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質問 孫子兵法の真の価値とは何でしょうか。  2008.4.29

<質問>

 彼の武田信玄公と帷幄の将に見られるトップとスタッフが調和した組織管理運営は、戦国時代という時代的特殊性があるとしても、同じ日本人が行っているものとは思えない「抜け目の無さ」といったところが多々あります。つまり組織管理運営に虚が見られません。

 思うところなのですが、これは実は、武士の文化を基礎とした組織管理運営であったから可能であったと思います。そして、この成立を可能とさせていた原因、根底とは、実のところ、「勇」であり、「武道心」であったと思います。

 なぜなら、昭和以降の日本の組織のトップとスタッフには、これとはまったくの逆の非武士の文化たる町人文化なるものを基礎としている特徴が見られるからです。

 いわゆる官僚主義とか縦割り行政とか称されるものは、まさしく武士には非ざる発想(何かと責任からは逃避的で、孫子の曰う「必生は虜」という虚が観察される)が流れているものと考えます。

 つまりは、いわゆるムラ社会における村長的な発想の域を出ないものでありますが、自分達は、これを戦国大名の組織管理運営と同じような積りになってやっているという錯覚が笑えない可笑(おか)しさであります。

 組織管理運営の要諦とは、突き詰めるところ、武田信玄とその帷幄の将が実現していたような戦国武士の取る方法にあるのであって、一見、近代的で賢い響きのする言葉で飾られる町人の方法ではないと思うのです。

 要するに、非武士たる腑抜けたリーダーの支配する社会は不孝の極みと言えます。このように考えてもよろしいでしょうか。


<回答>

 このところ立て続けに様々な組織体の不祥事がマスコミを賑わしております。思いつくままに数え上げれば下記のごとしであります。


1、自社製品のガス瞬間湯沸かし器への「改造」が原因とされる一酸化炭素中毒による死亡事故が多発しながら何らの防止策も講じなかったパロマ工業。

2、大手菓子メーカーの不二家で、消費期限切れ原料の使用や賞味期限の不当な延長、必要な細菌検査の省略などをはじめ、蛾の幼虫入りのチョコなど異物混入製品の苦情が多数寄せられたり、三年半で実に485匹のネズミを捕獲した工場が明らかになるなどそのずさんな衛生管理体制が厳しく批判されている問題。

3、「納豆でやせる黄金法則」とうたったフジテレビ系の人気番組「発掘!あるある大事典U」で学者の発言を恣意的に創作し、架空のデータや無関係の写真を使っていた番組ねつ造問題。

4、平成14年、長野県塩尻市の河川敷で若い男女の遺体と燃えた車が見つかり、長野県警が無理心中との見方を崩していない段階で、民事裁判が「他殺」と断定する異例の展開となった事件。

5、平成14年、富山県警によって強姦事件で起訴された男性が、2年9ヶ月の刑期を終えた後、別の真犯人が逮捕され実は無実だったことが明らかになった問題。


一、上記の不祥事に共通していること(その一)

 官・民を問わず、いわゆる官僚型組織は(善きにつけ悪しきにつけ)組織体としての構造がしっかりとしているため、現場という末端で起きている(組織の存続に関わるような)問題が発生しても、その現実の何が正しく、何が間違っているかの情報が下意上達し得ないところにあります。

 もとより、ことの重要性を認識している現場の人間がその事実を上司に報告しても、(そのような組織体に限って肝心の上司たちは企業の存続にとって真に何が重要かという観点ではなく、自己保身や出世欲などという極めて人間的な色メガネでこれを判断するため)その情報が組織体の階層を経るうちに次第に変質・加工され事実とはかけ離れたものとなるというわけです。

 まさに御質問者さまがご指摘されるように『茶坊主というかイエスマンというか、組織と部下への責任遂行よりも、とにかく上役から気に入られたり、上役の不始末の後始末をすることで人間関係を構築して取り入って、給与とか退職金とか天下りとか、本格的なスタッフとは呼べないスタッフ、要するに「たかり」のような器量の小さい管理職」が蔓延していると言わざるを得ません。

