第4回 譬えば驕子の若し、用う可からざるなり2005.09.09
              孫子塾塾長・元ラジオ日本報道記者 佐野寿龍


 9.11の国民投票的総選挙もいよいよ残すところ2日となりました。各党、終盤の追い込み演説に東奔西走して声を限りに絶叫し、そのボルテージは益々上がる一方です。

 この選挙戦に文字通りの意味で水を差したのが6日、西日本各地に多大の風水害(死者・行方不明者27人)をもたらした台風14号の動きであります。この間、マスメディアの関心はもっばら台風報道一色に染められ、連日の選挙報道もまさに片隅に追いやられた感があります。

 ときおりしも、この台風被害の報道と重ね合わせるように伝えられたのが大型ハリケーンに直撃されたアメリカ南部ニューオーリンズの悲惨な被害の詳報であります。犠牲者は数千人から一万人とも言われ、失政を重ねた末の「人災」との批判も多く出されております。

 自然災害の生々しい爪跡、絶望感・無力感に打ちひしがれ塗炭の苦しみに喘ぐ被災者の姿が大写しにされるとき、政府とは何か、政治とは何か、国民の幸せとは何か、指導者はどうあるべきかなどに思いを致さざるを得ません。

 ともあれ、この自然災害の言わば「水入り」を契機として、小泉首相の人を食ったような「郵政民営化」一本槍の盲(めくら)まし的選挙戦略に思考停止されていた有権者もようやくその呪縛から解き放たれ、日本や日本国民の将来、指導者のあり方とは何かという本来の問題に冷静な判断の目が向け始めたことは確かであります。

 余談ながら台風14号は、貯水率がほぼゼロとなっていた四国一の水がめ、早明浦ダム(高知県)の貯水率をわずか一日で一気に100%まで回復させるという恵みの雨ももたらしていますが、それと同じくこの「水入り」的報道の冷却期間が各党の思惑にどのような影響をもたらすのか興味のあるところであります。

 ここでは(小泉首相がせっかく国民投票と言ってくれているのでありますから)有権者、とりわけ無党派層はこぞって投票所に足を運び、この四年間、何一つ改革してこなかった小泉政治に対しはっきりと意思表示すべきであるというコンセプトのもと、そのための判断材料をいくつか提示してみました。

 孫子の曰う『廟算』<第一篇 計>とは、裏を返せば客観的事実をまず在りのままに知るということが前提になっています。その意味では中味は空っぽの「郵政民営化」などいうバラ色の将来の話よりも、彼のこれまでの言動と行動、その性格が一国の指導者として適当であるか否かを冷静に考える必要があります。

 そもそも第二院としての参議院は、いわゆる良識の府として存在し国民によって選ばれた各分野の専門家たる議員によって構成されています。その良識の府の判断として郵政民営化法案が否決されたからといって、(自らの指導力不足を棚に上げ)それは民意ではない、その是非を直接国民に問いたい、といって始まったのが今回の衆議院の解散総選挙であります。

 小泉首相のこの発言は一見、いかにも主権者たる国民のプライドをくすぐり耳に心地よく響きますが、実は、これほど国民をバカにした仰天発言は前代未聞ということになります。社会を支えているものは曲がりなりにも論理です。権力者ゆえにその論理を無視してやりたい放題のことをやっていいと言うのであれば、それはもはや独裁者の出現であり民主主義社会の崩壊を意味します。

 かつて小泉首相は自衛隊のイラク派兵に世論の大勢が反対だったにも拘わらず「世論は全て正しいとは限らない」と強弁して国会の賛成多数で可決し、「これこそが民主主義の基本だ」などとうそぶいていたのは記憶に新しいところです。

 その舌の根も乾かぬうちに今度は平然と「郵政民営化、是か非か、ぜひ国民の声を聞きたい、民意を問いたい」などと駄々っ子の如き甘えた声で媚(こび)ているのです。前言を翻すことをしないのが信条という小泉首相でありますが、これではまさに厚顔無恥の二枚舌、三枚舌の輩と言わざるを得ません。世の中のことは一事が万事、掛け声だけで中味が空っぽのパフォーマンス的構造改革も宜(むべ)なるかなであります。

 次に問題は、参議院議員の専門家としての知識能力と国民一人一人のそれを同列同格に扱っているということです。国民は専門家としての知識能力に不足があり適当でないゆえに、それに代わる人材として参議院議員を選んでいるわけです。
 つまり、彼らに公僕としての身分と時間と給与を与え、そのような問題を専門的に解決してもらうために養っているわけです。

