[戻る]
質問 孫子を学びたいのですが、中々、行動に移せません。  2008.5.20

<質問>

 自分も孫子を学びたいのですが、学びに腰を据えて取り組める環境になく、中途半端に齧りたくないというのが実情です。兵法を学ぶ前に現実生活で小競り合いが起きてしまっている、とでも言いいますか。ゆとりがないと学びに気が回りません。何とかしたいと思いますが。


<回答>

 弊サイトでは、クリック数は表示しておりませんが、一日60〜70件、月2000件前後の訪問者があり、累積数では8万2000件(平成20年5月現在)を数えております。

 この数字が多いか少ないかはさておき、この手の固い内容のサイトに定期的にそれなりの人が訪れるのは然るべき背景があってのことと考えます。

 角度を変えて見れば、この世に生を享け、自分なりに納得できる人生を送って行くための心の拠り所、言い換えれば、人生を生きる哲学あるいは人生観・死生観を切実に求めている人が多いのではないかと思います。

 かねてから、今の日本の教育、とりわけ学校教育には問題があると謂われております。

 しかし、日本の社会、技術、経済、国力の発展という角度から見れば、明治維新以来これまで培(つちか)ってきた日本の教育は必ずしも悪いものではなく、(国際貿易競争に勝つ方法としては)むしろ大いに役立ったと考えるのが適当です。

 その学校教育の特色を一口で言えば、スペシャリストを創る教育ではなく、組織従順の平均値教育ということです。

 要するに、組織として一致団結して仕事をする上では、(飛びぬけた人・独創的な人・異能の人よりも)決められたことを忠実に実行できる人、言い換えれば、全員がほぼ同じレベルの能力と考え方のレベルを持っている方が好都合だというわけです。

 しかし、もはや戦後60年、今、日本を取り巻く国際環境は大きく変わっております。かつては半人前であった日本も(明治維新以来百年培ったきた教育のお陰で)立派な一人前の人間になったわけであり、イラクへの自衛隊派遣に象徴されるが如く、いわゆる普通の国家として認知されつつあります。

 言わば、国際社会における一人前の大人としてその言動が注視されているのであり、いつまでも(アメリカの後にくっつき)半人前のつもりで甘えていれば良いという時代は終ったのです。

 このような激動と変革の時代に日本及び日本人はついて行けるのか、かつての(金太郎飴のごとき)教育方法で適切に対処できるのかと言えば、答えは否であり、むしろ随所に制度的な破綻をきたしつつあるのが現状です。


 逆に言えば、「日本人はいかに生きるべきか」の教育の方向が示されていないということです。これこそがバブル期以降、日本社会に漂う重苦しい閉塞感の原因であり、根源であると言わざるを得ません。


 とりわけ、入試のみを目指した教育方法の最大の欠陥は「自分の頭で考え行動することができない」という点にあります。

 言い換えれば、(社会現象など様々な事象に対して)適切な状況判断をし、自分の頭で考えるという勉強(訓練)を、大学生になるまで殆んどされてきていないということであります。

 つまりは「自分の頭で考えない」、逆に言えば「他人の頭で考える」習慣が抜け切れないまま(学校による人間教育の放棄という意味で)無責任に社会に放り出されているのが(一人前と見なされている)いわゆる社会人であると言わざるを得ません。

 今、日本に、精神的に子供のままの大人が蔓延している所以(ゆえん)であります。

 このような人々が今まさに直面しているのが組織や国家をあてにできない社会であり、個人が自立して生きるしかない自己責任の時代であります。不幸の上に不幸が重なるという意味では、まさに「泣きっ面を蜂が刺す」という表現がぴったりです。

 もとより、そのような事情はひとり個人のみならず、破綻寸前の赤字財政を抱え税収不足に悩む国や地方自治体、予想される消費税の値上げに怯えつつ多様化する一方の消費者ニーズをいかに掴むかで四苦八苦している企業も例外ではありません。

