法律で罰して欲しい、はたまた悪性のガンに罹ったのでガンを法律で死刑にして貰いたいなどと訴えるがごとしであります。

 誰もバカバカしくてそんなことは言いもしません。しかし、日本人の場合、こと戦争の話しになるとこれに類する思考法を平然とするわけであります。戦争とテロ行為は、人間行動として一体のものであるということがどうにも理解できないようであります。

 たとえば、日本人の場合は、ともすれば弁護士を雇っている会社の社長より雇われている弁護士の方が偉いと本気で思っている人が多いようです。

 気概のある社長から見れば、弁護士など他人のケンカを引き受ける単なる闘犬であり、ケンカに弱ければ即座にクビをすげかえる程度のものに過ぎないにも関わらずです。

 それはなぜか、超難関とされる国家試験に合格したからという意味不明な学歴信仰にあるからです(国会議員の学歴詐称などはまさにそれを証するものであります)。

 要するに、彼の東条英機が陸軍大学を主席で卒業したことをもって、それで鬼畜米英との戦争に本気で勝てると思い込んでいるのと同じ事です。
 大東亜戦争の惨めな敗戦、戦後における教育の荒廃、リーダー不在、はたまた現在における日本社会の沈滞ムード・景気の低迷などまさにそのことに起因するものと断ぜざるを得ません。

 言い換えれば、学歴や職業に関わらず真のリーダーの資質とは何か、とりわけ明治以降の日本人が真剣に考えてこなかったいうことであります。

 近いところでは、鳴り物入りでプロ野球界に乗り込んできた法曹界の最高実力者たる○○コミッショナーが、先のプロ野球2リーグ制を廻る紛争の渦中にあってリーダーとして何をしたか思い出すだけで十分でしょう。

 コミッショナーたる者の当然の職責として、我が身を犠牲にして火中の栗を拾うどころか、ひたすら御身ご大切に、いの一番に敵前逃亡したごとしであります。

 これはエリートに有り勝ちな、いわゆるジコチュウの極端な例でありますが、要するに超難関な試験を突破したことと、リーダーの資質たる個人の全人格的な能力とは全く異質なものであるということです。

 言い換えれば、大人として真に必要とされる力は、受験勉強では身に付かないということであります。


二、戦争においては、弱者であれ強者であれテロは当然の手段。

 それはさておき、法律がどうあれ、戦争におけるテロ的手段は弱者に残された唯一の対抗手段であり、不利な立場に置かれた弱者が当然とるべき手段であることは論を待ちません。のみななず、これは弱者だけの専売特許ではありません。時と状況によっては強者もこれを用いるのが戦争の論理であります。

 彼の太平洋戦争においてアメリカ軍のB29による日本主要都市への無差別爆撃、はたまたヒロシマ、ナガサキへの原爆投下などはテロと言わずて何と言うのでしょうか。戦闘とは直接関係のない何十万人もの日本人の生命が失われたことは9.11事件の比ではありせん。

 日本人はもうあの悲惨な歴史的事実を「水に流し」忘却してしまったのでしょうか。その意味では、「テロに屈するな」の言は、まさにアメリカに殺戮され続けているアフガンやイラクの民衆のためのものと言わざるを得ません。

 要するに、戦争である以上、弱者であれ強者であれテロは当然の手段なのです。ゆえに、ブッシュ大統領や小泉首相が好んで口にする「テロに屈するな」の言は、あたかも呪術師が人をたぶらかすために使うは意味不明の呪文のごときものであり、知性ある人間はこのようなものに惑わされてはなりません。

 そもそも戦争をスポーツと同一視して考えることは極めて危険です。戦場をサッカー場のごとく考えて、そこで正規軍同士が戦い勝敗が決したからテロなどあるはずがない、もし起こしたらアンフェアーだなどと考えること自体がナンセンスなのです。

 彼の9.11事件も理由があって起きたわけであり、「テロに屈するな」と言う問題ではないのです。先に相手が殴ってきたので思わず殴り返したところ、そこの場面だけをフォーカスされ、その写真を証拠に「殴ったこいつが悪い、テロだ」と喧伝されているようなものです。

 あるいはまた、彼の赤穂浪士の討ち入りも紛れもないテロでありますが、その討ち入りの場面だけをフォーカスして喧伝し、彼らは極悪非道の輩というがごときものであります。でも誰もそんなことは信じません。そこに至る経緯や背景があることを知っているからであります。

 要するに「テロには屈するな」とは、戦争の本質を隠し言葉を都合よくすり替え自己の立場を擁護するために使われているに過ぎないのです。とは言え、戦争の当事国たるブッシュ大統領が言うのはまだ分かります。彼にすれば立場上当然そう言わざるを得ないからであります。

 問題なのは、戦争の当事国でもない日本の小泉首相がなぜ「テロに屈するな」と言わなければならないのかということです。まさに言語明瞭・意味不明瞭と言わざるを得ません。

 もとより理由のない、単に殺戮することだけを目的とするテロには断固反対であり、まさに「テロに屈してならない」のは理の当然です。


三、日本にとっての真のテロは北朝鮮の拉致行為である。

 その意味で言えば、日本にとっての真のテロは北朝鮮による一連の「拉致行為」であります。 日本の領土において平和に暮らしている国民を無残、極悪非道に拉致することまさしく憎むべきテロ行為以外の何物でもありません。

 小泉首相が日本人なら北朝鮮の拉致問題に対し、断固として「テロには屈するな」と叫ぶべきであります。しかしながら、そのような叫びはついぞ聞いたこともなく、拉致問題を自己保身のためのパーフォーマンスとして利用することはあっても、「テロに屈している」のが現実であります。まさに背信のリーダーとでも称すべき代物であります。

 かてて加えて、戦争の当事国でもない日本の首相が、戦争当事国たるアメリカのお先棒を担ぎ、弱者の戦争行為の有効な手段としてのテロ行為反対を叫ぶのはまさに「ポチ」としか言いようがありません。
 昨今、東京でのテロ行為が現実の問題として取りざたされているのも蓋(けだ)し当然のことであります。

 ともあれ、戦争に関するテロの問題は、まさに『奇正』<第五篇 勢>の問題ゆえに孫子はあらゆるところでこれを論じています。

 いずれにせよ、昨今、日本で横行しているテロ談義ほど的外れなものはなく、これを一々指摘するのも愚かなことですが、ご質問がありましたのだ敢えてお答えした次第です。

 まさに吾人が孫子を学ぶ所以(ゆえん)であります。


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