第一回 孫子ホームページ講座(平成11年4月27日)
孫子兵法から見たスパイ船大追跡劇
〜平和ボケ日本の情けない政府・現場のリーダーたち〜
孫子塾副塾長・元ラジオ日本報道記者
佐野寿龍
本年(1999)3月23日、能登半島沖の日本海で展開された北朝鮮スパイ工作船二隻に対する大追跡は、はじめて自衛隊法の「海上警備行動」が発令され、艦艇十三隻(護衛艦4、巡視船9)・航空機八機(対潜潤v戒機6他)を動員し大掛りな捕り物となったにもかかわらずこれを取り逃がしてしまい、はからずも、戦後五十年平和ボケ日本の情けない実態を浮き彫りにする格好となった。
今回はこの事件を取り上げ、臭い物には蓋をする式のことなかれ主義・いきあたりばったりで中途半端な問題解決手法・そして「弱きに強く、強きに弱い」精神構早u、さらには、「票にも金にも結びつかないことはやらない」似非リーダーが横行する不思議な国日本の体質を検証したい。
一、この事件の背景に在るもの
戦後、全国の警察が摘発した北朝鮮のスパイ事件は40件を超えると言う。昭和56年(1981)6月、宮崎県日向市の金ヶ浜海岸で、地元の人が不審な男を見て宮崎県警に通報、駆け付けた警察官が逮捕した男は北朝鮮の工作員だった。
とりわけ、能登半島沖の海域は10年以上前から北朝鮮のものと思われるスパイ工作船が日本の漁船に混じってしばしば出没している。地元の人の話によると、周辺の海岸で北朝鮮の工作員と思われる男に追い回された経験を持つ人は意外に多いと言う。
このような背景のもと、あの相次ぐ日本人拉致事件が生まれるべくして生まれたのである。これに対する日本政府の対応は、当初から極めて冷淡かつ無関心であり、長い間その存在すら認めようとはしなかった。日本は法治国家(放置国家ではない)だから、そう断定する「証拠が無い」と言うのがその理由である。
日本国民として国家に税金を納め、その生命・財産と基本的人権が保障されているはずの拉致事件の行方不明者およびその家族はいったい誰を頼れば良いのだろうか。ことは国家と国家の問題である。日本の主権に関わる問題である。
一個人が日常茶飯事に起こる偶発的なトラブルに巻き込まれた事件ではない。何の罪も無い日本国民が、一方的かつ不法に相手国家(北朝鮮)によって拉致されたのである。
被拉致者本人とその家族の心情を思い、ひるがえって我が日本政府の対応を見るにつけ、「日本は本当に情けない国だ」との思いを禁じえないのである。政府はいったいどちらの味方か、中吹uの悪代官のごとき「弱きを挫き、強きを助く」とは正にこのことであると言いたくもなる。
「票と金に結びつかない」から真剣に考えようとしない似非リーダーの支配するこの国が、町人国家と呼ばれ法治国家ならぬ放置国家と呼ばれる所以(ゆえん)である。
それでも近年、拉致事件に関する動かぬ証拠を次々とつきつけられたため、「法治国家(放置国家ではない)」を自称する政府も、ようやくその重い腰を上げ、北朝鮮による拉致疑惑は「7件10人」にのぼることを明らかにした。
とはいえ、何ら有効な手立てを打てないという情けない現状に変わりがあるわけではなく、(テポドン発射の事件を含め)なめられ切った国民のイライラは募るばかりであった。
二、政府・現場リーダーの現状認識の甘さ
このような状況下において発生したのが、前記「能登半島沖の北朝鮮スパイ工作船事件」である。積年の恨みを晴らすのは、まさにこの時であるから、拉致事件の家族ならずとも捕まえて欲しいのは当然の国民感情である。
また、国際法では、領海内で違法行為をしたとみられる船に対し停船命令を出し、相手が公海に逃げ出せば、「継続追跡」することが認められており、停船させるために砲弾を命中させても問題とされない。
いわんや、今回のように日本漁船をよそおう船は一応日本船とみなされるゆえに、あくまでも国内問題としてあらゆる手段で捕獲につとめるべきであった。仮に撃沈しても外国から非難されることは無い。北朝鮮がこれに対して文句を言えば自ら違法行為を自供するに等しいからである。現に北朝鮮が、スパイ工作船二隻に対し「捕まるなら自爆せよ」と命じているのは蓋(けだ)し当然のことである。
仮に我々が税金を滞納したらどうなるのか。国家はありとあらゆる手段を使い、これを督早vし情け容赦無くこれを取り立てるであろう。それが法治国家というものである。
