孫子兵法

孫子兵法

第二回 孫子ホームページ講座(平成11年6月29日)

「孫子兵法から見た戦争論」
   〜ここがヘンだよ、日本人の戦争と平和論〜

孫子塾副塾長・元ラジオ日本報道記者
佐野寿龍

 

一、これまでの安保政策

 日本は、1951年(昭和26年)9月、サンフランシスコにおける対日講和条約の調印によって独立を回復したが、この条約と同時に結ばれたのが日米安全保障条約(いわゆる旧安保条約)である。
 この条約は、極東地域の平和維持と日本の防衛のためアメリカが日本に駐留することを規定していたが、その片務性が問題とされたため1960年1月に改定され(いわゆる新安保条約)、日本への武力攻撃に対する防衛義務を日米両国の双務的なものとするなどが導入された。

 ともあれ、旧安保条約の締結以来、ほぼ半吹u紀の時が刻まれて来たわけであるが、この間、日本は軍事・外交的には何のビジョンも持たず、ただアメリカのマネをする対米追随で事足りていたのであった。
 言わば、アメリカという親の保護のもと、何の心配も無く安穏にぬくぬくと暮らしていた子供が日本なのであり、その生活に慣れた子供は、独立して自分のビジョンを持ち、自分で自分の国を守ることなど怖くて考えようともしなかったのである。
 逆にいえば、戦後体制の象徴ともいえる日米安保条約と憲法九条を巡る問題に発する、いわゆる安保論議に対し日本は常に曖昧(あいまい)な態度を取り続けていたと言うことなのである。

 

二、ガイドライン法の成立

 ところが、本年(1999)5月24日、この日本の安全保障を巡る大きなターニングポイントとでも言うべき、いわゆる「ガイドライン」法が国会で成立したのである。
 これにより日米安保体制は「日本が他国から直接攻撃を受けた場合」の備えから、国外(アジア太平洋地域)で起きる、いわゆる「周辺事態」への共同対処に力点を移す新たな段階に入ったのである。

 つまり、これまでは『(基地は提供するが)日本防衛以外の米軍出動には協力できません』というものであったが、これからは、政府が「周辺事態」と認めれば『(拱手傍観することなく)自衛隊による「後方地域支援」「捜索・救助活動」をはじめ、官民あげて米軍にできる限り協力しましょう』という事になったのである。

 言い換えれば、旧ガイドラインでは抜け落ちていた「グレーゾーン」に日本が取り組むことを意味しているものであり、新ガイドラインが安保条約の改定に等しいといわれるゆえんなのである。

 とは言え、吹u界に冠たる“戦争放棄”の憲法を持ち、外国の紛争に軍事介入しないことを国是としてきた日本にとって、(ガイドライン法成立がアメリカの圧力への対応であるとしても)これはきわどい選択であった。
 「安保条約を充実させ、日本なりの責任を果たすもの」との評価がある一方で、「近づく戦争への道」と、不安の声が上がるのも宜(むべ)なるかなである。

三、ここがヘンだよ、日本人の戦争と平和論

 もとより野党側は、「自衛隊による後方地域支援は武力行使そのものであり、憲法九条に違反する」と追及するものであったが、、結局は政府・与党の言う「武力行使と一体化しない。日米安保条約の枠内の活動である」との議論が容認された形となり、多数決で可決されたのである。
 何の事は無い、(ことここに到っても)安保論議を巡るこれまでの曖昧(あいまい)なあり方が単に繰り返されたに過ぎないのである。

 『赤信号、みんなで渡れば怖くない』とばかりに、曖昧(あいまい)なものを曖昧なままにとりあえず先送りし(臭い物には蓋をする)、もしなにか不具合が起きればその時は皆で必死に頑秩vって何とかしよう、というのが日本民族のやり方・特性のようである。

 それはそれとして大変な美徳・特技ではあるが、やはり吹uの中には曖昧にしていいものと、曖昧にしてはいけないものとを厳然と区別しておく必要があるものがある。
 孫子は曰う『智者の慮は、必ず利害を雑う』<第八篇九変>と。つまり、いくら美徳・特技だからと言って「馬鹿の一つ覚え」のごとく何に対してもそのやり方一本槍では必ず弊害を招く、と。

 日本人の場合は、曖昧にしてはいけないものを曖昧にし、曖昧にしてもいいものを白日(はくじつ)のもとに曝け出すという奇妙な性癖があり、これは一つの民族的欠陥といえる。