 しかし、逆説的に言えば、そもそも彼らには罪はありません。最も罪深き元凶は、そのような無能な管理職を「愛いヤツ」として猫可愛がりし、お定まりの側近・取り巻きに据えて、御山の大将を気取って悦に入っている「頭の弱い」トップ自身であります。

 「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」と言いますが、そのようなバカなトップがいかに大人物を気取って見ても、結局、その側近・取り巻きの人物を見れば、たちどころに馬脚を現わさざるを得ないということであります。とは言え、このようなトップに限って「俺は有能だ」と思い込んでいますから、まさに「バカにつける薬はない」と歎ぜざるを得ません。


二、上記の不祥事に共通していること(その二)

 そもそも、兵法は「転ばぬ先の杖」と心得、ほんの少し、ほんの僅かの兵法的着眼を心掛けていれば、極めて微細な力で容易に危機を回避できたということです。

 問題発覚を契機としてその組織体が蒙(こうむ)る莫大な経済的損害、信用を回復するための膨大なエネルギーのロスを考えれば、両者を比べるも愚かなことであります。

 まさに「一文惜しみの百知らず」であり、孫子の曰う『爵禄百金を愛(おし)みて、敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり。勝ちの主に非ざるなり。』<第十三篇 用間>と言わざるを得ません。

 その当然の帰結として、『諸侯、その弊に乗じて起こり、智者有りと雖も、其の後を善くする能わず。』<第二篇 作戦>の仕儀に至るのであります。「諸侯」を広く、マスコミ・消費者・国民と解すればその意味するところは一目瞭然であります。

 これも偏(ひとえ)に、孫子兵法の何たるかを真に理解していなかったことに由来すると言っても過言ではありません。その意味で孫子は、組織とその構成員の死命を制する極めて重要な学問であると言わざるを得ません。


三、いわゆる官僚型組織はダメ組織の典型例である

 いずれにせよ、上記の1と2は創業者一族が血縁を中心に役員となっているいわゆる商店経営の超ワンマンな企業体質であり、3と4は言わずと知れた(どうにもならない税金無駄遣いのダメ組織たる)官僚組織の典型であります。

 とりわけ、後者の場合は、問題が発覚しても「当時の判断としては止むを得なかった」「故意または重過失ではない」「職務上の義務に反したわけではない」などという実に意味不明の常套語をもって釈明するのが常であります。

 明らかに職務上の義務に反し、故意または重過失があるから富山や鹿児島県のような冤罪事件が起るのであり、それすらも認めようとしない傲慢不遜、『不仁の至り』<第十三篇 用間>のごとき人間に税金など払う必要はないと断ぜざるを得ません。

 況(いわ)んや、これらの組織が裏金作りの常習者とあっては言語道断と言うべきであります。

 言い換えれば、「起きたことは仕方がない」ということでありますが、そもそも犯罪とは、ことが起きたから問題となるのであり、ことが起きなければ問題になりません。その法を執行する本家本元たる警察で、「起きたことは仕方がない」などと鉄面皮な言い訳が許されるならばまさに警察は要らないということになります。

 もとより「起きたことは仕方がない」は当たり前のことですが、問題は、それで済む場合と済まない場合があるということです。

 とりわけ法の番人たる警察においてはそのような破廉恥・無知無能な言動は許されないということです。而るにそのような低次元の言動が日常化している所を見れば、もはや警察組織は腐り切っていると断ぜざるを得ません。

 問題は、なぜ不適切な判断が起きたのか、その原因、責任の所在、信賞必罰を明確にすることであり、併せて現在の適切な判断に従い問題の速やかな解決を図ることであります。とりわけ前者の反省が不透明である以上、国民の警察組織に対する信頼は益々低下して行くばかりと言わざるを得ません。 


