孫子兵法

孫子兵法

第三回 孫子ホームページ講座(平成11年8月26日)

現代日本を蝕む歪んだ思考構造を斬る、ここがヘンだよ!
  〜国旗・国歌法の成立と玄倉(くろくら)川キャンプ増水事故の背景にあるもの〜

孫子塾副塾長・元ラジオ日本報道記者
佐野寿龍

 


一、校長の自殺と国旗・国歌法の成立

 卒業式を翌日に控えた本年2月28日、広島県立世羅高校の校長が自殺した。卒業式の日の丸掲揚・君が代斉唱で教職員組合の同意を得られないまま管理職として悩んだ末の行動であったという。

 この痛ましい事件を重大視した政府は、上記の如き「日の丸掲揚・君が代斉唱をめぐる教育現場での対立の解消」をめざして、「日の丸・君が代」を国旗・国歌として明確に法制化する動きを本格化させた。

 これを受け、国旗・国歌法案の話題は連日のようにマスコミを賑わしその賛否が論じられたが、一般の人々は「いま、なぜ、急に法制化なの?」と戸惑い・香u惑の表情を浮かべるの精一杯であり、反対派の人々が期待したような国民的議論は一向に広がりを見せなかった。

 というよりもむしろ、あるいは例によってと言うべきか、問題の本質を隠し核心部分をすりかえたままの議論がマスコミ等で意図的・巧妙になされたため、何かがおかしいと思いながらも何が問題なのかを掴みきれないままもやもやの心理状態にあったというのが偽らざるな実情であろう。

 しかしながら、学校での日の丸掲揚や君が代斉唱をめぐる激しい対立は、いまに始まったことではなく戦後一貫して「文部省(保守陣営)」VS「日教組(革新陣営)」の構図で争われてきた“教育は国早uりの根幹”を揺るがすゆゆしき問題なのであり、今回の事件も、その残滓(あるいは亡霊)が噴出したものと認識すべきなのである。

 ともあれ、本年8月9日、日の丸を国旗、君が代を国歌とする法案が参院本会議で、賛成166票、反対71票の賛成多数で可決、成立したことにより(もとより義務規定や罰則規定は盛り込まれていない・8月13日に公布、施行)、上記した戦後の教育行政はようやくその呪縛を脱し、一つのターニングポイントを迎えたことは確かである。

 とはいえ、問題の根本的改革とはおよそ縁遠いその場しのぎの姑息な手段であるため、この問題のドロドロした本質的部分は (法制化した分だけ) かえって教育現場に沈潜し、より陰湿化してこれまで以上に悪影響を及ぼす恐れは否めない。

 

二、日教組 (革新陣営) は何を主張してきたか

(1)その立場と希望
 すでに第二回講座で解説した如く、彼らは冷戦構早u時代の左翼的イデオロギーをバックに、かって日本が戦った日中戦争・太平洋戦争は間違いであったという認識のもと、戦後日本のいわゆる反戦思想・平和運動をリードしてきた思想団体である。

 彼らの叫ぶ「反戦」は、どこか頭でっかちで嘘っぽく、偏(かたよ)ったイデオロギー性を感じさせるものゆえ大多数の国民には受け入れられず、冷戦時代の終焉とともに影を潜め現代日本社会に巣食う亡霊と化してしまったのである(その亡霊が今回、卒業式での君が代斉唱をめぐって高校長が自殺した事件を引き起こしたわけである)。

 更にいえば、彼らのいう「反戦」が、(「孫子」のいうが如き) 戦う意志を秘めての「反戦」ではなく、いたずらに厭戦思想に囚われ、ただ避戦のみをこととする亡国思想であったこと、イデオロギーを同じくする陣営の戦争には「反戦」ではないが、対立するイデオロギー陣営の戦争には「反戦」であるというちぐはぐな似非(えせ)平和主義がその原因であった。

