第7回 孫子を人生万般に活用するための方法2007.01.15
             
              孫子塾塾長・元ラジオ日本報道記者 佐野寿龍


 日本では、以前から孫子兵法をビジネスや企業管理に結びつけて応用しようとする潮流があり、それなりに根強い人気を得てその金言名句は人口に膾炙(かいしゃ)されているが、今や、孫子兵法の本家たる中国においても企業経営者やビジネスマンの間でそのような機運が盛り上がり、大きなブームを呼んでいるそうである。

 そうした孫子の人気を背景に、需要と供給の関係と言うべきか、利に聡(さと)い漢民族の習性と言うべきか、ついに江蘇省蘇州市において実業家向けに「孫子兵法院」が開設されるということである。因みに「院」は、ここでは学校の意である。

 朝日新聞(平成18年12月29日付け)は、「孫子を知れば経営必勝?」と題して次のように伝えている。

--------------------------------------------------------

 中国古代の兵法書「孫子の兵法」を専門的に教える「孫子兵法院」が平成19年5月、中国沿海部の江蘇省蘇州市に新設される。

 ターゲットは企業経営者やビジネスマン。中国では兵法をビジネスや企業管理と結びつけるのがブームで、競争社会を生き抜こうと企業トップらの間でも伝統思想を見直す動きが強まっている。

 蘇州市と中国孫子兵法研究会(北京市)が共同で開設。現地で準備を進める蘇州市孫武子研究会によると、国内外から受講者を募集し、大学教授や軍事専門家らが思想やビジネスへの応用について講義する。孫子をビジネスに結びつけて専門に教える拠点は中国では初めてという。

 蘇州周辺は中国で最も経済発展が進んでいる地域の一つで、とくに企業トップ向けに企業管理や経営理念、経営戦略を重点に置く。日本から専門家を招き、講義してもらうことも計画中という。

 蘇州は春秋時代の兵法家、孫武が「孫子」を書き上げたとされる由緒ある土地。孫子には「彼を知り己を知れば百戦してあやうからず」など有名な表現が多く、現代の実務にも応用できるとして人気がある。

 孫武子研究会の管正・常務副会長は「兵法の知恵を導入することで企業管理など実務の向上を狙う。実践を中心に指導する」と話す。

--------------------------------------------------------

 管理人は常々、孫子は単なる兵法書を超えた人生万般に通ずる「戦いの思想・理論」であると考えているものゆえに、兵書孫子の発祥の地たる江蘇省蘇州市において「孫子兵法院」が設立されることは実に喜ばしい限りである。

 「発祥の地」「伝統の見直し」という意味で言えば、昨今、中国では伝統武術の少林功夫(カンフー)が注目され、若者達の間で大人気だそうである。その発祥の地、河南省・少林寺の山門前には功夫(カンフー)を教える武術学校が84校も林立し、約五万人の学生が武術を学んでいるそうである。                 

 上記した「孫子兵法院」が、少林功夫(カンフー)の発祥地たる少林寺と同じく「門前、市を成す」がごとき活況を呈するのかどうか、今後注目するところであるが、その反面、管理人には「孫子をビジネスに応用するというその方法論」に関し、常々、一抹の疑念を抱いている。

 (中国のことはいざ知らず)とりわけ、日本におけるその現状を鑑(かんが)みるに、「孫子の活用とはかく在るべし云々」などとそのキャッチコピーだけは実に見事であるが、肝心の中味はと言えば、まさに羊頭狗肉のごときもので、果たしてこのような方法で孫子を現実に活用できるのかと、甚だ疑問を抱かざるものが多いのである。


 そもそも「戦い」という概念は、主体(人)を離れては考えることができず、人が生きるということは即ち戦いであると言わざるを得ない。そのゆえに、孫子の活用と銘打つ以上は、孫子の思想・理論が直ちに主体者たる各自の人生観に連なり、実践に結び付けられるものでなければ意味がない。

 たとえば、巷の孫子本で散見される(孫子を活用しようとする個別特殊的存在たる主体者とは本来何の関係もない)第三者の活用事例、もしくは客観的立場に止まっての解説、はたまた、兵法書という狭い範囲に限定され、ただ軍事だけを論ずるケーススダディーなどをいくら提示されても(ことの順序としては)適当ではないのである。