 それはさておき、国民として曖昧なままにしておいてはいけないものの最たるものが『戦争』である。

 このゆえに、孫子は、『兵は国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり』<第1篇計>と曰うのである (戦争は国家の一大事である。なぜならば、それは国民の死生と国家の存亡とに関係するからである。まじめにひたむきに考察しなければならない、の意)。
 これについて日本人は、かっての日中戦争・太平洋戦争でいやと言うほど苦汁を呑まされているものであり、その惨禍・ツケの大きさは言われずとも骨身に沁みて知っているはずではあるが。

 安保条約の大きな政策転換を意味する「ガイドライン」法は、日本を取り巻く周辺情勢の変化の如何によっては国民生活に重大な影響を及ぼすものである。
 然り乍ら、国会やマスコミにおける論争は安保論議を巡るこれまでのあり方を踏襲するものであって旧態依然の観は否めず、国民的議論の盛り上がりはもとより国民的コンセンサスなど望むべくも無い低調なものであった。

 国民の視点では審議不十分に思えるのに、只、党利党略としか思えない「自自公」の枠組みが先行し、衆参両院において多数決で可決される!!
 この状況は一体なんであろうか? 曖昧がなるが故に、このような国政に対する不信感・大いなる疑問は募るばかりである。

 私利私欲・党利党略にのみ奔走する選良(選出された立派な人の意で代議士の異称。もっともこれは理想像を述べたもので、現実は異なる)達への不信、その選良を見抜く力の無い我々選挙民の無力さ、砂を噛むような思いである。
「戦後五十年、大きな歴史的変化の胎動が起こり、国民の意識はいちはやく戦後を脱し始めた」との見方もあるが、そんな高尚な学問的なものではない。

 単に「長い物には巻かれろ・大きさには呑まれよ」「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と問題の先送りをし、結局、同じことを何度も繰り返す懲りない面々たる日本人の民族的欠陥の噴出に過ぎないのである。

 とは言え、これは飽く迄も日本人の優秀さを物語る裏返しであることを銘記する必要がある。
 つまり日本人は、中・長期的あるいは全体を見ることは得意ではないが、眼前にある情勢の変化には極めて融通的・弾力的に対処できるのである。
 そして、若しそれで上手くいかなければその時こそ全国民が一致団結して事に当たり、必死に頑秩vり何とかしよう、否、何とかするという自信なのである。

 このゆえに、日本人の長所たる前者の叡智が、近年における朝鮮半島をはじめとする日本を取り巻く周辺情勢の変化を敏感に感じ取り、その結果としての「ガイドライン」法の選択であったとも解せられるのである。

 然らば、日本人の短所たる「中・長期的展望の欠如」「何とかなるさ、の出たとこ勝負的な危うさ」「日本人は計画性が無い」についてはどうなのか。

 これも一つの叡智ではあろうが、論ずるまでも無くこの考え方はこと「戦争」に関しては極めて危険にして且つ馴染まない考え方であると言うべきである。
 「戦争」に関しては、まずその根底に正鵠を射た理念・哲学・戦略が据わり、然る後に「融通的・弾力的」対処としての戦術がくるべきであろう。

 この意味においては、日本人の「戦争」に関する考え方は吹u界の常識からは全く逆立ちしたものと言え、譬え話に「精鋭無比なる旧日本軍の兵・下士官を、状況判断に卓越する旧ドイツ軍の将校が指揮し、これを統率するに識見が高く発想の柔軟な米軍の将軍を以ってすれば吹u界最強の軍隊ができあがる」と言われる所以である。
 日本人のこの喜劇的な、それ故に悲劇的な民族的性癖はひとり「戦争」に限らず、今日の日本が抱える諸問題の根本原因を為すものでもある。

 往往にして「日本人はどうも考えがハッキリしない」と外国から指摘をうける。堰u米流の論理的思考に対し、日本社会には伝統的に論理(理詰め)・理屈を嫌う、言わば感情論的思考とでも言うべきものがその底流にあるからに他ならない。
 前者の分析的・理性的に対し、後者は感情・情緒的なるがゆえにどちらかと言えば全体を見ることよりも一面・片面を見るほうに傾きがちである。

 然り乍ら、何事であれ、自己の強みと弱みの両面を知り、物事を全体的・全面的に捉えていくことは極めて重要なことである。
 その前提に立ってこその「融通的・弾力的」対処の方法であるべきであり、戦略(原則)なき戦術(融通的・弾力的対処)であってはならないのである。