 かって彼らがユートピアと崇(あが)め、日本も(対米追従をやめ)一刻も速くそのような国家体制になるべきだと主秩vしてやまなかったそのモデルとは、なにを隠そう、今をときめく北朝鮮を筆頭に旧ソ連邦・東ドイツ・キューバ・北ベトナム・中国などのいわゆる社会主義の国々であった。

 そんな彼らの一途な思い入れを嘲笑(あざわら)うかのごとく、やがて時は移ろい、かの悪名高い「ベルリンの壁」も崩壊し東西冷戦構早u時代は終わりを告げたが、同時に、彼らのいうユートピアなるものの実態も白日の下に曝(さら)されたのである。

 そしてその結果、社会主義理論を巧みに取り入れた我が国ニッボンこそ、(それらの国々と比べ)はるかにユートピアであり、「幸せの青い鳥」であったという現実をつき付けられた彼らの心中はいかばかりであったろうか、察するにあまりあるものがある。

 資本主義VS共産主義という吹u紀のイデオロギー実験が資本主義の勝利という明確な形で終焉した今、彼らはどこに我が祖国日本を導こうとしているのか。

 その古びた、時代物の、硬直した理論を棄てて新しい道を模索しているのか。
 それとも、「懲りない面々」よろしく旧態依然として「いつか来た道」を辿っているのか。
 学校での日の丸掲揚や君が代斉唱をめぐる激しい対立を見る限り、その立場と希望は紛れもなく後者であると言わざるを得ない。

 

(2)日教組は「公教育」で日の丸・君が代をどのように教えているのか

 雑誌「正論」(1999・5月号)に「校長はなぜ自殺したか、広島の現場教師が勇気をふるって訴える」の特集記事が掲載された。ここに 「公立学校が“サティアン”に」と題された以下の一文を引用する。


 私の手元に、「『日の丸・君が代』をどのように指導するか」と題した平成五年度の市立五日市小学校の一年生から六年生までの指導案がある。
 実際に行なわれた一年生からの指導案のねらいと指導上の留意点を列記してみると――。

 一年生、「戦争中は、日の丸のもとに多くの人たちが戦地へと旅立っていった事に気付かせる」「たくさん人を殺した人は天皇にほめられた」「『君=天皇』で歌詞の説明をする」

 二年生、「戦争中『天皇』『日の丸』がどのような役割を果たしてきたかを知り、人の命について考える」「『死ね』と命令された」「戦争への思いと『天皇』『日の丸』への思いは重なっている事をつかませる」

 三年生、「『日の丸』の旗が戦争に利用されてきた歴史的事実を知らせる」

 四年生、「戦前、『君が代』は天皇をたたえ、戦争をすすめていくために学校で子どもたちに歌わせてきたことに気づかせる」「『君が代』を歌うときは天皇陛下のために命を投げ出し皇室の幸せを祈るように歌わされた」

 五年生、「戦争中『日の丸』を掲げてアジア諸国を侵略したことを知らせ、戦争の被害者であると共に加害者でもあったことに気付かせる」「法律では国旗としての規定はなく、日本を代表する旗として慣習的に使われていることを知らせる」

 六年生、「中日十五年戦争の中で『日の丸』を先頭にしてどのような侵略が行なわれてきたのか。また、戦勝を祝して演奏された『君が代』について、特に『悪魔』としてとらえられた『南京大虐殺』の史実から考えさせる」

 これらの授業を受けた成果として児童の感想も残っている。

「おばあちゃんから天皇はえらい人でいい人だと聞かされてきて、そう信じていた。戦争をつくりあげたあぶない人だと思う」「日の丸をみるたびにホッとして、いい旗だと思っていたのに勉強をしてぞっとしました。こわい旗だとおもった」(二年)

「日の丸の旗なんか、私は大っきらいだ」「ぼくは日の丸を見るとこのごろいらしらしてきます」「日本は、悪いことをするのは主に昔だった。今ではだいぶん悪いことはしなくなった。けれども外国の人たちは、『まだまだ、悪いんだ』と言っているかもしれない。旗はかわっていないし、歌もかわっていない。こんな日本は、まだまだ悪い国だ」(四年)