そのゆえにこそ、スパイ工作船二隻に対しても日本国民と同様の処置を取れと言いたいのである。それとも相手がこわもての北朝鮮ゆえに遠慮したとでも言うのだろうか。
要は不審船二隻を取り逃がしてしまったこと自体に問題があるのであり、これでは法治国家の名に値しない(放置国家と呼ぶべきである)。政府は国民にどう顔向けするのか、その責任の弁すら端(はな)から聞こえてこない。「弱きを挫き、強きを助く」とは正にこのことである。
もっとも、すっかり平和ボケした海上保安庁・海上自衛隊・政府に対し、片や、命を懸け死に物狂いでかかってくる(孫子<第十一篇 九地>に曰う死地作戦 )スパイ工作船を捕まえろということ自体、愚かなことなのかもしれない。やはり我々選挙民一人一人がまずしっかりとこの日本の現状を認識し、これを変えるための意識を明確に持つことが重要であろう。
ともあれ、兵書でありながら、その理論は即、現代に通ずると言う"最古にして最新の稀有な書物"「孫子兵法」の観点よりこの問題を整理すると次のようになる。
三、レクチュア孫子兵法
1、スポーツ・賭博と「実戦」は違う
今回の事件に限っていえば、「実戦」を事とするはずの海上自衛隊・海上保安庁・政府は、「実戦」とスポーツ ・賭博を全く混同している節がある。これも戦後半吹u紀、平和ボケした日本のなせるわざなのか。
「孫子」の背景に流れる根本思想は、実戦はスポーツでもなければ賭博でもない、この区別を明確にすることが重要であるとする。「史記」孫子伝に見える「呉宮斬美人」あるいは「孫子勒姫兵」の有名なエピソードは、正にこのことを物語るものである。
即ち、スポーツ・賭博では負けても死なないが、実戦の敗北は即、死に繋がるというのである。 またスポーツ・賭博は観客を動員し興行成績を上げるために、その内容を「面白く、おかしく、スリリング」なものにしなければならないが、「実戦」では、当然の事ながら"目立つこと""拍手喝さいを浴びること"など論外であり、「いかに速く、安全に、無駄なく」勝利を得るかである。
『故に、兵は拙速を聞くも、磨uだ巧(たくみ)の久しきを睹(み)ざるなり。夫れ、兵久しくして国の利なる者は、磨uだ之有(あ)らざるなり』<第二篇作戦>はこのことをいうのである。
この両者は、もとより似て非なるものであるが、近年、スポーツの勝敗のごときものをもって即実戦(企業経営も同じ)と考える傾向にある。
もとより一方は、商売・見吹u物であり、他方は、国民(社員)の生命と財産・生活の保障がかかっているのであるから、この両者は厳に区別すべきである。プロ野球のオープン戦と開幕戦の比較の如き発想をもってこの両者を判断することは極めて危険である。
足元を見ようともしない、浮かれた経営の結末がどうなるのかバブル崩壊後の実情を見るまでもない。
『兵は国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり』<第一篇計>とは正にこのことを言うのである。
見方を変えれば、『亡国は以って復(ま)た存す可からず、死者は以って復た生く可からず』<第十二篇 火攻>な のである。
このゆえにこそ実戦は、必然的に周到緻密な計画と徹底した訓練・準備態勢が必要とされるのである。
このような観点よりすれば、今回のわが国の対応がいかにお粗末であったかはおのずから明らかとなるであろう。
(T)米軍情報にもとづき海上自衛隊機が佐渡島沖の領海内でスパイ工作船を発見、直ちに護衛艦「はるな」が現場海域に急行したのが23日の「6時42分」。ところが海上保安庁が海上自衛隊からこの情報を入手したのが最初の発見時から遅れること4時間余り後の「11時」であった。
ちなみに、米軍からのこうした情報は自動的に外務省、防衛庁、内閣情報調査室、警察庁に通報されるシステムになっている。
なにゆえに遅れたのか、その理由はさだかではないが、ともあれ戦う一つの組織体にとってこれは致命的な欠陥である。孫子は曰う、『衆を治むること、寡を治むるが如くなるは、分数(編成・編組)、是なり。衆を戦わしむること、寡を戦わしむるが如くなるは、形名(通信・連絡)、是なり』<第五篇勢>と。
