孫子兵法

孫子兵法

第十回 M・M 『孫子に学ぶ脳力開発と情勢判断の方法』

〔1999/11/16〕

                 一般社団法人 孫子塾塾長・元ラジオ日本報道記者 佐野寿龍



兵法(兵法的思考法)の普遍性と特殊性



 みなさま今日は、孫子塾の佐野寿龍です。一般に、ものごとを成功に導くためには、個人の場合であれ、組織の場合であれ、「正鵠を射た理念」「それに基づく戦略」「それを首尾一貫して遂行する指導力」の三要素が必要と謂われております。

 もとよりこのことは、兵法(兵法的な思考法)を学ぶ場合においても例外ではありえません。特にここでは、その場合における「正鵠を射た理念」とはなにか、について考えて見たいと思います。つまり、兵法(兵法的な思考法)の真の価値・特質とは何か、ということであります。

 巷間、兵法は策略の書と解され、いかに相手を欺くか、その原理原則(あるいはテクニック)を学ぶことをもって兵法を知ることと解されているようです。例えば、よく見受けられるのは、古代中国の故事にある戦術・計略の類をひもといたり、兵法三十六計などを読むことによって、恰(あたか)もそれを兵法と錯覚して悦に入っているが如しであります。

 然し残念ながら、あるいは、あに図(はか)らんやというべきか、兵法はそのようにして学んだ原則(理論)それ自体に秘密があるわけではないのです。

 

 それはあくまでもはかりごとの一般法則を説明したものにすぎないのです。

 

 今回は、兵法を学ぶ上においての正鵠を射た理念、つまり、兵法の真の価値・その特質はどこにあるのか、という極めて本質的な問題を取り上げ、併せて、孫子はそのことについてどう曰っているのかを検証してみたいと思います。

 実は、中国の故事の中で「兵法(作戦・用兵)は原則自体に秘密があるわけではない」ことをはっきりと明言しているのが、韓信の「背水の陣」なのです。


 漢王の二年(前204)、漢の名将・韓信は魏を破った勢いに乗じ、大行山脈を越え、井輕(せいけい)の隘路を通って趙に侵攻しようとした。趙王・歇(けつ)と成安君・陳余(ちんよ)は二十万の大兵を集めて、隘路の出口を制するところの城を固めた。

 この時、趙の謀将、広武君・李左車は次のように進言した。

『韓信は黄河の守りを突破し、魏王を虜にし、代の宰相・夏説を生け捕り、連戦連勝して、勢いまことに盛んですが、彼には、勝にまかせて遠く本国を浴vれている不利があります。特に井輕の隘路は狭く、車も並んでは行けず、騎馬も列を作ることができません。
 自然、部隊は長くなり、糧秣隊は遅れて遠くにあると思います。王は決して出撃することなく、堅固に城をお守りください。
 私は奇兵三万を率いて間道から敵の側背に迫り、糧秣隊を襲撃しましょう。さすれば、敵は進んで決戦することもできず、退こうにも退けず、そのうちに食料が尽きて自滅し、十日も出ないで韓信の首を見ることができましょう。…』

 将軍・成安君はこの提案をしりぞけ、『韓信の兵は数万と号するが、実際は数千にすぎまい。しかも本国を浴vれること千浴uの遠征であり、極度に疲労している。迂遠の策など用いる必要はない。…』と、正攻法により一撃で勝ってみせると豪語した。

 スパイからこの話を聞いた韓信は大いに喜び、直ちに進撃を開始して、隘路の出口の手前約二十キロの所で兵をとどめ、軽装の奇兵二千に次の命令を与えて先発させた。

『各人一本ずつの赤旗をもち、間道をつたってひそかに敵城に近づき、山にかくれて様子をみておれ。我が軍が敗走すると、敵は必ず城を空にして追撃してくるから、その隙に城に入り、趙の旗を抜いて、漢の赤旗を立てよ。…』
 次に、兵一万を隘路口を流れる「てい水」の川向こうに進めて、背水の陣をとらせた。これを望見した趙軍の将兵は、その原則はずれの配備を笑った(丘陵を後にし、水沢を前にして陣するのが兵法の原則である)。

 翌朝、夜が明けはなれるとともに韓信は直卒の精鋭部隊をもって城に攻めかかった。趙軍は城門を開いて出撃し、両軍は激しく戦ったが、やがて韓信直卒部隊は敗退を装い、鼓も旗も打ち捨てて、川岸の陣内へ逃げ込んだ。

 趙軍は(韓信軍がもっとも条件の悪い背水の陣となったため)しめたと喜び勇んで城を空にし、全軍をあげて攻勢に出たが、後に河を控えて逃げることのできない韓信軍は、死戦するので手がつけられない。