「『日の丸』は日本の国旗だと思っていたが日本の代表の旗ということを知った」「日本の旗はなぜ『日の丸』なんだろうか。べつに他に変えてもいいのではないか」(五年)
「もうこれだけは、見たくない。『君が代』も聞きたくない」「『日の丸』の中の赤は、血の色(虐殺された人々の)に思えるだろう」(六年)

 このような授業は中学校でも卒業式前には必ずどの学校でもどの学年でも行なわれている。

 福山市立城北中学校では「天皇制(日の丸、君が代、元号)は差別をなくするものではなく差別する意識を温存し、助長してきたものであることを理解させ、生徒自身の生き方を考えさせる」ねらいを持った「反天皇制学習」が行なわれ、同加茂中学校では「日の丸は国旗ではないし、君が代も国歌ではないことを知らせ、日の丸・君が代の強制に対してどう思うか、考えを交流しあう」というねらいの「人権学習」が行なわれていた。

 文部省の是正指導で学習内容が不適切と指摘されたにもかかわらず、今年も「日の丸・君が代を国旗・国歌とする法令はない」「日の丸はアジア侵略の際に立てられた」等、同じことを指導している。

 高校では高教組の機関紙で毎年「日の丸・君が代」特集が組まれており、その成果が誇示されている。
 この特集号には授業のねらいや時期・時間数などの項目があり、県内の公立高校のすべての学校でどんな授業がなされたのかがまとめてある。

 どの学校の授業のねらいも国旗・国歌に対して批判的なものばかりで、その意義について学習したり、大切にし、尊重しようというねらいのものは一校もない。

 このようにしてみると、小学校から高校卒業までの十二年間、毎年繰り返し、日本の加害を強調した歴史や日の丸・君が代を敵視する思想を教え込んでいる。

 日本の加害の歴史の学習はこれだけにとどまらない。

 民族学習という時間が特別に設けられ、これも同様に小学校から高校まで教えられる。 しかし、ここでいう民族とは、日本民族ではなくて朝鮮民族のことである。
 日本が朝鮮を侵略し、いかにひどい事をしたか、そのとき日の丸を旗印にした等、念には念を入れて、とことん日本人であることがいやになることを教え込んでいる。
 吹u羅高校が韓国への謝罪修学旅行を毎年行なっているのもこの一環だ。 中学校でも、日本の加害責任を学習するために沖縄へ旅行する学校が増えている。

 こうした教育が公立学校で堂々と教えられている。
 生徒は、不登校になるか、県外に住居を変えでもしない限り逃げられない。

 三月八日、吹u羅中学校で卒業式が行なわれた。 国歌斉唱は昨年まで行われていなかったが、今年「君が代」のテープが流れると立っていた卒業生や在校生は着席して歌わなかった。甲山中でも国歌斉唱となると全員が座り、そして校歌の時になると再び立ちあがって歌った。
 朝日新聞は「君が代斉唱を拒否」との見出しで報道しているが、偏向教育の結果である。保護者は税金を払いながら自分の子どもを“公立サティアン”で洗脳してもらっていると言っても過言ではない。


(3) 日教組はなぜかくも執拗・意図的に反社会的な“偏向教育”を行なうのか

 簡単に言えば彼らが、マルクス・レーニン主義を奉ずる思想団体だからである。
 マルクスは、「資本主義が必ず滅亡し、共産主義が必ず勝利するということは逆らうことのできない歴史の法則であると宣言」し、レーニンは、(その資本主義の)最高の発展の段階が帝国主義であるとし、帝国主義は社会主義への過渡段階、換言すれば帝国主義はブロレタリアートの社会革命の前夜であると定義している。

 ところで、政治・経済・軍事の問題を中心に近世世界史をひも解けば、十九世紀初頭から二十世紀前半にかけての約百五十年間は帝国主義思想に基づく経済支配権の確立に狂奔した植民地獲得競争の時代であったことがわかる。
 この意味で、いわば第一回目の植民地獲得求v争におけるヨーロッパの先進国が、イギリス、フランス、スペイン、ポルトガル、オランダ、ロシア、トルコであり、バスに乗り遅れた後進国がオーストリア、ドイツ、イタリアであった(このことが後に、先進諸国家との対立要因をなす)。