『智者の慮(おもんぱかり)は、必ず利害を雑う。利に雑えて、而ち務め信(の)ぶ可きなり。害に雑えて、而ち憂患(うれ)い解く可きなり』<第八篇九変>とはこのことをいうのである。
「脳力開発」では、基礎部項目第2面に『常に両面とも考え、どちらが主流かも考える習慣をつくろう⇔物事の片面・一面しか考えない習慣をやめよう』がある。

 「ガイドライン」法の成立は、朝鮮半島をはじめとする周辺情勢の変化に対して、日本がこれまでのように「お金で方(かた)を付けよう」としたり「拱手傍観」する等の曖昧な態度を取り続けることは、もはや許されないことを意味するものでもある。

 論理(理詰め)を以って攻めてくる他の民族や国に対して、堂々と論理を以って対抗してゆくグローバル社会が来たのである。

 その意味で、「最古にして最新の稀有な書物」孫子を学ぶことは、取りも直さず日本人の民族的欠陥を是正することに他ならず、グローバルな大競争時代を勝ちぬくための叡智を磨くことでもある。

四、 レクチュア孫子兵法

1、孫子思想の特色
 孫子の戦争観を知るためには、その背景をなすところの孫子思想の特色を知る必要がある。

(T)易経的な弁証法的世界観…対立物が相互に転化し、矛盾によって発展すると言う弁証法的な事物の変化を根底においた思想。

(U)中性的性格と中庸性(単に量的な中間ではなく具体的事情によって定められ、その基準に理性の知見が必要とされるの意)。

(V)徹底した現実主義的な立場

 

2、孫子は徹底した反戦主義者である
 『兵は不祥の器(凶器とも言う)』との老子の言をまつまでもなく、戦争は素(もと)より忌むべき存在であり、歓迎されざるものである。老子の流れを汲む孫子の基本的立場もまた、「戦争はその悲惨さ、無益さ、愚かしさ故に絶対に反対である」にあることは素よりのことである。

 『この故に、百戦百勝は、善の善なる者に非るなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり』<第三篇謀攻>はこの事を意味するのである。
 孫子は<第十一篇 九地>で『王覇の兵』を説くものであるが、ここでは王道(道徳をもって天下を治めるものを「王」と言う)を論じている。
 つまり、王道・覇道のいずれにも偏せず、臨機応変、状況即応して、この両者を巧みに使い分けるところにこそ孫子の特色があるのである(中性的・中庸性とはこの事を言う)。

 吹u界に冠たる武士道精神(今やこの言は名実ともに地に落ちているが)・尚武の国日本では、「反戦」を口にすること自体が何か女々しく卑怯磨u練な気がして潔しとしない感がある。
 こうした風潮に掉さして声高に堂々と「反戦」を叫び出した人々がいる。戦後のいわゆる進歩的文化人・左翼と称される人々である。
 彼らは冷戦構早u時代の左翼的イデオロギーをバックに、かって日本が戦った日中戦争・太平洋戦争は間違いであったと言う認識のもと、戦後日本のいわゆる反戦思想・平和運動をリードしてきた。

 とはいえ彼らの叫ぶ「反戦」は、どこか頭でっかちで嘘っぽく、偏ったイデオロギー性を感じさせるものゆえ大多数の国民には受け入れられず、冷戦時代の終焉とともに影を潜め日本社会に巣食う亡霊と化してしまったのである。
 彼らの言う「反戦」が、戦う意志を秘めての「反戦」ではなく、いたずらに厭戦思想に囚われ、ただ避戦のみをこととする亡国思想であったこと、イデオロギーを同じくする陣営の戦争には「反戦」ではないが、対立するイデオロギー陣営の戦争には「反戦」であるという似非(えせ)平和主義がその原因であった。

 然り乍ら、当時一吹uを風靡したこの反戦思想・平和運動に多くの人々が沈黙した。どこかおかしいと思いながらそのおかしい所を指摘するだけの明確な理論的根拠をもたなかったが故であり、シラケ切った無表情を装うのがせいぜいであった。
 かくて「反戦」はあたかも彼らの専売特許の如くになり、当時街には大ヒットした「戦争を知らない子供たち」のメロディーが誇らしげに流れていったのであった。

 今こそ我々は銘記したい、「反戦」を主秩vすることは恥ずかしいことでもなければ不名誉なことでもない。

 恥ずかしいのは、いたずらに厭戦思想に囚われ、ただ避戦・非戦のみをこととする亡国思想的の「反戦」であり、事物を固定して考える(変化に対応できない)特定イデオロギーに立脚するところの「反戦」なのである。
 孫子の曰う「反戦」は、事物の変化を根底においた「反戦」であり、中庸性と徹底した現実主義に立脚した「反戦」なのである。