 然るに、その分かっているもの同士の議論で否決された結果を否定し「これは国民の声ではない、その是非を直接国民に問いたい」などと駄々をこねて憚(はばか)らないのは無知なる国民をバカにし、同時に参議院の存在理由を無視し虚仮(コケ)にするものと言わざるを得ません。

 そもそも郵政民営化法案は是か非かなどという難しい問題は(専門に勉強しているわけではない)国民に分かるわけがありません。こんなことに真面目に答えようとする国民こそいい面の皮です。何のために国民の代表者たる参議院議員を税金を使って養っているのかという本質的な問題に帰結するからです。

 こんな馬鹿げた理屈が白昼堂々と通るなら、いっそのこと、国会や衆参両議員などは全て廃止して何でも国民に聞けば良いという(小学生でも分かる)おかしな話しとなります。

 ともあれ、小泉首相はそのことを百も承知で、否、承知しているがゆえに敢えて国民に聞きたいと言ってるのであります。なぜならば、小泉内閣の支持率は非常に高いので(欠陥法案たるその中味はさておき)少なくとも国民の過半数は無条件で賛成してくれるに違いないと踏んでいるからです。国民は郵政民営化正当性のための単なる道具に過ぎないということであります。

 逆に言えば、小泉首相は「無知な国民に細かな説明など不要である。ワンフレーズで十分である」と考えていると言わざるを得ません。まさに不誠実の極みであり、国民を舐めている所業と言わざるを得ません。

 その意味で小泉首相は、意志が弱いくせに(その証拠に彼の言う改革は道路公団民営化一つをとっても全て食い散らかしただけで、やり遂げたものは一つもない)頑固なだけが取り柄という駄々っ子の如く溺愛されて育った子供のようなものであります。

 因みに、この頑固さと意志の強さとは別物であって、一つの改革をやり遂げることができないから、他の改革へ目移りするだけなのです。その改革に乗り換えると何か素晴らしいものが開けるのではないかと空想してしがみつくだけです。怖いことに、そちらに代えたいと思うと、絶対にしがみつくのがこの種の子供の特徴なのです。彼の言う「郵政民営化」はまさにその典型と言わざるを得ません。

 しかし、乗り換えて見ると、これもまた同じく苦しい状況が生まれます。そうするとまた次ぎの改革が良いのではないかと考えるのです。このようにして改革らしきことをあれこれとかじっていって、結局は「竜頭蛇尾」「大山鳴動して鼠一匹」のごとく、常に大風呂敷を広げただけの低いレベルで終始しているのです。その意味で小泉首相はまさに頑固そのものでありますが、そのことと、一つのことをやり遂げるという意味での意志の強さとは自ずから別物であるということです。

 小泉首相の政治手法が全てパフォーマンス的に見えるのはまさに「溺愛されて育った子供」の特徴的性格の然らしむるところと言わざるを得ない所以(ゆえん)であります。

 苦しいところを突破できないのは、性格が弱いからでありますが、もとより彼は「自分は性格が弱いから逃げ出すのだ」などと、自分の欠点を素直に認めるわけがありません。むしろ、性格の弱い人ほど逆に、巧みな逃げ口上を探すものなのです。彼特有の詭弁はまさにそこに起因するものと推測できます。

 曰く、改革がうまくいかないのは抵抗勢力のせいだ、派閥政治のせいだ、参議院のせいだ、アジア外交がうまく行かないのは靖国参拝を批判する中国・韓国のせいだ、あるいは郵政民営化さえうまくいけば、すべての改革はうまくゆく、これが突破口だ、等々であります。

 逆説的に言えば、このような小泉政治に対し国民が意外性・新鮮味があるなどと評価して拍手喝采を繰り返している限り、日本の構造改革はいっこうに進まず、(数多ある改革の)一つの山すら乗り越えることができずに停滞するばかりということになります。

 仮にこの9.11総選挙で自民党・公明党が勝利し、郵政民営化法案が可決したとしても、その改革の実態は(これまでと同じく欠陥法案の)官僚への丸投げであり、小泉首相自身はと言えば、次なるパフォーマンスのネタ探しに血眼になるであろうことは火を見るより明らかです。