 言い換えれば、孫子を学び体得するためには、次のごときの一定の手順があることを知ることである。


(一) まず、個々の各篇は独立しつつも、十三篇全体をもって一つの「戦いの思想・理論」として構成される孫子の体系を知り、これを学ぶこと。

(二) 次に、その思想・理論が基底となり、背景となって展開される実践的理論体系(九変の術として表現される言わば将の脳力開発)があることを知り、これを実践すること。

(三) 上記の実践と合わせて、それを自己の骨肉と化すために、(でき得れば)孫子の思想が具現化されたものとしての、いわゆる武術ないしは古武術を稽古すること。理想を言えば、琉球古武術など中国の武術的思想の影響を受けたものが最適である。たとえば、琉球古武術における棍(棒)の用法などまさに孫子の曰う『常山の蛇』<第十一篇>そのもの具現化と言っても過言ではない。あるいはまた、捌きの用法によって『不敗の地』<第四篇 形>とは何かなどのイメージを具体的に得ることができるのである。ただし、現代におけるいわゆる武道スポーツは(その意味での)武術ではないので注意を要する。

 もし、武術ないしは古武術に触れる機会がないようであれば、極力、武術的思想とは何かを学ぶことが望ましい。その意味では、上記した(二)の実践的理論体系たる脳力開発は、つまるところ、日々の生活において「自己との対決」を否応無く迫られざるを得ないものゆえに、これと真摯に向き合い、絶えず脳力の向上に務めて行けば、必ずしも武術ないしは古武術に触れずともその目的は十分に達成することができる。

(四) 以上の点をまず優先的に実践し、而る後に余力があれば、あくまでも参考として第三者の活用事例、客観的立場に立っての解説、軍事だけを論ずるケーススダディーなどを学ぶこと。
 その意味で、一般的に謂われている孫子の活用のための方法論とは、まさに順逆が転倒していると言わざるを得ない。


 とりわけ最も肝心なことは、人生万般に通ずる孫子の「戦いの思想・理論・体系」とは何かをキチンと理解することである。根本が据わっていなければ所詮(しょせん)は付け焼刃で終ってしまうものなのである。一つの思想・理論を知るとは、たとえば、次ののごとくに考えることができる。

--------------------------------------------------------

 出家以前のブッダは釈迦族の王子としてまさに王侯貴族の生活を極め、満ち足りた人生を謳歌していたわけであるが、ふと気がついて、よくよく思索してみると、実は、老・病・死という人間の有限性・儚(はかな)さを重々しく担い込んだ哀れな生活であった。

 そのことに気がついた途端に、有していた若さも健康も富みも名誉も地位も一遍に消し飛んでしまい、身震いするばかりの不安(苦)を感じたのである。まさにブッダは「幸福なる豚」ではなく、「悩めるソクラテス」となったのである。

 この不安(苦)に正面から対決すべく全てを棄てて出家した仏陀は、彼の菩提樹の下で、「存在するものはすべて然るべき条件により生起し、消滅する(縁起)」「永久なるもの、不変なるものは存在しない(無常)」「無常なるものは苦なり」と開悟したのである。

 言い換えれば、苦は条件ありて生じたるものゆえに、その条件を取り除くことによって、それを克服できるということである。そのゆえに、為すべきことは何か、と言えば、まず、苦を成立せしめている条件を知ることであり、ついでその条件を取り除くための実践ということになる。

--------------------------------------------------------

 言わばこれが、ブッダの説くところの思想・理論の体系であり、それを基礎に据えての実践論的体系の本質である。言いたいことは、何であれ、一つの思想(哲学)を理解し活用するということは、表面的ではなく、深いところからその思想を考察する必要があるということである。

 それがあって初めて、個別特殊的な存在たる個々人が、現実の個別特殊的な修羅場に際会しても、臨機応変・状況即応して個別特殊的な処置がとれるのである。その対象とする分野こそ異なれ、孫子の場合もまさに同じように考えて然るべきものである。

 つまり、孫子を真に活用するためには、まず孫子の「戦いの思想・理論」の体系を知ることであり、次に、それが基底となり、背景となって展開される実践的理論体系を知ることである。