 ともあれ、現場の末端にいる人間が「これはおかしいですよ」と声を上げても、組織の重圧によって押し潰され、もみ消され、下手をすると(上司の意に逆らう者として)睨まれたり左遷されたりクビにされたりするのがオチということであります。

 このような組織にいては、いくら末端の人間が有能であっても、そのうち嫌気がさして声を揚げる気力も薄れ、「上が決めることだから」と無気力になり、前例にないことはやらないというわけで、可も無く不可も無く通常業務をこなすことをもって善しとする風潮が常態化するわけです。

 かくして、彼のアンデルセン童話のごとく、「裸の王様」の回りには誰も「王様、裸ですよ」と言ってくれる人がいない状態が完成するわけであり、組織としての崩壊、敗北の兆しもまたここにあるということになります。

 孫子はこのことを『夫れ、将は国の輔なり、輔、周なれば、則ち国必ず強く、輔、隙あれば、則ち国必ず弱し。』<第三篇 謀攻>と論じております。「将」を広い意味で組織の管理職と置き換えるとその意味は自ずから明白であります。

 肝心なことは、このような理想の組織体を醸成するためにはトップが『賢』で管理職が『能』<第三篇 謀攻>であることが必要です。言い換えれば、トップが「賢」ゆえに管理職も「能」となり、管理職の「有能」のゆえにトップもまた「賢人」に成らざるを得ないということであります。善きにつけ悪しきにつけ「類は友を呼ぶ」のであり、「珠に交われば赤くなる」のであります。


四、戦国時代であれ現代であれ組織発展の法則は不変である

 御質問者さま言われる「武田信玄とその帷幄の将との関係」は、まさに上記のごときものと解されます。

 かくありて初めて『上下、欲を同じゅうする者は勝つ。虞を以て不虞を待つ者は勝つ。将、能にして、君、君御せざる者は勝つ。』<第三篇 謀攻>の状態が生まれるということになります。

 これは戦国の世であれ、現代社会であれ人間の組織体に普遍的な原理であると考えます。

 一般的に言えば、要するに、ダメなリーダーのところにはダメな人材しか集まらないし、仮に有能な人がいたとして無能な上司に煙たがられ主流から外されるということであります。

 そのような船に運悪く乗り合わせた人は、それでも忠義を尽くしてその船と運命を共にするか、はたまた、家畜ならぬ社畜と化した我が身の不甲斐なさに耐え切れず、船が沈む前に敢然とドロップアウトするかのいずれかであります。

 ともあれ、日本人の本当におかしなところは、人間社会におけるリーダーの意義、その重要性を知らないことであり、知ろうともしないことであります。

 その何よりの証左として、第一に、国民生活の司命を制する国政選挙の投票率が低いこと、第二に、リーダー論の白眉たる孫子を読まないということが挙げられます。

 表面的な知識でいくら飾り立てても、物事の根幹を知る知恵がなければ「そうなる前にそうならないように手を打つ」芸当などできるわけがないのであります。

 もとより、自身が組織のリーダーになれということではなく、そもそもリーダーとは何かの基準・モノサシを知らなければ、リーダーたるべき人物の資質が適正であるか否かの判断がつかないということであります。その意味で現代日本人は、無免許で国民生活という名の日常の車を運転しているということであります。

 このような人々が、たとえば、政治家や役人による巨額な税金の無駄遣い、格差社会の拡大、年金や老後の生活の不安感、糸の切れた凧のような教育改革、顕在化しつつある地方公共団体の財政破綻問題という名の交通事故に遭遇するのは蓋(けだ)し当然のことと言わざるを得ません。

 その意味においても、彼の武田信玄は、組織の発展にとって何が正しく、何が間違っているかについて、色メガネを外して見ることを修練した賢人であり、信玄帷幄の将もまた、信玄のひそみに倣(なら)い、その有能さをもって人間を磨いたのであり、その結果として戦国最強の名を謳われたものと考えます。

 まさに、吾人が孫子を学ぶ所以(ゆえん)であります。


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