 「郵政民営化、是か非か、是非、国民に問いたい、国民の声を聞きたい」などという馬鹿げた発想は、母親に溺愛されて育った子供が「(参議院で)ダメなものはダメ」と言われたが、きついようでも最後のところは(自分の要求に)甘い母親(国民)の弱点を見抜き、粘れば、粘り勝ちできると踏んで打った常套手段であります。

 孫子はこれを『厚くして使う能わず、愛して令する能わず、乱れて治むる能わざれば、譬えば驕子の若し、用う可からざるなり。』<第十篇 地形>と論じています。要するに、溺愛された駄々っ子のごとき人物をリーダーとして起用してはならないこを曰うものですが、まさに、パフォーマンスばかりでは何も改革してこなかった小泉内閣の四年間にぴったり符号します。

 とは言え、彼のヒトラーの例を持ち出すまでもなく、人間社会の愚かしさは(政治的事情から)往々にしてこの種の人物がリーダーに任命され、後で臍(ほぞ)を噛む例が多いのです。

 このような人物に対しては、粘っても、ダメなものはダメと身をもって教えるしかありません。そもそも永田町の住人たる政治屋としては有能であっても、日本の確たる将来像も示せないリーダーの資質に欠けた人物を有能と錯覚して、あるいは人気がある、選挙に強いからという理由だけで祭り上げたのは有権者の責任です。

 もとより、誰を選ぶかはまさに有権者の自由でありますが、しかし、その反面、大いなる責任があることを自覚する必要があります。一国のリーダーを支持するのと、「ヨン様」を支持するのとは訳が違うのです。否、むしろ、知性を感ずるだけ「ヨン様」の方がましなのかも知れません。

 ともあれ、その政権が(たとえば改革断行という)約束に反したら有権者は責任をもって次の選挙で落とさなければなりません。責任に裏打ちされた自由こそが自由主義社会の根幹であることは世界の常識です(北朝鮮には間違ってもこのようなシステムは存在しません)。

 その選択の是非はどうあれ、この民主主義国家の常識すら示せないようでは日本人の知性を疑われるといっても過言ではありません。

 孫子はこのことを『辞の強くして進駆する者は、退くなり。』<第九篇 行軍>と論じています。要するに、(小泉首相の)言葉やパフォーマンス、(小泉政治の)表面的現象に惑わされるが如きは、知性が無い証左だと曰うのであります。

 因みに「知性が無い」とは知識がないということではありません。知識の有無ではなく、思考停止し、ものごとを考えようとしない姿勢を無知(知性が無い)というのです。言い換えれば、無知とは、問を発することができない状態を指すのです。

 世界に冠たる優秀民族の日本人は本来、ものを考える力を持っているのです。民主主義国家においては、個人の主義主張・心情はどうあれ、少なくとも政治は自分自身の問題として捉えるべきであり、他人事(ひとごと)として考えるべきではありません。この論理を無視することは自分自身の未来を権力者に白紙委任することと同義語であります。借金の保証人になることを白紙委任してヘラヘラ笑っている人がいるとすればまさにそれは「無知」の人であります。

 とは言え、(慢性的な低投票率に象徴されるがごとく)そもそも戦争の世界たる政治を、スポーツやファッションなど娯楽・レジャー・歌舞音曲の類と同列か、もしくはそれ以下に扱っているのが平和ボケ国家日本のおぞましい現実であります。

 孫子の曰う『兵は国の大事なり。』<第一篇 計>の真意が全く分かっていないと断言せざるを得ません。吾人が孫子を学ぶ所以であります。

 ともあれ我々選挙民は、溺愛された育った子供のごとき小泉首相がいかに逃げ口上を弄しても、全て詭弁でありその場限りのご都合主義であることを見抜かなければなりません。

 ことを表面的に判断し、ブレないのが小泉首相の魅力と短絡する人もおりますが、一つの改革すらやり遂げられずに官僚丸投げで放り出したり、国債発行について「この程度の公約を破ることはたいしたことではない」など、社会を支えている論理を平然と無視するがごときその場限りのご都合主義で言辞を弄するさまを見れば、まさにブレッ放しと言わざるを得ず、国政を担う政治家としての信念のかけらすら感じられないのは何とも空しい限りであります。


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 第3回 戦い勝ちて、天下善しと曰うは、…2004.05.26
              孫子塾塾長・元ラジオ日本報道記者 佐野寿龍