 この立場に立って初めて、「兵」、即ち「戦い」を論ずる孫子の兵法は、単なる兵法書・もしくは軍事だけの書という狭い範疇を超えて、人生万般に通ずる「戦いの思想・理論」として主体にうちあてられ、認得されるのである。


 以上の観点を踏まえて、巷の孫子本が提示するところの孫子活用のための方法論を分析すれば、概ね、次のごとくに分類される。


1、漢文学習的に孫子の概観を表面的に解説するもの。

 このタイプは、漢字だけで書かれた外国語たる孫子の原文(六千余文字)、および直訳的に日本語化されたいわゆる読み下し文とで構成され、孫子の言を漢文解釈的立場から解説するものである。

 その訳するところの読み下し文は確かに名文・美文の名に価するものであり、孫子を学ぼうとする初心者が、その大要を知る上においては極めて有意義なものである。が、しかし、それはただそれだけのことである。

 何となれば、例えば、二百七十余文字の漢字で書かれた「般若心経」の言葉の意味をいくら名文・美文の日本語に訳したからといってそれで般若心経の真髄を理解したということにはならないからである。

 仏教のエッセンスと謂われる般若心経の説く哲理の深遠さは、例えば、「色即是空、空即是色」の「空」の一文字を論じても万巻の書物が著されるがごときものであるから、両者の違いは論ずるも愚かなことである。

 要するに、孫子はもとより漢文であるから、その外国語を正確に理解することは極めて重要であるが、だからといってそれが直ちに孫子の活用に結び付くいう類のものではないのである。

 然りながら、「ものごとを深く考えることを好まず」、「一を聞いて、(十を知るのではなく)十を知った積もりになる」のが得意の日本人にとって、この手の書物がとりわけ好まれるようであり、書店では良く売れているようである。


2、孫子の原文は除外し、読み下し文の全文を一応掲載するが、その中心はあくまでも断章取義的にその名言名句をピックアップすることにあり、それに該当するような事例を機械的に当て嵌めて解説するのもの。

 このタイプの事例は中国古典から多く引用されている。(孫子もそうであるが)いわゆる漢文の大きな特徴は、簡潔すぎるくらい簡潔で省略が非常に多く、言わばメモに近いような文体をとることにある。

 そのゆえかどうか、この手の事例は、どうしても取って付けたような物言い、もしくはマニュアル的なニュアンスが強く、「生身の人間はその故事にあるがごとく、あるいはゲームのごときものと異なり、そんなに簡単に思い通りには動かないのでは…」と嫌味の一つも言いたくなるようなパターンが多い。

 言い換えれば、漢文の特徴たる言わばメモ文体を直訳しているに過ぎないため、戦いに関する思想・理論を語るには明らかに説明不足であり、深い洞察の書たる孫子を論じている割りには実に薄っぺら印象を否めない。しかし、上記した理由によりこの手の本も好まれるようである。

 上記の1、2のタイプは言わば文人たる漢学者の手になるものが多いようである。


3、読み下し文は「お飾り」として掲載され、その論述の中心は当人が専門としてきた、例えば軍事・ビジネスなどの知識や薀蓄(うんちく)・経験や体験などを披瀝することにあり、その権威付けのために断章取義的に孫子の言を利用するもの。

 このタイプのものは、そもそも、孫子の思想・理論を体系的に述べるものではないため、体裁こそ孫子の解説と銘打ってはいるが、必ずしも孫子である必要はなく、例えば、軍事ならばナポレオンでもクラウゼウィッツでも武田信玄でも織田信長でも誰でも良いわけである。言い換えれば、自己の論述に箔を付けるために単に孫子の名を利用しているに過ぎないのである。

 極論すれば、あくまでもそれは、例えば兵法書・軍事・ビジネスなどという一定の範疇に止まるものであり、そこを超えて人生万般に通ずる「戦いの思想・理論」としての孫子を論ずるものではないからである。