 そして、第二回目のいわば「残存植民地獲得競争」の段階において、初めて、日本、清国、韓王朝国が近世世界史上に関連する一員として登場することとなるのである。
 つまり、第二次世界大戦における枢軸国たる日本・ドイツ・イタリアは、遅れてやってきた帝国主義国家なのである。
 ともあれ、この時代は植民地・資源獲得をめぐって絶え間なく起こる国際紛争の中、帝国国家と国民の繁栄をいかにするかが至上命令だったのである。

 とはいえ「正」があれば「反」があるのが世の常であり、ある特定思想・主義がはびこるとき、それに反する思想・主義(この場合は反帝国主義・反殖民主義思想) が起こるのである。

 これは、とりわけ極端な帝国主義にはしったドイツで芽生えた。すなわち、マルクスは資本論、エンゲルスはドイツ・イデオロギーの著作を通じて科学的社会主義、共産主義思想を鼓吹したのである。

 マルクスは、余生をロンドンで送り、終始、帝国主義、資本主義を掣肘する立場を貫いたのであるが、このマルクス主義を帝国主義とプロレタリア革命の時代における理論として発展させたレーニンは、階級闘争(労働者VS資本家、抑圧民族VS被抑圧民族、帝国主義VS民族解放戦争、資本主義国家VS社会主義国家等)によるブロレタリア革命とプロレタリアート独裁を説いている。

 記述した如く、資本主義VS社会主義の世紀の実験が明白な形で終焉した今も、日教組はマルクス・レーニン主義を堅持しているのである。

 彼らの見解からすれば、日本は今もなを帝国主義の反動国家なのであり、その象徴が自衛隊であり、天皇制であり、日の丸、君が代なのである。

 そして彼らの打倒すぺき国家権力・資本家階級が文部省(保守陣営)なのである。また、日本は吹u界最強の帝国主義国家たるアメリカのいわば植民地なのであり、被抑圧民族としての日本人民は民族解放闘争・反植民地闘争・反米闘争に立ちあがるべきであり、その一環としての在日米軍基地反対闘争なのである。

 

(4)日教組とオウム真理教の共通点

 世の中にはやって良いことと、やってはいけないことがある。もとより主義・主張・思想は自由であるが、社会の団結を乱し、亡国思想を助長する反社会的な行為を「思想信条の自由・人間平等」の名のもとに白昼公然と、しかも国民の税金を使って行うことは日本民族・国家に対する反逆行為である。

 教育は国家百年の大計といわれるが、その教育行政を任された文部省・日教組が戦後五十年、このようなまたさき状態を続けてきたこと自体が、今日、日本社会に蔓延する道徳教育・人心の荒廃を招いた元凶と言わざるを得ない。
「臭い物には蓋」式の問題の先送りを重ね、ことここにいたってようやく、国旗・国家法案を成立させました、では済まない民族の存亡にかかわる重大な問題なのである。

 まだ記憶に新しい「玄倉(くろくら)川キャンブ増水事故」に見るまでもなく、やってよいことと、やってわるいことの区別もつけられない反社会的な「関係ないじゃん・カラスの勝手でしょう・今が楽しければいいんじゃない」現象が日本社会の至るところに悪性ウィルスの如く蔓延している。

 なにが正しく、なにが間違っているかの最低限の社会常識・社会健全育成のルールをすべてに優先して教育できなかった文部省(保守陣営)・日教組(革新陣営)双方の見識の欠如、度量の狭さに起因すると言わざるを得ない。

「オウム真理教」は、今、日本社会から「総すかん」を食い「村八分」同然となっている。彼らの反社会的・非常識・非道徳な行動のゆえである。
 すべてを受け入れ消化してわがものとする、本来きわめて寛容性の高い日本社会もついに堪忍袋の緒が切れたというところか。