 上記の言は「世間の人が喝采を浴びせるような劇的な勝利、あるいは際どい辛勝は、スポーツや賭博の場合ならいざ知らず、こと国民の死生・国家の存亡が懸かった戦争においては最も望ましくない勝ち方である」という意である。要は、国民の生命・国家の命運を担う一国のリーダーたる者は、準備不足のまま鬼面人を驚かすようなスタンドプレーをもって「一か八か」の勝負を挑んではならないことを曰うものである。

 さて、例によって鳴り物入りで行われた小泉流サプライズ(驚き)外交たる日朝首脳会談について、朝日新聞が緊急の全国世論調査(5/23)を実施したところ、小泉首相の再訪朝を「評価」するとした人が67%、内閣支持率も前回調査の45%から54%に上昇したという。この数字を見る限りでは、まさに小泉首相の意図した通りの「訪朝効果」が如実に表れた格好と言わざるを得ない。その意味ではまさに『戦い勝ちて、天下善しと曰う』ことになる。

 この予想外の好反響に最も驚いたのは当の小泉首相や政府関係者であり、意外な結果に戸惑ったのは「再訪朝は大失敗」と受け止めていた民主党や拉致被害者の家族会である。なぜならば、この北朝鮮再訪問をめぐっては当日の22日から拉致被害者の落胆振りや家族の怒りの声がテレビで繰り返し流されていたからである。

 とりわけ、NHKは、今や社会現象化した人気抜群の「冬のソナタ」を始め通常の番組をすべて飛ばしてまで特番を組み、日朝首脳会談の成果を賑々しく報道すべく、てぐすね引いて待ち構えていたのであるが、あまりに拍子抜けする中味のない結末であったため、結果として、怒りも露わに小泉批判をぶち上げる家族会の映像を延々と流し続けざるを得なかったのである。
本来、公共放送たるNHKがこのような見え透いた政治的パフォーマンスのお先棒を担ぐのは不見識な話である。せいぜいニュース枠を拡大して報道する程度の代物と解すべきである。
 
 また、NHKと並んで特番を組んだ「テレ朝」では、取材陣のかくあれかしという希望的観測の表れなのか、安否不明者の十人のうち「二人の生存が確認された」などの誤報を流して謝罪するというハプニングまで起きた。

 逆に言えば、このようなドタバタ劇は今回の小泉再訪朝が(大方の期待に反し)明らかに「大失敗」であったとの印象を与えるのに十分であったのである。にもかかわらず、前記の世論調査によれば、実に七割近い人が今回訪朝を高く「評価」したわけであるから、その落差の大きさには戸惑う人も少なくなかったのである。

 とりわけ、某テレビ局のゲストコメンテーターなどは、ある新聞社の世論調査は22日の結果であって、23日のものとは思えない(つまり回答者の多くは被害者家族の怒りについての報道を知らない人たちであるとの意)、大手新聞がこんないいかげんな世論調査を発表していいのか」とするコメントまで出したのであるが、結局それは当人の勘違いであることが判明し、改めて某テレビ局が謝罪する一幕もあった。

 ともあれ問題は、このような現象をどう見るか、はたまたいかに対処すべきかということである。ここで視点を変えて、今回の小泉再訪朝の成果を端的に言えば、コメ25万トン(500億円)の食糧援助・一千万ドル(11億円)相当の医薬品という身代金を支払い、さらに経済制裁措置の発動はしないというお土産を持参して被害者家族の5人を受け取りにいったというだけのことである。

 これでは被害者の家族会ならずとも、声を荒げて「子供の使い」呼ばわりし、「一国の首相のすることか」と罵倒せざるを得なかったのは当然である。首相の再訪朝が拉致問題解決の最後の切り札である以上、個人的パフォーマンス・党利党略のことなどまず念頭から外し、あくまでも大局的・客観的見地から拉致問題解決のための最善策を慎重に考察すべきだったのである。

 もとより独裁国家たる北朝鮮に国民の自由意志などあるわけがない。人々は家畜ならぬ国畜のごとくその一挙一動を監視・管理され、生殺与奪の権を握る飼い主たる金正日の命令で動いているのである。逆に言えば、曽我さんの夫、ジェンキンス氏と二人の娘を返そうという意志があるならが、金正日が命令すれば済むことである。これを説得しようと試みることなどまさに茶番劇であり虚しい努力と言わざるを得ない。また国家的最重要人物たる日本人拉致被害者の安否や所在などを主謀者たる当人が知らぬ訳が無い。要は、身代金を取れる金の卵たる人質をそう簡単に手放さないというのが金正日の基本戦略なのである。