 やむを得ず攻撃を打ち切って城に引き返すと、驚いたことには、城壁一面に漢の赤旗が立ち並んでいる。呆然と立ちすくんでいるところを前後から挟撃された趙軍はたちまち崩壊し、成安君は死に、趙王・歇と謀将・広武君は生け捕りにされた。

 漢の諸将は、敵の首級と捕虜を戟vじ、祝いを述べたあと、韓信にたずねた。

「今日、将軍は兵法の原則とは逆に、我々に水を背にして陣どらせ、『必ず趙を打ち破る』といわれました。私たちは本気にしなかったのですが、こうして将軍の言われるとおりになりました。これはどうゆう戦術なのですか」

「これも兵法にある。ただ諸君が気がついていないだけのことだ。兵法に『兵は、これを死地に陥れてはじめて生き、亡地に投じてはじめて存す』とあるではないか。わが軍は新規の兵よりなり、残念ながら烏合の衆である。後に河がなければみな逃げてしまう。かれらは逃げられないから必死で戦い、趙の大軍を撃退できたのである。…」

 諸将たちは、みな感服し「自分たちのとうてい及ぶところではない」と言ったという。


 ここで韓信が言いたかったことは、「現実の問題解決に当たっての状況判断の適否は、事の本質を踏まえた上で、いかに臨機応変・状況即応するかにかかっている。そのためには兵法原則の普遍を知るとともに特殊を知り、その利用に当たっては、みずから考えるものでなければならない」ということであったと推察されます。

 言い換えれば、原則(理論)は、はかりごとの一般法則を説明したものにすぎないのであり、これを個別具体的な場にいかに応用していくかそれが問題である、とも言えます。

 もとより兵法は、詭道をもって本質とするものです。しかし、それゆえにこそ、人は「アタマ」ではその意義と価値を理解しても、実際の状勢・問題に直面する場合には、必ずしもその価値と効用を納得するものではない、というのが現実の姿ではないでしょうか。

 例えば、「喫煙の害」など、だれでもアタマではよく分かっています。しかし、現実に禁煙が「アタマ」で考えた通りに実行できないのは、この辺の事情を余すところなく物語るものであります。

 理屈はどうあれ、つまりは「分かっちゃいるけど止められない」というのが偽らざる人情の常、と言わざるをえません。

 逆に言えば、あたかも「コロンブスの卵」の如く、万人が納得せず認識し得ないところに兵法の価値と特質があるとも言えるのです。

 つまり兵法(作戦・用兵)は原則自体に秘密があるわけではないのです。

 戦いは、一つして同じものはありません。「背水の陣」にしても、その時代のその局面の、かつ韓信という人物を条件とする戦いなのです。
 このゆえにこそ、その原則の普遍を知るとともに特殊を知り、その利用に当たっては、みずから考えるものでなければならないのは理の当然なのです。

 その前提の上にたち、実際の状勢・問題に直面して、それをいかに応用するかの「独創性」、そしてその実行を担保する「決断力」と「実行力」にこそ兵法の真の価値と特質があると知るべきなのです。

 ここのところをわきまえずに、知ったかぶりで、一知半解の兵法理論を振り回し、向こう見ずに実行することを吹u間では「生兵法は大ケガのもと」あるいは「策士策に溺れる」と言うのでしょう。

 また、古今を通ずる名将や大事業を成し遂げた人々の中には、孫子を学んだ人よりも、むしろそうでなかった人々も多かったようですが、その理由も、兵法の真の価値と特質という観点から考えれば蓋(けだ)し当然のことといえます。

 とは言え、かれらの仕事のやり方はいずれも孫子の考え方に酷似しているということもまた偽らざる事実といえます。
 このゆえに、(単なるテクニックとは似て非なる)孫子流の思考法が、組織体のリーダーとして仕事をなしとげるために最高かつ共通の智力であることは納得せざるを得ないのであり、ここに我々が孫子を真摯に学ぶ意義があると言えるのです。

「竹簡孫子」には、『天とは、陰陽・寒暑・時制なり。順逆にして兵は勝つなり』<第一篇 計>の言があります(現行孫子には、順逆にして兵は勝つなりの句はありません)。

 これは「天候・気象・時の変化などの条件を順用すること、または逆用することの両面について、その道理(禍を転じて福となす)を十分に研究せよ。兵は斯かる順逆の理に従いてこそ勝利をおさめるものである」という意味ですが、この「順逆の理」を活用したものが「背水の陣」であるとも言えます。
 孫子はこれらのことをすべてひっくるめて『能(よ)く敵に因(よ)りて変化し、而して勝を取る者、之(これ)を神と謂う』<第六篇 虚実>と曰うのです。