4、孫子のいわゆる金言・名句のみをピックアップし、まさに断章取義的に適当な事例を中心として解説するもの。

 このタイプのものは、基本的には前記、3と同じであるが、異なるのは前記のごとく余計なカモフラージュなどの小細工を弄せず、正直に古典解釈の便法たる断章取義を前面に打ち出したところにある。しかし、そのゆえに深遠なる戦いの思想・哲学としての孫子の体系は益々遠くに追いやられ、後には、薄っぺらなハウツウもの、あるいは単なるマニュアル本が残されるだけ、という図式になる。

 上記の3、4のタイプには言わば武人たる軍事専門家、もしくは様々な分野の実務家の手になる者が多いようである。


5、孫子を戦いの思想・理論の書と解して、その角度から論じている本も無いことはない。が、しかし、その体系的分析と把握、また兵法書という範疇からの脱却という側面においては不十分な感が否めない。この手の書物は、数多(あまた)の孫子本が混交する中、それなりの洞察力がなければその真贋を見分けることは難しい。


 以上を総括すれば、孫子の原文は、漢文の特徴たる言わばメモ文体であるため、これを解説しようとすれば、上記の1のタイプではもとより足りず、その欠点を補わんとするものが2のタイプ、それでは未だ足りないするものが3のタイプ、それでも未だ不十分とするものが4のタイプという図式になる。

 いずれにせよ、この四者に共通する点は以下の通りである。


(1)孫子を表面的・一面的・部分的に解説するものであり、孫子を本質的・全面的・体系的に理解するためのテキストとしては適当ではない。

(2)その特徴は、例えば兵法書・軍事・ビジネスなどという狭い範囲に限定され、そこを超えて人生万般に通ずる「戦いの思想・理論」としての孫子を論ずるものではない。

(3)いわゆる「現行孫子」と「竹簡孫子」との本質的違いがよく分かっていない。

(4)あまりにも第三者的、もしくは客観的立場に止まっての解説が多く、肝心の主体性の問題、つまり実践的な体系を論ずるものが少ない。そもそも、戦いという概念は、主体を離れては考えることができない。そのゆえに、戦いに関する普遍的真理たる孫子の思想・理論を、個別特殊的存在たる個々人が実践するためにはどうするかがポイントとなる。が、しかし、そこの視点が欠落しているのである。


 このゆえに、日本における孫子の活用と称される方法論の実態は、かなり的外れにして怪しきものと断ぜざるを得ない。願わくば、本年5月に設立されるという江蘇省蘇州市の「孫子兵法院」なるものが、かくのごとき日本の弊風を踏襲せねば良いが思う次第である。


 その点、(もとより我田引水の謗りは免れないが)当塾の孫子兵法講座は、いわゆる現行孫子と竹簡孫子双方の異同を校勘し、言わば月の裏と表から孫子の全体像を考察し、その思想・理論体系の全貌を明らかにし、かつ、故城野宏先生の提唱された脳力開発的視点から孫子の実践論的体系を提供するものである。

 そのゆえに、前記した「孫子兵法院」の教授内容がいかなるものか定かではないが、(孫子の活用という側面においては)当塾の提供する孫子兵法講座はそれに勝るとも劣らないなものであることは確信をもって断言できる。


※【孫子正解】シリーズ・第1回出版のご案内

 このたび弊塾では、アマゾン書店より「孫子兵法独習用テキスト」として 【孫子正解】シリーズ・第1回「孫子兵法の学び方」という書名で電子書籍を出版いたしました。ご購入は下記のサイトできます。

      http://amzn.to/13kpNqM


※お知らせ

 孫子塾では、孫子に興味と関心があり、孫子を体系的・本格的に、かつ気軽に学べる場を求めておられる方々のために、次の講座を用意しております。

◇孫子兵法通学講座
  http://sonshijyuku.jp/senryaku.html

◆孫子オンライン通信講座
  http://sonshi.jp/sub10.html
 
○メルマガ孫子塾通信(無料)購読のご案内
  http://heiho.sakura.ne.jp/easymailing/easymailing.cgi


※ご案内

 古伝空手・琉球古武術は、孫子兵法もしくは脳力開発をリアルかつコンパクトに学ぶために最適の方法です。日本古来の武術は年齢のいかんを問わず始めることができ、しかも生涯追及できる真なる優れものです。興味のある方は下記の弊サイトをご覧ください。

  http://kodenkarate.jp/annai.html

 第6回 進みては名を求めず、退きては罪を避けず2006.08.22
              孫子塾塾長・元ラジオ日本報道記者 佐野寿龍


 8月18日付け朝日新聞の「声」欄に「抗議の方向が違う気がする」と題された次の一文が掲載された。実に真っ当なご意見なのでそれを切り口に、現代日本社会に蔓延(まんえん)する言わば社会的思考力の幼稚さを考えてみたい。