戦う組織の理想形たる『常山の蛇』<第十一篇九地>にはおよそ縁遠いお粗末さである。
(U)護衛艦・巡視船のスピード不足
☆ 北朝鮮スパイ工作船の最高速度は35ノット(時速65キロ)
★ これを追跡したミサイル護衛艦は30ノット(時速56キロ)
★ 海上保安庁の巡視艇にいたっては15ノット(28キロ)
これでは追いつけるはずがない。『彼を知り己を知らば、百戦殆(あや)うからず』<第三篇謀攻>を実践した北朝鮮を誉めるべきであろう。
(V)巡視艇の燃料不足による追跡の断念
予備の燃料を搭載していなかったとのことであるが、何をか言わんやである。
(W)「海上警備行動」に伴う必需品である防弾チョッキが装備されていなかった
実戦は生きるか死ぬかである。試合に負けても命が保証されているスポーツとは本質的に異なるのである。人命をなんと心得ているのか。正に気の緩みの極みと言うほかに言葉がない。
2、初めから"戦う"あるいは"捕まえる"意志など無かった。
戦いの本質は意志と意志との戦いである。ここでは、北朝鮮スパイ工作船の「逃げる」意志と、日本政府の「捕まえる」意志をいう。
「自決を覚悟」して潜入してきたスパイ工作船のその意志は既に折り紙つきであるが、問題は後者の意志の有無であろう。
ここで意志とは、もとより希望的願望の意志ではなく、真性の意志をいうものであるが、その判断基準・ものさしは、王陽明の曰う「知りて行なわざるは、只だ是れ磨uだ知らざるなり」にあると言える。
『之を知るものは勝ち、知らざるものは勝たず』〈第一篇計〉の「知る」とはまさにこの事を言う。
この意味において日本の政府・現場の意志を検証すると、次の理由からスパイ船を初めから捕まえる意志は無かったといわざるを得ないのである。
(T)歴史的事実
この海域でのスパイ工作船の歴史は、前記拉致事件にも関係してすでに10年以上も前から普通におきていることであるから、長らくそれを放置していてなぜ今回に限って突然?の疑問が残る。
(U)同様の出来事が1985年宮崎県沖であった。日本の漁船を装ったスパイ工作船が見つかり、巡視船23隻が約千キロ追跡したが逃げられたというものであるが、今回の措置にその時の「学習」効果が少しも生かされていない。それぞれ勝手に大海原を舞台に血税を浪費しながら暇つぶし(スポーツ・娯楽)の追いかけごっこをやっているとしか思えない。
(V)今回は、海上自衛隊の護衛艦も追跡し、警告射撃や爆弾投下を行なったが、防衛庁長官から“やはり”と言うべきか御丁寧にも『当たらないようにしろ』という命令が出されていたという。「問うに落ちず語るに落ちる」とはこのことである。
(W)防空識別圏を理由に追跡を中止
防空識別圏は、航空自衛隊が領空につづく公海上空に勝手に引いた線であり、その線よりこちらに来る航空機をレーダーで監視するための目安にすぎない。もとより北朝鮮の領海とは全く関係がなく、ここで引き返さなければならない法的根拠など何もない。
北朝鮮のミグ戦闘機が出動したとの情報もあるが、もしそれで引き返したのであれば、泥棒を追いかけていたおまわりさんが、相手が武器を持って立ち向かってきたため怖くなって逮捕をあきらめその罪を免除したのと同じである。小松基地にF-15戦闘機がいなかったとは言わせない。 法的に何ら問題のない海上警備行動を支援し、ミグ戦闘機を追い払うのが国家防衛組織の一員たる航空自衛隊の当然の任務であろう。
今回の政府の措置は、当吹u日本人リーダーのいびつな精神構早uとそれに起因する臆病振りを満天下に公表した一大奇観といえる。
法治国家ではなく無責任極まりない「放置国家」の名に恥じない行為であり、まじめに働いて高額な税金を剥ぎ取られている善良な日本国民に対する裏切り行為である。
極めて当たり前のことではあるが、「職務上正しいことは断固としてやる」の毅然とした態度がリーダーには不可欠である。
孫子は 『将とは、智・信・仁・勇・厳』<第一篇計>という。「智・信・仁」はともかく、せめて「勇・厳」は発揮すべきであった。この体たらくでは政府にも現場にもリーダー不在と言わざるを得ない。いわんや孫子の曰う実戦におけるリーダー像、すなわち『進みては名を求めず、退きては罪を避けず』<第十篇地形>など望むべくも ない。
