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質問 本当の意味での「頭の良さ」とは何なのでしょうか。  2008.5.22

<質問>

 昨今、世相を騒がせる様々な不祥事が頻発しております。彼らに共通しているのは、紆余曲折、波瀾万丈のない人生を送ってきた幼少からの秀才型が多く、ゆえに、一般的な人々よりは、学歴・経歴・教養に恵まれており、それなりのスタッフが周囲にもいると言うような有利な立場と条件にあります。

 しかし、その反面、いわゆる戦略的、危機管理的、または、脳力的、兵法的な思考が「その時に」全く欠落しているという点が指摘できると思います。そのゆえに、見ている側が恥ずかしくなるような不覚を取り、まさしく「生きざまがぶざま」なところを晒しているように思えます。どう見ても彼らの脳の使い方は、その表と裏が大きく懸け離れている、言わば虚偽表示的なものと言わざるを得ません。

 逆に言えば、人間としての本物の脳の使い方をしようとすれば、自ずから孫子兵法的、もしくは脳力開発的なものにならざるを得ないと思います。まさにこれこそが、トップの不祥事の発生を未然に防ぐものと考えますが、いかがでしょうか。


<回答>

 このテーマに付きましては、すでに当「孫子一問一答」:2006年10月26日の項で説明しておりますので、ここでは角度を変えて述べた見たいと思います。


1、脳力開発の観点から見た本当の意味での「頭の良さ」とは

 脳の作用とは、そもそも客観世界を正確に反映し、これに対してどう行動すれば自己保存という生物の基本的本能を守れるかという処置をすることにあります。

 このゆえに、外の世界に対して自分のアイディアで巧く適応してゆくことができる人は、「脳力が高い」のであり、真の意味での「頭の良さ」とはまさにそのようなことを言うものと解せられます。

 つまり脳力を発揮するということは、狭い意味で「頭がよくなる」という程度の小問題ではなく、心・胆力・決断力・統率力等々から「人間性」と言われるレベルまで含めた、まさに人間の総合的な実力を発揮できるか否かの大問題を問うものであります。

 この誰でもが本来は持っていながら、しかも十分に発揮されていない脳力をより簡単に楽しく開発していこう、そうすることによってもっと素晴らしい人間が生まれ、そのことが延いては明るく楽しい世の中を出現させることになる、これが「脳力開発」のねらいであります。


2、孫子兵法の観点から見た真の意味での「頭の良さ」とは

 兵法の本質は学校で教える知識教育のごとくすでに過去のものとなった事象に対する学問的研究や考察ではなく、あくまでも将来、即ち「将に来たらん」とする未知の事象に如何に対処するかという言わば現状変革の思想であります。

 逆に言えば、学校で教える知識教育の場合、過去の事象に対する研究の集大成としての(答えの記された)立派な教科書があり、それを理解して適切に表現できればその学問研究の成果としては満点であります。

 が、しかし、学校で教える答えがそのまま通じるような問題は(未知の事象たる)実社会においては極めて少ないと言わざるを得ません。つまり、客観的知識は、個々人の生存とは切り離された言わば三人称の知であるがゆえに、個々人の実存を踏まえての言わば一人称の知たる「戦いの論理:生きる知恵」とは、必ずしも直結しないということであります。

 言い換えれば、「将に来たらん」とする事象には、学校で教える知識教育のように答えの記された教科書などそもそも存在しないのであり、問題の答えは自分の頭で考えるしかしかやりようがないのであります。

 このゆえに、我々が真に学ぶべきものは、未知の事象たる実社会の場で解決すべき問題に際会した時、その事実の中で思索し自分で適切な答えを導き出すことのできる人間の総合的実力たる脳力の在り方と、それを開発するための方法論ということになります。

 古来、人間社会において真の智恵、あるいは真の意味での「頭の良さ」とはまさにこのことを謂うのであり、我々が兵法、即ち孫子を学ぶ所以(ゆえん)であります。

 角度を変えて言えば、次のように言うこともできます。


3、真の「頭の良さ」を磨く研究の主体は、ただ個々人の頭脳のみである。

 もとより兵法にも経験則としての一般原則もしくは兵学原理はあります。しかし、常に一回限りで繰り返さず、かつ千変万化を本質とする未知の事象に対しては、まさに臨機応変・状況即応を旨とせざるを得ないのであり、その意味で、勝利のための固定した原理・絶対的な原則はなどはない、あるのは利用すべき状況だけということになります。

 つまり兵法とは、存在するもの(状況や現象を含む)自体の本質や構造の解明を目的とするのではなく、その機能を探ってその応用の方法を探ることにあると言えます。

 逆に言えば、将たる者は、須(すべか)らく現象から用途を引き出す能力(例えば、塵高くして鋭き者は、車の来るなり)を具えていなければならないのでありますが、肝心の正念場において適切な決断が下せるか否かは、つまるところその事実の中で思索し自分で適切な答えを導き出す(精神力の問題を含め)将たる者の個人的資質の問題に帰一することになります。

 彼のナポレオンが「文法に熟達したからといって、優れた詩は作れぬ」と戒めている所以(ゆえん)であります。

 その意味で、兵法上の根本問題はまさに人間精神の根本問題を通じて考えることができるということが言えます。孫子が二千年以上も読み継がれている所以(ゆえん)はまさにこの点にある、と言っても過言ではありません。


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