--------------------------------------------------------
 スポーツ指導員 H・M (愛知県日進市 48歳)

 ボクシングの亀田興毅選手の試合を巡る反響の大きさに驚きながら、何となく腑に落ちないものを感じている。

 まず、マスコミへの不満がある。トリノ五輪、サッカーのドイツW杯、今回のタイトルマッチ…。注目選手をクローズアップし、結果がでないと掌を返したかのようなバッシング。「持ち上げて、煽(あお)って、落とす」方式だ。客観的な予想や結果分析、検証を行って欲しい。

 もう一つ不気味なのは、試合を放映したテレビ局などへの5万件を超えるという抗議の電話やメールの多さだ。視聴率が高かったにしても、そこまで行動を起こすほどのことだろうか。便乗や憂さ晴らしもあったのではないだろうか。

 この程度のことに抗議するなら、企業や官庁、政治家の不正、すでに始まっている大増税に抗議してはどうだろう。その方向に「怒りの矛先」を向ければ、間違いなく世の中はよくなると思うのだが。

--------------------------------------------------------

 管理人もこのご意見には満腔の意をもって賛意を表したい。まさに「抗議の方向が違う気がする」と言わざるを得ない実に嘆かわしい風潮であり、現代日本人の「志の低さ」と、「彼を知り、己を知る」という意味での思考力の欠落を如実に物語っている。

 ここで問題なのは、なぜ「抗議の方向」が亀田選手のタイトルマッチに向かい、「企業や官庁、政治家の不正、すでに始まっている大増税への抗議」に向かわなかったのかということである。

 言い換えれば、「娯楽・レジャー・スポーツ」の類の前者と、国民の死活問題に直結する後者とのいずれを重視するかという問題であるが、遺憾ながら(現象面から見聞きする限りでは)迷うこと無く前者が選択されたというである。

 ボクシングのルールや勝ち負けは誰が見ても非常に分かり易いが、政治・経済・税金などの問題は一般的には複雑で分かりにくいと言うことである。つまり、前者は「知っている・分かっている」から大騒ぎし、後者は「知らない・分かっていない」から無反応ということになる。

 仮に後者について(ボクシングの勝敗のごとく)誰もが良く分かることであるとすれば、おそらく非難轟々、世論は沸騰し大騒ぎになることは間違いない。

 逆に言えば、(国民生活を営む上で)我々の本当の敵は誰か、本当の友は誰かを区別できていないということである。まさに「彼を知らず、己を知らず」の状態であり、「戦う前にすでに敗れる者」と化しているのである。

 そのゆえにこそ、一般大衆は、日本の現状に(潜在的・本能的感覚として)言い知れぬ不満と焦燥感を抱いているのであるが、その鬱積した苛立ちが本当の問題と関係ないところ(例えば亀田選手のタイトルマッチ)で憂さ晴らしをしているということである。

 つまりは、「本当の問題(本当の敵)」に対して事の是非・善悪を本質的に考えることを避け、批判を放棄しているのである。人々が(ただ保身のためだけの空疎にして変てこなパフォーマンスに終始する)小泉首相のワンフレーズに惹かれるのも同じ理由である。その方が楽だからに他ならない。

 人間が万物の霊長たる所以(ゆえん)はまさにその大脳にある。(学者によれば)その大脳の最大の喜びは物を考えることにあるという。その意味では、「亀田選手のタイトルマッ騒動」のごとき現象は(一見ものを考えているようではあるがその実は)まさに動物と同次元での肉欲的本能を充足させたものに過ぎず、およそ人間本来の悦びたる精神的思考活動とは似て非なるものである。その意味では人間としての精神生活の放棄・喪失と断ぜざるを得ない。