 兵法とは、言わば応用学であり用途発見学なのです。このゆえに、兵法の知識は、他の学問のように、それ自身で完結するのではなく、絶えず実戦(あるいは実践・行動・成果)によって検証されなければならないところに厳しさと特質があるのです。
 このゆえにまた、孫子が<第一篇 計>で曰う『之(道・天・地・将・法の五事)を知るものは勝ち、知らざる者は勝たず』とは、一般に解されているように、知識としてアタマで理解する、という類のものでないことは明らかです。

 孫子は、厳しい現実を冷徹に直視し、そこに関わる人間行動としての、やるかやらないか、勝つか負けるか、生きるか死ぬかの実行レベルの吹u界を説いているものでありますから、いわゆる、知・情・意の「知」のみの部分(アタマだけ)でこれを理解しようとしても永久に平行線のままということになります。

 いわゆる兵法テクニックと称される策略など言われなくても誰でも思いつく程度のものと言えます。しかし、真の秘密はそこにあるわけではありません。
 そんなことは誰でも知ってはいるが、しかし、いざ現実の実行レベルとなると、往々にして(コロンブスの卵の例えの如く)万人がその意義と価値を納得せず認識し得ないものなのです。

 それをいかに克服するか、事の本質を踏まえ「ねらい」をいかに実現させるか、そこにこそ兵法(兵法的思考法)を学ぶ真の価値があるのです。その智恵を学ぶものとしては、孫子ほど適切・適確なものはありません。

 孫子が兵書中の兵書と称される所以なのです。このこともまた、孫子を学ぶ上においての「正鵠を射た理念」と言えるのではないでしょか。

 それでは今回はこの辺で。

 

※【孫子正解】シリーズ・第1回出版のご案内

 このたび弊塾では、アマゾン書店より「孫子兵法独習用テキスト」として下記のタイトルで電子書籍を出版いたしました。

  【孫子正解】シリーズ 第1回「孫子兵法の学び方」

 

※お知らせ

 孫子塾では、孫子に興味と関心があり、孫子を体系的・本格的に、かつ気軽に学べる場を求めておられる方々のために、次の講座を用意しております。

孫子兵法通学講座
  
孫子オンライン通信講座
   
メルマガ孫子塾通信(無料)購読のご案内  

 

※併設 拓心観道場「古伝空手・琉球古武術」のご案内

 古伝空手・琉球古武術は、孫子兵法もしくは脳力開発をリアルかつコンパクトに学ぶために最適の方法です。日本古来の武術は年齢のいかんを問わず始めることができ、しかも生涯追及できる真なる優れものです。

 孫子を学ぶのになぜ古伝空手・琉球古武術なのか、と不思議に思われるかも知れません。だが、実は、極めて密接な関係にあります。例えば、彼のクラウゼヴィッツは、「マクロの現象たる戦争を、言わば個人の決闘的なミクロの戦いへ置き換えることのできる大局的観察能力・簡潔な思考方法こそが、用兵の核心をなすものである」と論じています。則ち、いわゆる剣術の大なるものが戦争であり、勝つための言わば道具たる剣術・戦争を用いる方法が兵法であるということです。

 とりわけ、スポーツの場合は、まずルールがあり、それをジャッジする審判がいます。つまり、スポーツの本質は、娯楽・見世物(ショー)ですから、おのずから力比べのための条件を同じくし、その上で勝負を争うという形になります。つまりは力比べが主であり、詭道はあくまでも従となります。そうしなければ娯楽・見世物にならず興行が成り立たないからです。

 これに対して、武術の場合は、ルールもなければ審判もいない、しかも二つとない自己の命を懸けての真剣勝負であり、ルールなき騙し合いというのがその本質であります。つまるところ、手段は選ばない、どんな手を使ってでも「勝つ」ことが第一義となります。おのずから相手と正面切っての力比べは禁じ手となり、必ず、まず詭道、則ち武略・計略・調略をもってすることが常道となります(まさにそのゆえに孫子が強調するがごとく情報収集が必須の課題となるのです)。

 つまり孫子を学ぶには武術を学ぶに如(し)くはなしであり、かつ古伝空手・琉球古武術は、そもそも孫子兵法に由来する中国武術を源流とするものゆえに、孫子や脳力開発をリアルかつコンパクトに学ぶには最適の方法なのです。

 古伝空手・琉球古武術は、日本で一般的な、いわゆる力比べ的なスポーツ空手とは似て非なる琉球古伝の真正の「武術」ゆえに誰でも年齢の如何(いかん)を問わず始めることができ、しかも生涯追及できる真なる優れものであります。興味のある方は下記の弊サイトをご覧ください。

☆古伝空手・琉球古武術のすすめ

ページTopへ戻る