それに引き換え北朝鮮スパイ工作船の戦い振りは実に見事であった。死を覚悟でその任務を遂行しようとする崇高な精神(時代と民族を超えて、普遍的に相通ずる人間としての根源的感情)は、永らく日本人が忘れていたものであり、国を愛するその心は素直に認めざるを得ず、「ただ己一個の保身に汲々とし」、「金にも、票にも結びつかないことはやらない」平和ボケした政府や現場のリーダーとは比べるべくもない。
このゆえにこそ、孫子の曰う勝敗を決する二要素たる『五事・七計』<第一篇計>の比較は、全てスパイ船側に軍配が挙がる。とりわけ 『将、いずれか能なるや。法令、いずれか得たるや。兵衆、いずれか強きや。士卒、いずれか練れたるや。賞罰、いずれか明かなるや』を見ればその差は一目瞭然である。孫子はこのことを 『吾れ、これを以って勝負を知る』と言うのである。
3、政府も現場も実戦における戦いのやり方を知らない。
孫子の曰う実戦のありようとは、素早く情報をキャッチして隠密裏に行動し、スパイ工作船が逃げ出そうと気が付いたときには、既にこれををすっかり包囲している状態を言うのである。
スバイ船発見時から、その第一報を海上保安庁が入手するまでの、空白の4時間があればそれは十分可能であった。
逆にいえぱ、仮にこの大追跡劇が成功し、首尾よく(因みにこの言は<第十一篇九地>から出ている)これを捕獲して、国民の拍手喝さいを浴びたとしても、そのような勝ち方は下の下だと孫子は曰うのである。
すなわち、『戦い勝ちて、天下善しと曰うは、善の善なる者に非るなり』<第四篇形>と。
4、政府・現場のリーダーはあまりにも「兵法」に無知である。
スパイ船は、初めは時速22キロぐらいの速度で油断させておき、頃合いを見て突然時速40〜50キロに加速、約1.5メートルの波をものともせず最後は時速65キロで疾走したという。
孫子はこれを 『始めは処女の如し、敵人、戸を開くや(相手が油断するの意)、後は脱兎の如し、敵拒ぐに及ばず』<第十一篇九地>と曰う。
川崎運輸相は記者会見で「スパイ船はしたたかであり、その能力を初めから隠していた」と恥ずかしげもなく説明していたが、聞くに耐えない言である。
スポーツでは正々堂々(ちなみに、この言も孫子<第七篇軍争>に由来する)が美徳であるが、実戦では相手を騙すことを以って美徳とするのである。言わずもがなのことである。
『兵とは、詭道なり。故に、能にして之に不能を示し』<第一篇計>とは、まさにこのことを曰う。 つまり、 実戦は、理由はどうあれ絶対に油断するなと言うことであるが、このゆえに上記の発言は、政府・現場のリーダーがみずから「気の緩み・たるみ・油断」があったことを認めているに等しいのである。
これが「票にも金にも結びつかない」ことは考えようともしない町人国家日本のリーダーの実像である。
5、この事件で日本は何を得、何を失ったのか。
記者会見した野呂田防衛庁長官は、「今回の措置は十分な抑止効果を上げた」と自画自賛しているが、これは大きな間違いである。「抑止」とは、普通の日本語では「そうさせないように押さえること」である。
そもそもこの抑止力がないゆえに、現に北朝鮮のスパイ船が10年以上前から頻繁かつ日常的に領海を侵犯していたのである。加うるに今回の大失態はこの北朝鮮スパイ船に対して「日本の領域を侵犯しても決して捕獲・撃沈されない」という保証を与えたに等しい。つまりは、日本の手の内を曝け出しただけの事であり、「抑止力」とはおよそ縁遠い話である。
この意味で、北朝鮮に限らず日本と領土を接している周辺諸国(竹島・尖閣諸島問題)に与えた影響は計り知れない。すなわち「日本は怖がって実力行使を避けるから、それに乗じて先に既成事実を作るに限る」と。孫子の曰う『諸侯の謀(はかりごと)を知る』<第十一篇九地>とはまさにこの事を言うのである。
つまり今回の措置は、「骨折り損の草臥れ儲け」ばかりでなく「藪をつついて蛇(災いの意)を出す」結果とも成りかねないのである。孫子はこのことを『夫れ、戦いて勝ち攻めて取るも、その功(政治目的)を修めざる者は凶なり。之を命づけて費留(税金の無駄遣い)と曰う』<第十二篇火攻>と。それでは今回はこの辺で。
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