 一説によれば、占領軍司令官のマッカーサー元帥は、日本が再び立ち上がってアメリカに逆らえないように日本民族の愚民化(去勢化)政策を実施したという。占領憲法と教育基本法がその中心であるが、さらに日本が気付かないようにして密かに国民が堕落、退廃するような3S(スポーツ・性の解放・映画)政策を奨励、実施させたという。

 要するに、国民生活の中心関心事が(物を本質的に考えること・勤勉に働くことを忘れさせ)野球・サッカー・ゴルフ・競輪・競馬・競艇・パチンコなど熱中するようになれば、日本国民を怠惰な精神生活の道へ追いやることができるというのである。

 「日本人の精神年齢は12歳」と見下していたマッカーサーの立場からすれば、日本が中途半端に「大人の国」になって再び軍事力という危険なオモチャを振り回すよりも、いつまでも「子供の国」のままでいた方がアメリカの安全にとって好都合というわけである。

 もとより、にわかには信じられない説ではあるが、戦後61年を経た昨今の世相、とりわけ今回の「亀田選手のタイトルマッ騒動」などを見ると、あながち故無(ゆえな)きこととしないのである。

 それはさておき、(娯楽・レジャー・スポーツとは異次元の)政治・経済・税金などの問題は、つまるところ人間が関わる問題ゆえに、リーダーをどう判断し選出するかという一点に帰結する。

 民主主義の民主主義たる所以(ゆえん)は、自分たちのリーダーを自分たちの手で選べるということである(たとえば徳川時代においては民衆が将軍や藩主を自由に選ぶことなどできようはずがない)。そのゆえに(国民生活の向上と幸せのためにも)そのリーダーの資質を判断する能力、選ぶ目をキチンと持つことは民主主義国家の国民として最低限の責務である(その集合が社会的思考力とも言える)。

 そのための最も適切な方法はリーダーの書たる「孫子」を読むことである。これをキチンと理解すれば物事に対する適切な判断基準が養成され、少なくとも、小泉首相の見え透いたパフォーマンスやワンフレーズにコロッと騙されるが如き事態は回避できるということである。

 孫子は例えばこのことを、『辞の卑(ひく)くして備えを益す者は、進むなり。辞の強くして進駆するものは者は、退くなり。』<第九篇 行軍>と論じている。情勢判断において、「言葉」や「表面的現象」によって惑わされるが如きは知性のない証左と曰うのである。

 もとより孫子は、(兵書という性格上)宗教やいわゆるイデオロギーとは無縁の言わば中性的な書物である。否むしろ、そのゆえにこそ、宗教やイデオロギーを超えこれを統べる思想が孫子であるとも言える。その意味で孫子の説くリーダー論は今なお、我々の道標となるのである。

 例えば、孫子は『進みては名を求めず、退きては罪を避けず、』<第十篇 地形>が真のリーダーの条件であるという。この原理原則を踏まえ、本物のリーダーを見極め選択することが我々の生活の向上・幸福に直結する道であることを知るべきである。

 もとより、人間生活において娯楽・レジャー・スポーツは重要である。だからといってそのようなもの夢中になり「物事を本質的に考える」という意味での精神生活を喪失してはならない。

 国民が肉欲的・物質的堕落の甘美さに現(うつつ)を抜かし、国家や政治に無関心で、未来を託すべきリーダーをファッションやパフォーマンスの巧拙、はたまた好き嫌いの感情で選ぶようになれば、その国はもはや(ローマの滅亡のごとく)衰退への道を辿ることを忘れてはならない。