このオウム真理教と日教組 (プロレタリア革命とプロリタアート独裁を信条とする思想集団) の思考構早uは極めてよく似ている。

 その一は、なにかと言えば「人間はみな平等のはず・思想信条の自由を侵すな・基本的人権がある」を言い募り、自らの正当性を主張する。
 しかしその前に、(自己のイデオロギーに心酔するあまり)社会人としてやっていいこと、やってはいけないことの区別がつけられないという思考の欠落がある点である。

 その二は、たとえば「何の罪もない日の丸・君が代にどうして反対するのか分りません。嫌いな人は別の国に行けばよいと思います」と素朴な心で批判されると、こんどは「差別」だと開き直る幼児的性格である。
 法律論を主張するなら最後までそれを貫き通すべきであり、途中で「イジメ」だと問題をすりかえるのは論理矛盾である。

 その三は、両者とも明確に行動目的を持っているということである。いうまでもなく、前者は「ハルマゲドン」であり、後者は「プロレタリアート革命・プロレタリアート独裁」である。このような反社会的な発想で、国民の税金を使った公教育がなされることは日本社会に多大の禍根を残すことになる。日本社会の叡智は、オウム真理教同様、日教組のやり方にも「総すかん」を食わすであろう。

 

三、近世世界史を正しく学ぼう

 そもそも日本帝国主義のどこが悪いというのか。近世における世界は皆、帝国と帝国主義の時代だったのであり、日本帝国だけが例外なのではない。日本は、むしろ遅れてやってきた帝国主義なのである。

 赤紙一枚で勇躍して戦地に赴いた我々の父祖も、国のために身を捨てた特攻隊員も、戦没した無数の無辜の民も、みな日本国家・日本民族の存亡をかけてその時代を戦い、生きただけであり、侵略戦争の意識などあろうはずもないのである。そのときの、絆・民族団結の証が「日の丸・君が代」なのである。
 あの戦争と動乱の世紀を、我々の父祖が一丸となって戦い抜き、今日の日本の礎(いしずえ)を築いた民族の歴史の象徴・民族の心なのである。

 これが日本人としての立場であり、マルクス・レーニン主義者の立場ではないのある。日本人としての誇りであり、名誉ではあっても否定したり恥じるないようのものでは断じてない。

 人は誰もみな時代の子であり、この定めから逃れることはできない。戦争のある時代に生まれれば否応なく戦わなければならないし、戦争のない時代に生まれれば平和に暮らせる、ただそれだけのことである。

 人はもっと謙虚に歴史を学ぶべきであり、とりわけ文部省・日教組は近世世界史を見なおしてもらいたい。
 反帝国主義を標榜するマルクス・レーニン主義者が帝国主義を批判するのは、その立場からいって当たり前のことである。対立する双方が相手を批判・非難・誹謗・中傷するのは世の習いである。

 問題は、その当たり前のことを何の見識も、ポリシーもなく、お説ごもっとも、日本は外国を侵略した悪い国ですと聞き入れる態度である。

 主体者は誰なのか、自分の立場はどうなっているのか、その立場で何が正しく、なにが間違っているのかの当たり前の判断が出来ないのである。

 日本帝国主義が悪いというのなら、近世世界史に頻繁に登場してくるイギリス・フランス・スペイン・ポルトガル等の帝国主義諸国はすべて悪者でなければならないが、世界でそんな議論は通用しない。いかに日教組の主張がおかしいか、この一事をもってすれば明快である。
 それにもまして、そんな幼稚な論法に対して何の反論も有効な対策も打てない文部省の無能ぶりにはあきれるばかりである。

 イジメ・不登校・学級崩壊………日本の公教育がいま危機に瀕している真因は戦後五十年に及ぶ両者の怠慢と不毛の対立にあったのである。日の丸・君が代問題は実に奥深い問題といわざるを得ない。

