孫子兵法

孫子兵法

第十三回 M・M 『孫子に学ぶ脳力開発と情勢判断の方法』

〔1999/01/21〕

                 一般社団法人 孫子塾塾長・元ラジオ日本報道記者 佐野寿龍


孫子と兵法三十六計シリーズ(その四)

以逸待労と孫子兵法との関係


一、第一部・第四計「以逸待労」について

(1)計名の意味

 第四計の計名にいう「以逸待労(いいつたいろう)」は、「逸をもって労を待つ」と読みます。 「逸」は、「安逸」の逸で「楽しむ・気楽」の意。「労」は、疲労の労で「つかれる」の意。

 この計は、地形等の有利な条件を活用して敵を香u難な立場に追い込み、一方で防禦しつつ,他方で余力のある状態を保持しながら、攻撃側の兵力の疲労と戦意の喪失を待ってから、攻勢に転じる謀略をいいます。

(2)第三計の解題(内容の大意)

『敵の勢いを香u(くるし)むるには、戦いをもってせず、剛を損(へら)し柔を益するのみ』

「香u」は、「香u窮」の香uで「ゆきづまる」の意。「剛」は、ここでは「攻撃する者」、「柔」は「防禦する者」の意。「剛を損(へら)し柔を益するのみ」は、易経の損卦・山澤損(さんたくそん)の一節を引用したものであり、「剛と柔(あるいは虚と実)は互いに転化する」ことをいうものです。

 つまりここでは、「攻撃する者」は、うわべは激しく強大にみえるが、攻勢が頓挫したときには、「剛」の反面に隠れていた衰弱と失敗の要素(つまり柔)が顔を出し、一方、「防禦する者」は、相手の攻撃に叩かれ、見たところ軟弱(柔)のようではあるが、しかし、その攻撃を凌(しの)ぎ切ったときには、「柔」の反面に隠されていた強大さと勝利の要素(つまり剛)が顔を出す、ことをいうものです。

 

 以上をまとめると、上記の解題の意は「敵の勢いをゆきづまらせるには、必ずしも焦って攻撃という手段に訴える必要はない。要は地形等の有利な条件を活用して、その勢いを弱める策略に誘い込むことである。それによって、敵軍が疲労し戦力が衰えるのを待って攻撃すれば、こちらは、劣勢から優勢へと転ずることができる」ということになります。

 つまりは、計を用いて敵をそれと気付かない形でこちらの思い通りに動かし、巧みに戦機を探って戦局を左右する戦いを行うことをいうのであり、言い換えれば、いかにして主動権を掌握するか、その術(すべ)をいうものでもあります。

二、戦例

(1)中国・後漢時代、今の甘粛省にある王国が反乱を起こして、陜西省の陳倉を攻めた。このため、皇甫嵩(こうほすう)と董卓(とうたく)がそれぞれ二万の兵を率いて、救援のため陳倉に向かうことになった。

 董卓が「早く救援しないと、陳倉は陥落する」と判断して出発を急いだのに対し、皇甫嵩は別な見方を示し次のように述べた。

 『陳倉は小城とはいえ、守りは堅く、簡単には陥落しません。王国の勢いがいかに盛んでも攻城戦が長引けば、その軍は疲弊し士気も衰えます。その虚に乗じて攻撃をかけるのが、必勝の策というものです。孫子も、百戦百勝するよりも戦わずして敵を降伏させるのが上策である、と曰っています』と。

 果して皇甫嵩の読みどおりに、王国は陳倉を攻めあぐね、長期にわたってもこれを陥落させることができなかった。
 このため、兵士にも次第に疲労の色が濃くなり、ついに王国も包囲攻撃を断念し、帰国の途につくべく撤退を始めた。

 皇甫嵩は、この機を逃さず直ちに軍を率いて追撃を開始しようとしたが、これに対して董卓は、次のような意見を述べ、これに異議を唱えた。

 『孫子には、進退極まった敵をあまり追い詰めてはならない。また帰国の途につく敵を引き止めてはならない、とあるぞ』と。

 しかし皇甫嵩は、「それとこれとは別です」と言うや否や、単独で王国軍の追撃を行い、ついにこれを全滅させた。董卓は、己の不明を深く恥じたという。

 

(2)日露戦争の幕引きとなった日本海海戦(明治38年5月27日)の勝敗を決したものは、敵前において九十度の方向転換をし、ロシア艦隊をТ字型(正確にはイ字型)に押さえ込んで集中砲火を浴びせた、いわゆるТ字型戦法の威力とされていますが、根本的には、ロシア艦隊が「労」であり、日本の連合艦隊が「逸」だったことによります。

 日露戦争開戦後、その極東艦隊を日本の連合艦隊に撃破されたロシアは、戦勢挽回のため戦艦六隻を基幹とする三十二隻のバルチック艦隊を極東に向け出港させました。以来この大艦隊は、七ヶ月の月日を費やし、約三万五千キロの波涛を超え、ようやく日本海の入り口にたどりついたわけです。

 これを迎え撃つ連合艦隊が、全艦艇を朝鮮半島南部に終結させ、日夜訓練と整備・休養に努力していたことはいうまでもありません。

 文字通りの『先に戦地に処りて、敵を待つものは佚し、後れて戦地に処りて、戦いに趨(おもむ)く者は労す』<第六篇虚実>の態勢となったわけです。

 

 問題は、バルチック艦隊がその目的地であるウラジオストック入港をめざして、日本海コースをとり対馬海峡を通過するのか、あるいは太平洋コースとり津軽海峡を通過するのかということにありました。

 このときの東郷長官の判断が「バルチック艦隊は外見の威風堂々とは反対に、長躯遠征の船旅で疲労香u憊の極にある。このため乗員の一刻も早い休養を欲して、必ずや最短コースである対馬海峡を通過するはずだ」にあったことはいうまでもありません。

三、孫子との関係

 <第六篇 虚実>との関係は、上記した通りでありますが、ここでは<第七篇軍争>との関係について述べてみます。

 孫子は敵を制する四法の一つとして「力を制する法(治力)」を説いており、その一つの例示として「佚(いつ)を以て労を待つ」を挙げています。

 そして、このことを逆の立場からいうものが、<第七篇軍争>の結言にいう『高陵には向かうこと勿かれ。丘を背にするには逆(むか)うること勿かれ』なのです。

 それでは今回はこの辺で。

 

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 とりわけ、スポーツの場合は、まずルールがあり、それをジャッジする審判がいます。つまり、スポーツの本質は、娯楽・見世物(ショー)ですから、おのずから力比べのための条件を同じくし、その上で勝負を争うという形になります。つまりは力比べが主であり、詭道はあくまでも従となります。そうしなければ娯楽・見世物にならず興行が成り立たないからです。

 これに対して、武術の場合は、ルールもなければ審判もいない、しかも二つとない自己の命を懸けての真剣勝負であり、ルールなき騙し合いというのがその本質であります。つまるところ、手段は選ばない、どんな手を使ってでも「勝つ」ことが第一義となります。おのずから相手と正面切っての力比べは禁じ手となり、必ず、まず詭道、則ち武略・計略・調略をもってすることが常道となります(まさにそのゆえに孫子が強調するがごとく情報収集が必須の課題となるのです)。

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