※【孫子正解】シリーズ・第1回出版のご案内

 このたび弊塾では、アマゾン書店より「孫子兵法独習用テキスト」として 【孫子正解】シリーズ・第1回「孫子兵法の学び方」という書名で電子書籍を出版いたしました。ご購入は下記のサイトできます。

      http://amzn.to/13kpNqM


※お知らせ

 孫子塾では、孫子に興味と関心があり、孫子を体系的・本格的に、かつ気軽に学べる場を求めておられる方々のために、次の講座を用意しております。

◇孫子兵法通学講座
  http://sonshijyuku.jp/senryaku.html

◆孫子オンライン通信講座
  http://sonshi.jp/sub10.html
 
○メルマガ孫子塾通信(無料)購読のご案内
  http://heiho.sakura.ne.jp/easymailing/easymailing.cgi


※ご案内

 古伝空手・琉球古武術は、孫子兵法もしくは脳力開発をリアルかつコンパクトに学ぶために最適の方法です。日本古来の武術は年齢のいかんを問わず始めることができ、しかも生涯追及できる真なる優れものです。興味のある方は下記の弊サイトをご覧ください。

  http://kodenkarate.jp/annai.html

 第5回 日本人はなぜ孫子を学ぶ必要があるのか2006.08.07
              孫子塾塾長・元ラジオ日本報道記者 佐野寿龍


 当サイトではこれまで孫子兵法について、主体の確立を目的とする脳力開発の視点、竹簡孫子と現行孫子との異同による考察、断章取義的理解の誤りと体系的把握の重要性などを切り口として縷々(るる)論じて参りました。

 ここでは、『彼を知り己を知れば、百戦殆うからず。』<第三篇 謀攻>と、いわゆる「助長補短」策との観点から「日本人はなぜ孫子を学ぶ必要があるのか」を考えてみました。


 公平かつ客観的立場から見ても、我が日本民族の優秀性には定評があり、ひとしく世界の認めるところであります。しかしそれは(軍隊に譬えて言えば)将校や将軍としての優秀さではなく、どちらかと言えば、命ぜられたことには黙々と誠実に器用にこなす下士官・兵的資質において優れているという評価であります。

 言い換えれば、戦略的思考ができない、あるいは戦略的思考を不得手とするのが日本民族の特徴であり、裏を返せば、まさにそれこそが世界に冠たる優秀民族の弱点・アキレス腱に他ならず、偏狭な日本社会の陥り易い民族的欠陥とでも評すべきものであります。

 かつて、日本軍と直接戦った経験のあるアメリカ軍やイギリス軍、あるいはロシア軍の将軍たちの殆んど一致した意見として、「日本陸軍の下士官・兵は優秀だが、将校は凡庸で、特に上に行くほど愚鈍だ」と言われています。

とりわけマッカーサーは、「日本の高級将校の昇進は(戦争指揮の上手さ・巧みさの基準ではなく)単に年次による順送り人事によるものである。従って、日本の下士官・兵は強いが、日本の軍中央部は必ずしも恐れるに足りない」と断じています。

 つまり、日本の高級将校たちは、戦場における指揮能力以前の問題として、戦争をするためには絶対に必要な条件、すなわち孫子の曰う「彼を知り己を知る」という能力、言い換えれば、戦略の構想力が決定的に欠けていると言わざるを得ません。

 このゆえに、世界最強の軍隊は「統率力があり戦略に優れたアメリカ軍の将軍」と「状況判断が的確で戦術に巧みなドイツ軍の将校」、そして「命ぜられたことには黙々と誠実に器用にこなす日本軍の下士官と兵」の組み合せであると謂われるのであります。


 古来、異民族同士が血で血を洗う激しい興亡を繰り返してきたユーラシア大陸に比べて日本は周辺を海で囲まれた島国です。この海が自然の防壁をなしていたゆえに、近代まで日本が異国・異民族と戦った歴史はわずか三回(白村江の戦い・蒙古襲来・秀吉の朝鮮出兵)だけであります。

 言い換えれば、殺戮に継ぐ殺戮の殲滅戦を常とし、国家や民族の存亡を賭けた戦いが当たり前の中国や西欧文明の歴史とは「月とスッポン」の違いがあり、むしろ異民族との戦争は未経験に等しいと言わざるを得ません。裏を返せば、複数の文化をまたいで物事を判断しなければならないような厳しい環境で揉まれてこなかったということであります。


 要するに、外敵の侵入する恐れのない平和な島国にあって風俗・習慣・言語・思考を同じくする単一民族同士が、紛争解決の落し所を模索しつつ「まあまあ・なあなあ」の馴れ合いで持ちつ持たれつの関係を築いてきたというところであります。グローバルスタンダードとでもいうべき大陸的戦略思考が日本で発達しなかった所以であります。