 ともあれ、日教組の公教育で行なっている活動は、教育とは何の関係もない、教育に名を借りた日本民族分裂を目的とした「政治活動」に他ならない。
 彼らのやっていることは、諸外国でよく見られる「宗教対立」「民族紛争」を新たな形で日本に持ち込み、これを扇動している所業に等しい。
 幕末日本の為政者が、フランスVSイギリスの代理戦争を避け、大政奉還で内戦を回避した叡智は、いまの文部省・日教組には望むべくもないのか。

 

四、なぜ集団には「旗」が必要なのか

 国旗・国歌法が公布、施行された日の8月13日、新聞労連は「国旗・国歌への愛情や敬意は個人の自由で自発的な意思によるべきで、断じて強要されるべきものではない」として、記者会見場での日の丸設置、掲揚に反対する見解を発表した。

 この幼稚な発想は、「玄倉川キャンプ増水事故」とまったく同質であり、今の日本の至るところの公共の場に蔓延している「関係ないジャン・カラスの勝手でしょう・今が楽しければいいんじゃない」を地で行くものである。
 集団としての人間社会には、その秩序を維持するために厳然として、やっていいこと、守らなければいけないことの区別がある。
 これがなければ、集団は集団として求心力を失い、勝手気ままな無政府社会となるのである。
「公共の福祉」追求して集団的社会生活を営む個々人にとって、それが有利なことか、不利なことか小学生でも分るりくつである。

 集団(衆)というものは、各々が勝手気ままに、思い思いの方向へ動こうとすると、ある目的へ達するための力とならないばかりか、どうかすると反対方向への力同志が引っ張り合いをして、マイナスの力を生ずる性質をもっている(この傾向は数が多ければ多いほど顕著になる)。

 従って、集団が力になるためには、その力の動く方向が同一に揃っていることが必要なのであり、「旗」はそのための素朴にして有効な一つの手段なのである(この意味においては、日の丸はもとより君が代もまさしく同一の機能を有するものである)。

 孫子はこのことを『是の故に、軍政に曰く「言えども相聞こえず、故に鼓金を為(つく)る。視(しめ)せども相見えず、故に旌旗を為(つく)る」……夫(そ)れ、鼓金・旌旗は、民の耳目を一にする所以なり。民、既に専一なれば、則ち勇者も独り進むを得ず、怯者も独り退くを得ず、此れ、衆を用うるの法なり』<第七篇 軍争>と曰う。

 そして集団が一糸乱れぬ統制と団結力を堅持している様を『正々の旗・堂々の陣』<第七篇軍争>というのであり、このような敵は迂闊に攻めるなと戒めている。

 このことは、ひとり軍事に限らず国家百年の大計たる教育にもそのまま適用されるものであることはいうまでもない(ここでは、鼓金は「音」であるから「君が代」、旌旗は「旗」であるから「日の丸」と解する)。

 日本民族の活動と発展の歴史・日本人の誇りとモラルの高揚を図る教育に「日の丸」「君が代」が必要とされる所以(ゆえん)なのである。

 

五、『旌旗の動く者は、乱るるなり』の如き戦後日本の教育行政

 ひるがえって、戦後五十年、わが国の教育現場の実態を思うとき、果たして「正々の旗・堂々の陣」であったと言えるのか、否、逆に『旌旗の動く者は、乱るるなり。』<第九篇 行軍> (集団の整頓は旌旗の整斉によって実現される。然るに、敵の旌旗が動揺して一定しないのは乱れている証明である)であったと言える。

 日の丸・君が代に代表される「文部省(保守陣営)VS日教組(革新陣営)」の半世紀に及ぶ激しい対立は文字通りの“不毛の議論”以外のなにものでもなく、有形・無形の国家・国民的損失を思うとき極めて遺憾の念を禁じえないのである。

 この股さき状態とも言える教育現場の混乱が、今日の目を覆いたくなるような教育の荒廃をもたらした原因であり、公共の秩序の維持・社会防衛と言う観点から見れば、まさに敵に攻められたのと同じ状況と言わざるを得ない。

