第十一回 M・M 『孫子に学ぶ脳力開発と情勢判断の方法』
〔1999/12/01〕
一般社団法人 孫子塾塾長・元ラジオ日本報道記者 佐野寿龍
孫子と「兵法三十六計」シリーズ(その二)
囲魏救趙と孫子兵法「迂直の計」との関係
皆様こんにちは、孫子塾の佐野寿龍です。いよいよ歳末を迎え何かと気ぜわしく、あわただしさが増してくる今日この頃ですが、心のゆとりだけは忘れずに悔いのない日々を過ごしたいものです。
さて、今回から少し趣向を変えて、孫子と兵法三十六計を絡めた解説をシリーズでお届けして行くことにいたしました。
それに先立ち、兵法三十六計とは何か、孫子との関係は、などについての言わば総説部分、及び、第一計「瞞天過海(まんてんかかい)」につきましては、既に11月22日更新の「孫子ホームページ講座」で解説しておきましたのでそちらをご覧になってください。
従ってここでは、第二計「囲魏救趙(いぎきゅうちょう)」と孫子兵法「迂直の計」との関係を解説いたします。
一、第一部 勝戦の計・第二計「囲魏救趙」について
(1)計名の意味
第二計の計名にいう囲魏救趙(いぎきゅうちょう)は、「魏を囲んで趙を救う」と読みます。この故事は『強大な敵の主力部隊を他国に釘づけにし、その隙を衝いて敵の本国に攻めこみ、敵があわてて引き返してきたところを待伏せ攻撃してこれを壊滅したという孫ぴんの兵法』に由来するものです。
つまり囲魏救趙とは、「強敵に対し、正面から戦いを挑むのは得策ではない。ひとまず力ずくの対決を避け、大局的観点から敵の要所(弱点)とその油断(虚)を見出し、計略をもってそこを攻撃せよ」の意となります。
(2)第二計の解題(内容の大意)
「共敵は分敵に如かず。敵の陽なるは敵の陰なるに如かず」
「共」は、「そろって、一つになって」の意。つまり、「共敵」とは、兵力の集中している敵をいう。「分」は、逆に「ばらばらになる、分散」の意。つまり、「分敵」とは、兵力の分散している敵をいう。
「陽」は、(易の用語で)男性的・積極的・動的なものを表し、ここでは、先に仕掛ける戦略の意。「陰」は、女性的・消極的・静的なものを表し、ここでは、あとから制圧する戦略の意。
つまり、この解題は「集中した強敵を正面攻撃するよりも、(計略をもって)兵力を分散させてから撃ったほうがよい。(強敵に対しては)先に攻撃を仕掛けるよりは、相手の仕掛けを待って、あとから制圧したほうがよい」の意となります。
言い換えれば、「もつれた糸を解くには、むやみに引っぱってはならない。同じように、喧嘩の助太刀も、こちらがやみくもに争いに加わってはならない。要所を衝き虚を衝いて、相手のかまえや勢いを崩せば、おのずから解きほぐすことができる」ともいえます。
二、孫子の「迂直の計」について
孫子は、軍争の香u難さ(ここでは、われに不利な状況をいかに転換するかの意)を「迂(迂回・遠回り的行動)を以て直(結果としての直線的行動)と為し、憂い(我の不利・敵の有利)を以て(我の)利と為すにあり」<第七篇 軍争>と曰っております。
そして、この矛盾解決法として「(敵の)其の途(みち)を迂にして、之を誘(いざな)うに利を以てし、人に後(おく)れて発し、人に先んじて至る」を示し、これを「迂直の計」と名づけています。
ところで、孫子を学ぶ上における留意点の一つとして、次の点があります。それは「言わずもがなのことは書いていない」ということです。
たとえば「蛇と蛙が戦った場合、蛇はどのようにして蛙に勝つか」などの類の分かりきったことは書いていません。
「勝は大兵に在り」ですから、大兵の立場にある者は、油断を戒める「兵は多きを益とするに非ざるなり」<第九篇行軍>の心構えと、「兵力比互角の戦法」<第三篇謀攻>さえ心得ていれば、力関係からいって当然、弱者には勝てるのです。
むしろ、その強者にとって真に必要なのは、自分が相対的に弱者の立場に立たされたときいかに戦うかの弱者の戦法なのです。
このゆえに、孫子は「強者の戦法」の具体的内容には一切触れていません。書く必要がないからです。
要は、香uったときにどう対処するか、そのためにどうするのか、そこにこそ兵法の必要性(需要)があるからなのです。
それと同じように、「軍争」においても、たとえばわれに有利な攻撃目標を奪取する場合、第一は「敵の油断・虚を衝いて」最短距浴vを直線的行動で進み敵よりも早くこれを占拠することなど言わずもがなのことなのです。
仮に敵が先着していても、その油断と虚を見澄まし計略をもってこれを奪還するのが第二、第三の策であることは、これまた当然のことなのです。