 つまり日本人は「何が正しく、何が間違っているのか」という原理・原則で動くのではなく、まさに「和を以て貴しとなす」に象徴されるがごとく、日本人特有のあいまい・馴れ合いの情緒的大勢追随思考で動くということであり、そのゆえに時としてマインド・コントロールされ、思考停止のまま、お上(組織の上位者)の権威に盲目的に服従するという民族的欠陥が露呈されるのであります。


 孫子の曰う『彼を知り己を知れば、百戦殆うからず。』<第三篇 謀攻>とはまさに上記のごとき状況を総括して曰うものであります。先の太平洋戦争を見ても、日本人は「彼を知らず、己を知らざる者」であったと言わざるを得ない所以(ゆえん)であります。


 ところで、原理主義と言えば、日本では彼のイスラム原理主義を想起して何か恐ろしげでえたいの知れぬものと眉をひそめる向きも多いようですが、それは日本人の勝手な思い込みに過ぎません。
 基本的には、朝鮮・中国を始め、中近東・西洋の大陸諸国はすべて大なり小なりの原理主義が基調であることは常識です。

 蛇足ながら言えば、現代日本人が憧憬して止まないかつてのサムライ達は、武人の必読書たる孫子を愛読し、人間学の書たる四書五経を学び、その教えに従って行動したのです。

 言い換えれば、彼らの根本には確たる原理・原則が貫かれていたのであり、その意味ではまさしく大陸的発想たる原理主義者であったわけです。それによって培われた信念が例えば明治維新を支える大きな原動力の一つとなったのです。

 世界は今、グローバリゼーションの大潮流に覆われて激烈な大競争の時代を迎え、日本も明治維新・戦後に次ぐ大きなうねりの中にあります。このような危急存亡の秋にあって独り日本のみが特異な「あいまい・馴れ合い」思考に終始することは(楽で心地よいことことかもしれませんが)決して得策とは言えません。

 この情緒的な「あいまい・馴れ合い」思考のゆえに倒産の危機に瀕し、その体質ゆえに構造改革が進まない日産に乗り込み、日本人離れした戦略的発想をもって成功した好例が彼のゴーン社長ということであります。まさにこれこそ、日本が困った時に伝統的に神頼みとしてきたいわゆる「お雇い外国人」のミニチュア版と言うことになります。

世に「助長補短策」という言葉があります。長所を助けて短所を補う策という意味ですが、元来、手先が器用で勤勉な日本人にさらに戦略的思考が加わればまさに「鬼に金棒」ということになります。


 そのゆえに、今、日本人が焦眉の急として学ぶべきものは大陸的戦略思考(言い換えれば分析的思考・弁証法的思考)の代表たる孫子であると言わざるを得ません。

 これを真摯に学び、その哲学を自家薬籠中のものと化すれば、日本人は名実ともに世界に冠たる優秀民族になることは疑いようのないところであります。


※【孫子正解】シリーズ・第1回出版のご案内

 このたび弊塾では、アマゾン書店より「孫子兵法独習用テキスト」として 【孫子正解】シリーズ・第1回「孫子兵法の学び方」という書名で電子書籍を出版いたしました。ご購入は下記のサイトできます。

      http://amzn.to/13kpNqM


※お知らせ

 孫子塾では、孫子に興味と関心があり、孫子を体系的・本格的に、かつ気軽に学べる場を求めておられる方々のために、次の講座を用意しております。

◇孫子兵法通学講座
  http://sonshijyuku.jp/senryaku.html

◆孫子オンライン通信講座
  http://sonshi.jp/sub10.html
 
○メルマガ孫子塾通信(無料)購読のご案内
  http://heiho.sakura.ne.jp/easymailing/easymailing.cgi


※ご案内

 古伝空手・琉球古武術は、孫子兵法もしくは脳力開発をリアルかつコンパクトに学ぶために最適の方法です。日本古来の武術は年齢のいかんを問わず始めることができ、しかも生涯追及できる真なる優れものです。興味のある方は下記の弊サイトをご覧ください。

  http://kodenkarate.jp/annai.html
P1 P2 P3 P4 P5 P6 P7 P8
[編集]
CGI-design