 このゆえに前者は、あたかも呪文の如く「反戦・避戦・非戦」を唱えていれば、戦争はなくなると単純に思い込めるのであり、その結果として吹uにも不思議な「非武装中立」の幻想が生まれるのである。
これに対して後者は、もとより戦争には徹底して反対であるが、それは飽く迄も主観的な自分の立場であり、そのことと客観的事物である「戦争」が無くなるか無くならないかとは自ずから別物であると考えているのである。

 ともあれ我々は、戦前・戦後を通じもっと正々堂々と「反戦」を主秩vすべきであった。何故なれば、戦争は「不祥の器・凶器」ゆえに一歩誤れば『亡国は以て復た存す可からず、死者は以て復た生く可からず』<第十二篇火攻>となるからである。
 全国民共通の土俵たる正しい意味での「反戦」の立場に立ち、真摯に国民的コンセンサスを計るべきであったのである。「反戦」はいわゆる進歩的文化人や似非(えせ)平和運動家達の独占物ではないのである。

 

3、戦争は無くなるのか(軍備は無用か)
 この世きからすべての戦争が無くなり、人々が永遠に平和の大地に生きつづけることは過去から現在に到る人類の永遠の夢であり理想であった。
 然り乍ら、理想は現実とかけ浴vれているがゆえの理想なのであり、現実は止むことのない戦乱の記録が人類の歴史であった。

 人間そして国家に、支配欲・所有欲という本能がある限り、(これを有効に制御し得る精神力が人類に充実して来るまでは)人間界の戦いは無くならないと解するのが妥当である。現実主義を標榜する孫子はこのゆえに曰うのである。『その来らざるを恃むこと無く、吾が以て待つ有るを恃むなり。その攻めざるを恃むこと無く、吾が攻む可からざる所有るを恃むなり』<第八篇九地>と。

 つまり孫子は、もとより「反戦」ではあるが、だからと言って「軍備無用」ではないと曰うのである。
 かつて日本社会党が主秩vし一吹uを風靡した「反戦・非武装中立(反戦であるから軍備は無用である)」とは、この辺りでその本質的見解を異にして来るのである。
 どちらが矛盾発展する事物の変化に対応し、かつ中庸にして現実主義的であるかは一目瞭然である。
いわんや彼らの主秩vしていた「軍備を持つと使いたくなるからダメ」とか「軍備を持つと戦争に巻きこまれるからダメ」に到っては、日本人を愚弄するものであり、自らの知能の低レベルを恥ずかしげも無く吹u間に公表する所業であると言わざるを得ない。軍備を持つことと、軍備を使うこととは自ずから別問題であることは小学生でも分かる理屈である。

 要は、軍事力と政治力との関係を深く考察しておらず、そういうことに関しては全くの無知であることを曝け出しているに過ぎないのである。吾人が孫子を学ぶ所以である。

 

4、政事力と軍事力は表裏一体の関係
 孫子は軍事力の裏付けを持たない政治・外交的手段は、いわゆる戦略なき戦術と同様、所詮は空理空論であり論ずるに足りないものであるとしている。
『故に、上兵は謀を伐つ』(第三篇 謀攻)の「上兵」とはまさにこのことを意味しているのである。
 つまり、あくまでも「反戦」の立場に立ち、戦わずして勝つための「謀攻」は、軍事力運用の一形態であると曰いたいのである。

 

5、誰が国を守るのか
 戦いにおける主体と客体との関係を明確にしているものが『勝つ可からざるは己に在り、勝つ可きは敵に在り』<第四篇形>の言である。いわゆる不敗の態勢を論ずるものである。
 不敗の態勢とは、ここでは、自分自身が主体者(原因・原動力)であると言う強い自覚の下に、「すでに在る条件」を使って自分自身が作り上げるものであり、負け易い態勢(敗形)とは、敵自身によって作り出されるものであることを曰うものである。

 因みに主体とは「性質・状態・働きの主」の意であり、別言すれば、何事かを為そうとするときの「原因・原動力」のことを言う。
 つまり、極めて当たり前のことではあるが、「自分のことは自分でやる意外に方法は無い」「自らの安全は自らが担うもの」と孫子は曰うのである。