それでも、その争地を奪還できない、あるいは、強襲しても損害が増すばかりで得策ではない。その場合どうするか、これが出発点なのです。
逆に言えば、孫子が曰う「迂直の計」の大前提は、敵が既にその要所あるいは争地をわれに先んじて占拠し、われに不利(敵に有利)な情勢を作為している、これに対してわれはどう対処べきか、というシチュエーションにあるのです。
言い換えれば、そのような全般的状況を見据えながら、敵が絶対に無視・放置できない「新たな争地」を設定し、敵が「古い争地」を出て「新たな争地」に向かわば、われは直ちに、われの有利な随意の要地でこれを待ち受け、弱者の戦法を駆使して勝を制することをいうのです。
また言うならば、われに不利な敵の土俵では勝負せず、われに有利なわれの土俵という条件作りを行い、そこに敵を誘い込んで勝負を決するという、その一連の計略が孫子の曰う「迂直の計」なのです。
このことを「竹簡孫子」では、「争地には、則(すなわ)ち攻むること無かれ」・「争地には、吾、将(まさ)に留(とど)まらざら使めんとす」「先ずその愛する所を奪わば、則ち(我が要求を)聴かん」<第十一編 九地>と明言しています。
ただし、「現行孫子」では、上記の中の句は「争地には、吾、将に其の後(あと)に趨(おもむ)かんとす」の意味不明な言となっており、前句との関係において歴代の註家を悩ませてきました。
閑話休題(それはさておき)、通説による一般的な「迂直の計」の解釈は次の通りです。
「迂」とは、回り道、すなわち曲線であり、「直」とは直線である。 例えば、A地点からB地点に向かおうとする。直線コースをとった方が回り道をするより明らかに距浴vも短く、時間もかからない。
これは、常識であって、誰でもそう考えるはずである。そこで、わざと遠回りして敵を安心させる。あるいは、わざと時間をかけて敵の油断を誘う。
そして、電撃的にたたみかけるのが「迂直の計」である。常識の裏をかき、安心させておいて攻撃するので、敵の受ける心理的打撃はいっそう大きくなるのである。
この解釈は、敵味方があくまでも「同一の争地」を目指し、いかに早く先着してその「利」を争うかを言うものであります。
つまり、軍争の片面である「利を争う」場面における、言わば「フェイント(擬装・牽制行動)」的戦術であり、孫子の曰う「迂直の計」とは、なんの関係もないと解せらます。
孫子の曰う「迂直の計」は、そもそも戦争計画・戦争指導の根本の戦略を説くものであり、上記通説の主秩vするがごとき「戦場の指揮・用兵」について論ずるものではないのです。
上記のフェイントの類は、戦術上当然の智恵としてその場その場の状況に即応し、臨機応変に対処していくべきものであり、兵法と銘打ちあえて述べるほどの理論ではないと解すべきでしょう。つまり、言わずもがなのことなのです。
そもそも、孫子が思想書、政・戦略書であるという根本を忘れ、こうゆう「漢文直訳的」な、あるいは、兵法として最重要の要素である思想・哲学を欠落したままの解釈がまことしやかに蔓延するがゆえに、人によっては、孫子は「つまらない本」ということになり、また人によっては「難解な書だ」という両極端な的外れの評価となるのです。つまりは「古代人の考えることは所詮、この程度のことか」と的外れの誤解・蔑視を受けかねないのです。
孫子は、もとより「つまらない本」でもなければ「難解な書」でもありません。ましてや「古代人の考えることはこの程度のもの」でもありません。それは偏(ひとえ)に解釈する人の力量に帰一する問題と解すべきです。
蓋(けだ)し、孫子がリーダーの書と評される所以(ゆえん)なのです。 リーダーとは、書斎に閉じこもって頭だけでものを考える人ではなく、事物の変化に即応して現実を進歩発展に向け変革して行くことのできる人をいいます。
なにごとであれ、正鵠(的)を射た理念(考え方)を持つことがいかに重要かということに思いを致すべきではないでしょうか。
孫子の曰う「迂直の計」とは、あくまでも戦略レベルのことをいうのであり、全体的情勢を判断して、敵に有利でわれに不利な争地に固執することなく、われに有利な新たな争地を果断に設定し(脳力開発では、これを条件づくりという)、そこで勝負を決する策略のことをいいます。
このことを孫子は『(敵の)その途(みち)を迂にして、之(これ)を誘(いざな)うに利を以てし、人に後れて発し、人に先んじて至る』と曰うのです。
この理論は、極めて普遍性があり、本人がその気になれば人生戦略の転機をもたらす策略としても応用できるのです。そのための思考力を養うのが孫子兵法の真の価値と知るべきでしょう。