 このような変革と動乱の時代にあって、まさに学ぶべきものは孫子に代表される兵法的思考であると断言できます。


 兵法的思考の特色は、誰が主敵(あるいは仮想敵)であるかを常に想定し、それに応じていかなる戦略戦術が立てられねばならないかが要請されるところにあります。

 さらに言えば、その結果として必然的に(たとえば国家の場合)軍事と政治は不即不離の関係にあり、両者は連動して存在するものであることが自明の理として理解されるということになります。

 政治オンチ、軍事オンチの多い日本人がまさに今、学ぶべき学問であると断言する所以です。

 視点を変えて言えば、個人・組織の内面であれ外面であれ、さまざまな抗争・葛藤関係が展開されてゆくわけですが、それらを解読可能にするものは抗争・葛藤の原理としての戦略的視点であるということです。

 弊塾のオンライン通信教育講座「孫子に学ぶ脳力開発と情勢判断の方法」はこの孫子兵法の学習を通して「自分の頭で考え行動することができる人間づくり」を目指しております。

 とは言え、教育というものはすぐに成果の出るものではなく、長期(少なくとも十年以上)の歳月を必要とします。一口に十年と言っても過ぎてしまえばあっという間であります。


 要するに、(人間の性は易きに流れやすいものゆえに)ヤル気の無い人はいつまで経っても行動は起こさないものなのです。しかし、それもまた一つの生き方であり第三者がとやかく言う問題ではないのです。つまり「それはそれで善いこと」なのです。

 そもそも孫子の勉強は(いわゆる知識の勉強ではなく)そのような人間の弱さに対し、真摯に自己を見つめ、自己と対決し、進むべき方向を見定め、行動してゆくことにあります。

 言い換えれば、「人間はなぜ勉強しなければならないのか」「勉強の目的は何なのか」を問うものであります。

 失礼ながら御質問者さまは、そこを正確に理解されていないがゆえに『学びに腰を据えて取り組める環境』の条件を創れないのであり、『現実生活で小競り合いが起きてしまっている』現状を脱しきれないものと愚考いたします。要するに「堂々巡り」に終始しているのです。


 「条件」とは本来、作るものであって、振り回されるものではありません。若し、然(しか)りとすれば、(戦争は)戦う前にすでに敗れているということになります。

 そのゆえに孫子は『善く戦う者の勝つや、奇勝なく、智名なく、勇功もなし。』<第四篇 形>と曰うのであります。要するに平素の地道な努力の積み重ねが勝因であるゆえに、これに耐えることができるか否かを問うているのです。

 その資質がありこの地道な努力を積み重ねた者は(結果として)『勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め』<第四篇 形>の状態になるのであり、(彼のキリギリスのように)その資質がなく酔生夢死のごとく十年を遊び暮らしたものは(結果として)『敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む。』<第四篇 形>の仕儀と相成るのであります。

 要するに人に勝つためには楽をしていては勝てないということであります。ではどの程度努力すれば良いのか、孫子は別のところでそれを論じておりますがここでは割愛いたします。

 老婆心ながら御質問者さまには(明日を待たず)今すぐ勉強を始められることをお勧めいたします。これはご縁で申し上げているだけで他意はありません。


※【孫子正解】シリーズ第1回出版のご案内 

 このたび弊塾では、アマゾン書店より【孫子正解】シリーズ 第1回「孫子兵法の学び方」という書名で電子書籍を出版いたしました。

      http://amzn.to/13kpNqM


※お知らせ

 孫子塾では、孫子に興味と関心があり、孫子を体系的・本格的に、かつ気軽に学べる場を求めておられる方々のために、次の講座を用意しております。

◇孫子兵法通学講座
  http://sonshijyuku.jp/senryaku.html

◆孫子オンライン通信講座
  http://sonshi.jp/sub10.html
 
○メルマガ孫子塾通信(無料)購読のご案内
  http://heiho.sakura.ne.jp/easymailing/easymailing.cgi


※ご案内

 古伝空手・琉球古武術は、孫子兵法もしくは脳力開発をリアルかつコンパクトに学ぶために最適の方法です。日本古来の武術は年齢のいかんを問わず始めることができ、しかも生涯追及できる真なる優れものです。興味のある方は下記の弊サイトをご覧ください。

  http://kodenkarate.jp/annai.html