 このゆえに、自分の国は誰が守るのか? と問われれば「自分の国は自分で守る」としか言いようが無い。 これを巡って是か非かの如き百家争鳴する内容ではないのである。

 戦後の平和ボケした日本人は、軍事以外の面では、極めて主体的・能動的な能力を発揮してきたが、こと軍事に関しては上記のごとき愚問にすらまともに答えられない稚拙さがあり、戦後的あいまいさの最たるものが安保政策であったと評される所以である。

 古来、傭兵や外国の軍隊によって自国の安全と独立が保障された例(ためし)はない。自分の国は自分で守る気概と、国の為に血を流す決意が独立国の国民としての最低限の愛国心なのである。
 この決意の下に、我々の一票を投ずるに値するリーダーを選ぶべきなのである。 選ぶに値しない人物がいないから棄権する、の考え方は誤りである。我々自身がリーダーを選ぶに足る根本的認識を持ち合わせていなかったことを自省すべきである。

 

6、どのようなとき戦うのか
 老子の流れを汲む孫子も「兵は不祥の器(凶器)ゆえ、已(や)むを得ずして之を用う」がその基本的立場である。
 「已むを得ずして」とは、万策尽きもはや「戦わずして勝つ」という平和的手段を以てしては解決の道が見出せない場合を言う。
ペルー・リマ日本大使公邸人質事件におけるフジモリ大統領の場合の武力行使(1997年4月22日)の例が適当である。
 事件発生後127日が経過したあの状況下にあっては、日本政府が終始主秩vしていた「人質優先・平和的解決」手段は、もはや手段としての機能を失っていたのであった。

 それすらも洞察できず、あいも変わらず同じ手段に執着し固執していた日本政府の対応は、現実的国際政治に携わる能力があるのかどうなのか極めて心もとなく日本の恥を実感した向きも少なからずいたことであろう。

 上記のごとく、情勢を見極め「戦わずして勝つ」から「戦いて勝つ」に転ずるのが、孫子の事物の変化への対応であり、中庸性であり、現実主義なのである(孫子はこのことを<第三篇謀攻>で詳述するものである)。
言い換えれば、孫子の兵法が『戦わずして勝つ』王道から、『戦いて勝つ』覇道に転ずる瞬間でもある。

 いずれにせよ、斯(か)く戦うときは、大多数の人々も「已(や)む無し」としてこれに賛同せざるを得ないのである。
 次ぎに問題となるのは、では如何なる戦い方をすれば更に納得されるのか、である。

 

7、どのような戦い方をすれぱ国民(納税者)は納得するのか これについて孫子は曰う。

(T)『拙速』<第二篇 作戦>であること
  短期決戦を旨とし、戦争目的を速く達成すること。

(U)『敵に勝ちて強を益す』<第二篇 作戦>こと
  損害だけでメリットのない戦いはすべきではない。
  戦う以上、自分が太らなければ意味がない。

 「そんなことはお前に言われなくてもとっくに分かっとる。具体的にどうすれば善いかが分からないんじゃ」とのオエラ方の声が聞こえてきそうである。

 孫子は曰う、「それを考えるのは誰なのか、よーく考えてみたまえ。それが解らぬヤツはリーダーの資格がない。世の中の為にさっさと辞めてしまえ」と。

 

8、日本は「集団的自衛権」をめぐる憲法解釈を変更すべきか
 日本国憲法の下では、9条により個別的自衛権は認められるが、「集団的自衛権」は認められないと解されている。しかし、今回の「ガイドライン」法は、この「集団的自衛権」との関係が極めて曖昧なままに成立している。

 このゆえに、今後、この際「集団的自衛権」を巡る憲法解釈を変更すべきだとの意見が強行される恐れ無しとはしない。これを如何に解すべきか。

 孫子は曰う『利に非ざれば動かず、得るに非ざれば用いず、危うきに非ざれば戦わず』<第十二篇火攻>と。

 これを敷衍すれば、周辺の国々に疑惑と不安を抱かせないというメドが立たない限り、憲法解釈は変更すべきではない、と解される。つまり、孫子の曰う事物の変化・中庸性・現実主義から判断すれば、いま下手に解釈を変更することは「藪をつついて蛇を出す」(ここでは、かえって高くつくの意)ことに成りかねないのである。

 

9、結言

 孫子の有名な巻頭言、『兵は国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり』<第1篇計>は、以上これまでに述べてきたことを簡潔に集約して一言で表現しているものと解せられる。
 このゆえに、孫子の何気ない一言の背景には、深遠にして広大な思想・哲学体系が常にあることを知るべきであろう。吾人が孫子を学ぶ所以である

 

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