決して、「回り遠い道をとって、ゆっくりしているように見せかけ、敵を利益でつってぐずぐずさせ、相手よりも後から出発して相手よりも先に行きつく、これが迂直の計だ」などの如き、幼稚園レベルの内容のことを言っているのではありません。
この「迂直の計」を端的に説明するものとして最も適当なのが、三十六計に曰う「囲魏救趙」の故事なのです。
三、戦例
前353年、魏国が趙を攻め、都の邯鄲(かんたん・河北省邯鄲市)を囲んだ。趙国が斉王に救いを求めてきたので、斉王は田忌(でんき)を将に、孫ぴんを軍師に任じて、趙救援の兵を出した。
田忌は将軍に任命されるや、ただちに救援軍を率いて邯鄲に駆けつけようとした(これは誰でも考える常識的な作戦と言ってよい)。だが孫ぴんは、こう提案した。
『魏国の精鋭部隊はすべて邯鄲の包囲に注入され、国内は空の状態であるから、魏国の都の大梁(たいりょう・河南省開封)に攻め込むべきである。さすれば魏は、かならずや邯鄲の包囲を解いて、自国に軍を返しましょう。これこそ、相手に包囲を解かせるとともに、相手を疲弊させる一石二鳥の策である』と。
田忌は孫ぴんの策略を取り入れ、兵を率いてまっすぐ大梁に攻め込んだ。はたして魏軍は趙攻撃の部隊を撤退させ、夜を徹して大梁救援に引き返してきた。
桂陵(河南省長垣県の北西部)まで来たところ、斉軍は、孫子の曰う『敵、佚(いつ)なれば能く之を労し』<第六篇虚実>の理論をベースに、計略を以て魏軍を待伏せ地点に誘き寄せ、これを迎え撃った。 このため、魏軍は大敗し、ほとんど全軍が普u滅された。
すなわち、魏軍による邯鄲の包囲・それにもとづく趙よりの救援要請という「患(うれ)い」を、「迂直の計」により、魏軍の普u滅・魏軍による邯鄲包囲の解除という「利」に転化させたのです。
つまり、孫子の曰う『(敵の)その途(みち)を迂にし』とは、魏軍を邯鄲から大梁救援に引き返させることであり、『これを誘(いざな)うに利を以てし』とは、敵が絶対に無視・放置できない「新たな争地(この場合は、斉軍による大梁攻撃の構え)」を設定することを言うのです。
その結果として、斉軍は、当初の邯鄲という争地においては、『人(この場合は魏軍の意)に後れて発し』たものであるが、「迂直の計」による新たな争地(ここでは桂陵の意)では、まぎれもなく『人(魏軍)に先んじて至る』ものとなるのです。このことを孫子は『迂を以て直と為し、患(うれ)いを以て利と為す』というのです。
わが国の場合で言いますと、秀吉・家康の両雄が対決した小牧・長久手合戦の例が挙げられます。
陣地戦による両軍対峙の膠着状態に痺れを切らした秀吉が別働隊二万を池田勝入(恒興)に指揮させ、手薄となっている家康の本拠地・岡崎を衝くべく一路進撃させた作戦がそれに当たります。
この戦いで、家康がその「迂直の計」の裏を掻き、これを返り刀uちにして大勝を博したのは歴史の示す通りでありますが、家康のこの対応策こそまさに『九変の術』<第八編 九変>そのものであったといえるのです。
虚虚実実の手に汗握る名将同士の戦いとはまさにこのことを言うのでしょう。
また、毛沢東は、その戦争論とでも言うべき「抗日遊撃戦争の戦略問題」のなかで次のように述べています。
反包囲攻撃の作戦計画では、わが方の主力は、一般に内線におかれる。だが、兵力に十分ゆとりのある条件のもとでは、副次的な力を外線につかい、そこで敵の交通線を破壊し、敵の増援部隊を牽制することが必要である。
もし敵が根拠地内に長くとどまって去ろうとしないのなら、わが方は上述の方法を逆につかう。すなわち一部の兵力を根拠地内にのこしてその敵をとりかこむ一方、主力を用いて敵がもといた地方一帯を攻撃し、そこで大いに活動させ、いままで長くとどまっていた敵がわが主力を攻撃するためにそこを出ていくようにしむける。これが、「魏を囲んで、趙を救う」というやり方である。
上記の例は、「竹簡孫子」に曰う「迂直の計」の別言、すなわち『争地には則ち攻むること無かれ』『争地には、吾、将に留まらざら使めんとす』『先ずその愛する所を奪わば、則ち(我が要求を)聴かん』<第十一篇 九地>を曰うものでもあります。
また、経営戦略としてこの迂直の計を見ると、かって一吹uを風靡した松下電器のいわゆる「二番手商法」がまさにそれに当たると言えるのではないでしょうか。
それでは今回はこの辺で。
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