 孫子は<第三篇 謀攻>で『将は、国の輔(ほ)なり。輔、周(しゅう)なれば、則ち国必ず強く、輔、隙(げき)あらば、国必ず弱し』(そもそも将軍とは国家の助け役である。助け役が[君主と]親密であれば、その国家は必ず強力であるが、助け役が[君主と]隙間があれば、その国家は必ず弱体である)と曰う。
 この言の「将」を「日教組」に置きかえると、孫子の言わんとしている意味がより具体的かつ鮮明に理解されるであろう。

 何を思おうと、何を考えようと個人・集団の主義主張はもとより自由である。さりながら、一度(ひとたび)その主観が、具体的行動という事実によって客観世界に現れた(反映された)とき、今度はその客観的事実によって自ら(ひいては無関係な第三者が)が支配されると言う厳しい現実を知る必要がある。

 「そんなことは分っているよ」と言葉で理解する前に(言葉と行動と事実は異なるのが実際であるゆえに)、我々はあの痛ましい「玄倉(くろくら)川キャンブ増水事故」を想起すべきである。

 川の中州にキャンプを張り、再三再四の避難勧告・警告を無視、「関係ないジャン・カラスの勝手でしょう・今が楽しければいいんじゃない」(主観・主義主張)と、そこに居座ることは取りも直さず「川の中州」という物理的環境に支配されることであり、そのことは当然のことながら、大雨による増水・ダムの放流という物理的環境にも支配される事になるのである。

 当たり前のことではあるが、このような場合、そもそも「川の中州」に居なければ「大雨による増水・ダムの放流」の影響は受けないのであるから、主観と客観の因果関係は明らかである。

 そして、起こるべくして事故は起き、尊い無辜(むこ)の人命が失われ、その後始末の為に膨大な人員・機材・エネルギー、つまり税金がが投入されるのである。これを迷惑と言わずして、何を迷惑と言うのか。

 自己の独断と偏見を顧みようともせず、公共の福祉に反することすら「関係ないジャン・カラスの勝手でしょう・今が楽しければいいんじゃない」で押し通そうとする思想の貧困こそ是正されなければならない社会の敵なのである。

 このことはまた、日の丸・君が代に代表される「文部省VS日教組」の半世紀に及ぶ激しい対立にそっくりそのまま適用される。この“不毛の闘争”の果実が、目を覆うばかりの教育の荒廃であり、その事実によって支配され、至るところで有形無形の不利益を蒙るのは他ならぬ納税者たる国民なのである。

 血税たる税金を使い、挙げ句の果ての結果がこの体たらくでは税金の無駄使いここに極まれりと断言せざるを得ないのである。
“教育現場での対立解消”のため「日の丸・君が代」を明確に法制化しました、で済ませられる問題ではないのである。

 

六、結言

 日の丸・君が代の問題は、日本民族の心・日本民族の発展と団結の立場に立ち考えるべきものである。もとより「好き・嫌い」の低レベルの立場に立って論ずべきものではない。
 ましてや、日本民族の団結を阻止し、日本社会の混乱をより助長することを当面の目的としている「日教組」の立場に立って論ずべきものではない。

 ただし、右に振れれば今度は左、左に振れれば今度は右、と両極端に「一億一心、火の玉」となって趨(はし)りがちなのが我が日本民族の性格的欠陥である。こんな笑い話がある。


 日の丸・君が代が、まだただの日の丸・君が代であったころ、人々はお互いに認め合って「使いたい人は使えばよい、歌いたくない人は歌わなければよい」と平和に暮らしていたという。

 日の丸・君が代に法制化の話がちらほら聞こえ始めたころ、街(まち)には先走った人が現れ「君が代を歌わぬ人は出ていけ」などというようになったという。

 日の丸・君が代がいよいよ法制化されたとき、街にはお節介で優越感あふれる人がたくさん現れ、祝日に日の丸を出さない人を見つけると「非国民」と罵(ののし)るようになったと言う。


 われわれは、日本民族の斯かる弱点を十分に踏まえた上で、右でも左でもない中庸の立場から、(日の丸・君が代を中核とした) 日本社会健全化の方向を論ずべきなのである。

 それではこの辺で。

 

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