 ゆえに、圧力と対話が必要とされるのである。ましてや、平素から「テロに屈しない」と高言している首相が単なる選挙目当てのパフォーマンスとして、国家テロの大本締めたる金正日に大枚の身代金を払い、あたかも成果を挙げたごとく装うのは言語道断と言うべきであり、日本国民を愚弄する所業と言わざるを得ない。

 ところで、今度の小泉再訪朝の成果として被害者家族5人の帰国を挙げる人が多い。しかし、そんなことはあたりまえのことである。当たり前のことを成果というのなら、日々変化し続けている「生物たる人間」は、生きているというただそれだけのことをもって成果をあげていると言うことになる。言い換えれば、細い毛を持ち上げたから力持ちである、太陽や月が見えるから目が良い、雷のなる音が聞こえるから耳が良いと言っているようなものである。

 孫子はこのことを『秋毫(しゅうごう・生え変わったばかりの細い毛)を挙ぐるは多力となさず、日月を見るは明目となさず、雷霆を聞くは聡耳と為さず。』<第四篇 形>と論じている。

 こんな成果が果たして成果と呼べるのか、普通の大人の常識で考えれば論ずるまでもないことである。然るに前記したごとく世論の七割近くの人は、これを評価しているという。然らば彼らは何を評価しているのか。煎じ詰めて言えば「被害者家族5人の帰国が実現し、念願の親子の対面が叶ったのは良かったね」ということであり、感動の名場面に素直に拍手を贈っているに過ぎないのである。これをもって拉致問題の解決があったとは誰も考えていない。それを如実に示しているのが先の世論調査であり、実に六割以上の人が北朝鮮への援助に反対していると言う事実である。

 5月27日付けの新聞報道によれば、被害者家族会に反発する人たちの批判メールや電話が殺到してるという。いわゆる「自己責任」論に対するバッシングの構図とそっくりの現象である。もはやここまでくれば、誰かの勢力が意図的に世論を操作しようとしていると考える他ない。

 例えば幕末の新撰組のごとく、いつの時代でも、現体制派への盲目的服従者というものはいるものである。。しかし彼らは社会変革の歩みを遅らすことはできても新時代の創造的革新をリードすることはできない。まさに、『戦い勝ちて、天下善しと曰うは、善の善なる者に非ざるなり。』<第四篇 形>で、多数意見が必ずしも正しいとは限らない。否、むしろ大衆は、あたかも芝居や映画を見物するがごとく、「はらはら、どきどき、手に汗握る」パフォーマンスの分かり易さを好むものである。

 そのような虚につけ込んで現政権による意図的な世論操作・誘導の手法が頻繁に行われていることを我々は心すべきであり、そのような政治スタイルに騙されてはならない。さもなければ世の中はまさに衆愚政治の坩堝(るつぼ)と化してしまうであろう。換言すれば、謀略にいかに対処するかという問題である。孫子はこれを<第十三篇 用間>で論じている。吾人が孫子を学ぶ所以である。

 要は、たとえ少数意見に見えようとも正しいものは正しい、間違っているものは間違っていると(根拠を提示して)堂々と主張することが重要なのである。その意味で言えば、一般的に、真のリーダーたる者は、間違っても(小泉首相のごとき)スタンドプレイやパフォーマンスをもって鬼面人を驚かすような所業はしないものである。『善く戦う者の勝つや、奇勝無く、智名無く、勇功も無し。』<第四篇 形>とはまさにそのことを曰うものである。


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 第2回 必生は、虜(とりこ)とす可く、…2004.05.15
    
              孫子塾塾長・元ラジオ日本報道記者 佐野寿龍


 国民年金未加入歴問題で辞任した民主党・菅直人前代表は、年金改革関連法案での三党合意(与野党で年金一元化を含む抜本改革を三年かけて協議する代わりに、今国会での政府案の成立には抵抗しないという約束)に最後まで固執し続けたが、これほど分かりにくいものはない。 民主党が「政府案ではダメだ」と言って抜本改革の対案を出し、国民に真正面から年金問題で参院選を戦う姿勢を明らかにしてきたのは一体何だったのか、ということである。

 「三党合意は絶対に認められない。撤回だ」とする小沢一郎代表代行ならずとも、菅前代表の(乱世のリーダーにあるまじき)変節を疑わざるを得ず、与党への譲歩だとして批判の集中砲火を浴びたのも宜(むべ)なるかなである。
 言い換えれば、多くの国民が疑心と不安を抱いている年金改革において、その声を代弁して戦うべき野党第一党の民主党が自民・公明両党と同じ土俵に乗ったという不透明さがが国民の反発を呼んだのである。まさに「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の図式ではあるが、その無責任さに国民の政治家不信が増幅されたのである。

 確かに「与党案への反対は変わらない。三党合意はあくまでも民主党が主張する年金一元化へ向け、与野党が話し合いの場をつくるための合意である。大事なことはそうやって制度の中味を良くすることである。そこを理解してもらいたい」という菅氏の説明も分からないわけではない。

 しかし、それはあくまでも戦うことを避けた、言い換えれば、単に事を先送りしたことに対する言い訳にしか聞こえない。つまるところ、今回の三党合意は、お互いに脛に傷を持つ身の与野党が仲良く臭い物に蓋をしようとしただけのことと言わざるを得ないのである。

 政治は生き物であり「一寸先は闇」ゆえに、生き残るための固定した原理・絶対的な原則などはない、あるのは利用すべき状況だけ、というのがセオリーである。得意の弁舌をもって舌鋒鋭く政敵に迫るのが菅前代表の身上であるが、さすがにことが自身の保身上のこととなると政権交代を視野に入れた民主党代表という地位に執着して知恵の鑑も曇り、状況判断を誤るものらしい。
 国民の多くは「今の国会議員たちに年金改革をもっとらしく語る資格があるのか」と怒っているのである。その政治家不信の怒りに油を注いだのが菅氏の釈明行脚であり、それを読み切れなかったところに大ポカの原因があるのである。

 無形たるそのような怒りの感情を巧みに利用して、その矛先を相手に向けさせ我が攻撃力を倍化させるのが、孫子の曰う「勢」である。もとより将たる者は沈着冷静でなければならないが、状況の中にそのような怒りの感情の兆しがあれば、鋭敏にこれを察知し、躊躇すること無く活用することが、『兵とは、詭道なり。』<第一篇 計>の所以である。

 然るに、頭で考えた知識、つまりは「三党合意はあくまでも民主党が主張する年金一元化へ向け、与野党が話し合いの場をつくるための合意である」などと言っているようでは、政治家としての誠意・理想は分かるが所詮は青臭い書生の論議に過ぎず、敵を圧倒する「勢」の演出など望むべくもない。つまり、国民には、政権交代・日本再生を目指して戦う政党の党首としては甚だ心細く映ったのであり、図らずも政治家不信を増幅する結果しか生まなかったのである。まさに『旌旗の動く者は、乱るるなり。』<第九篇 行軍>である。

 そこに行くと、自らの政治信念に従って三党合意にはあくまで反対し、小沢待望論の全党的大合唱が澎湃(ほうはい)として湧き上がるのを待ってようやく腰を上げた小沢代表代行の「勢」のつくり方は見事である。党首交替も宜(むべ)なるかな、と言わざるを得ない。

 ともあれ菅氏は、法案が衆院の委員会を通過するまで未加入歴のウソを突き通していた福田前官房長官をはじめ、それに輪を掛けた公明党の三首脳、そして総元締めたる小泉首相に至る厚顔無恥の面々の「国民を舐めきった後出しジャンケン」を見抜けなかったということである。
 もとよりジャンケンの後出しはルール違反であるが、何でも有りのルール無き政争の場においてはそんなものは通用しない、嵌められた方、騙された方が悪いのである。

 然らば、なぜ菅氏はあえなく与党の罠に嵌まり、自ら墓穴を掘ってしまったのであろうか。菅氏にとって三党合意案は、まさに自身の未加入歴批判をかわす「起死回生の妙策」のごとく見えたのであるが、所詮は、党首の座を守ろうとするその未練心を百戦錬磨の与党に見透かされそこに乗ぜられた不覚の一手に過ぎなかったのである。

 与党の立場に立てば、菅氏はまさに『必生は、虜(とりこ)とす可く、』<第八篇 九変>と映ったのであり、菅氏自身の立場に立てば、まさに呉子の曰う「死を必すれば(死ぬのが当然と思い定めれば)則ち生き、生を幸すれば(生きたいと願えば)則ち死す」ということである。

 いずれの道をとっても辞任せざるを得ず、かつ三党合意に何の意味もないとすれば、そもそも菅氏が固執し続けた(三党合意という)決断は一体なんだったのだろうか。吾人が兵法を学ばなければならない所以である。


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