孫子兵法

孫子兵法

第十四回 M・M 『孫子に学ぶ脳力開発と情勢判断の方法』

〔2000/02/23〕

                 一般社団法人 孫子塾塾長・元ラジオ日本報道記者 佐野寿龍


◆◇ 孫子と兵法三十六計シリーズ(その五) ◇◆


一、第五計『趁火打劫(ちんかだきょう)』について

(1) 計名の意味

 趁は乗と同意で「つけこむ」。火は「火事・火災」。打は「相手にしかける・攻める」。劫は「追いはぎ・強盗」。

 すなわち、趁火打劫の原意は、火に趁(つけこ)んで劫(強盗)を打(はたら)くと読み、他人の家の失火に乗じて臆面もなく略奪を行うこと、つまり火事場泥棒のススメの意味になります。

 軍事的には、敵軍の弱み(内憂外患)につけこみ、機に乗じて武力を行使し、身動きのとれない敵軍をたたきのめす策略をいいます。

 

(2) 第五計の解題(内容の大意)

『敵の害大なれば、勢いに就(つ)き利を取る。剛、柔を決するなり』

 

「敵の害大なれば」とは、敵側が危機にさらされているの意。「勢いに就き利を取る」とは、機に乗じて武力を行使するの意。

「剛、柔を決するなり」とは、易経の夬(かい)卦・沢天夬(たくてんかい)の一節を引用したものであり、五つの剛(陽)爻が、一番上で押さえつけている柔(陰)爻を排除するの意。
 ここでは、強者が武力をもって干渉し、思い切ってことを行えば、弱者はそれに従うほかないことをいうものです。

 

(3) 第五計の按語(各計の戦略的意義や史実の考証を述べたもの)

 「敵の害、内(内患)に在れば、その地を劫(かすめ)る。敵の害、外(外患)に在れば、その民を劫(かすめ)る。内外ともに害なれば(内憂外患)、その国を劫る。」

 

二、戦例

(1) 第二次大戦前夜のころ、ヒットラーは盛んにドイツ周辺の諸国を侵略していましたが、これに危機感を抱いたチェコスロバキアと隣国のポーランドはいわゆる合従策をとり、共同戦線を秩vってその脅威に対抗していました。

 しかし、チェコスロバキアはついにヒットラーの軍事占領するところとなり、1938年3月16日には、ヒットラーみずからプラハに乗り込んで、この国の解体を宣言したのです。

 これを見ていたポーランドは、当然、友邦チェコスロバキアの危機を救い、ヒットラーと対抗するのかと思いきや、意外な行動に出たのです。すなわち、このドサクサに乗じて、なんとチェコスロバキアの中央北部にあるテッシン地方をわがものとしてしまったのです。

 

(2) 太平洋戦争の末期、アメリカの物量作戦に圧倒され日本の敗色が濃厚となってきたその苦境に乗じ、ソ連は対日・独両面作戦の愚を避けて日本と結んでいた日ソ不可侵条約を無視して関東軍を攻め、満州に侵攻しました。

 ソ連の考えは『ドイツの脅威があってこその不可侵条約の価値である。すでにドイツが崩壊した今となっては、わが行動を束縛する手かせ足かせとなるのみで、何の利益ももたらさない無用の長物である。このドサクサに紛れて、火事場泥棒を働き、アメリカに先んじて極東占領求v争を有利に進めるに如(し)くは無し』であったと推察されます。

 

 命のやり取り、生きるか死ぬかの戦争にあっては、騙した方が正義であり、目的のためには手段を選ばないのがノーマルな吹u界であるということなのです。

 この厳しい現実を直視しない者は敗れるというのが戦いの実相というべきなのでしょう。すべての認識はここから始まることを以て、兵書の兵書たる所以があると知るべきなのです。

 

(3) 上記の例とは逆に、敵に情をかけてみすみす絶好の機会をのがしたのが、いわゆる「宋襄の仁」です。裏を返せば、敗者の法則として銘記すべき教訓ともいえます。


 春秋時代のこと、宋の襄公(じょうこう)は楚の軍と河南省泓水(おうすい)のほとりで戦った。宋軍はすでに陣を整えたが、楚軍はまだ河を渡り終えていなかった。

 これを見て軍司令官の目夷(もくい)が襄公に進言した。

 『敵の兵力は多く、わが方は少数です。楚軍が河を渡り終えないうちに、攻撃をかけましょう』

 しかし、襄公は「君子たるもの、そんな卑怯なことはできない」とそれを許可しなかった。

 やがて楚軍は河を渡り終えたが、陣形はまだ整わなかった。目夷はまた進言した。『攻撃をするなら今のうちです』

 襄公は言った。
 「君子たるものは、人の香uっている最中に苦しめたりはしないのだ。だから、敵の布陣が終わるのを待とう」

 

 こうして宋軍は、楚軍の陣形が整うのを待ち、やおら攻め寄せたが所詮は多勢に無勢、結果は大敗し、襄公も股(また)に傷を負い、側近はみな戦死した。


 まさに、君主の美徳が国を滅ぼしたという好例である。

 因みに、悪魔の著者といわれているマキアヴェッリは次ぎのように曰っている。

 『信義を守ることが自分に不利をまねく場合、君主は信義を守るべきではない』

 

三、孫子との関係

 『兵とは、詭道なり』<第一篇 計>とは、まさにこの火事場泥棒のススメなのです。

 孫子は『詭』の状況作為をするための例示として、12条を挙げていますが、敢えてそのような策を施さずとも、相手が今にも落ちそうな熟柿状態であれば、これを取るのは理の当然なのであり、言わずもがなのことなのです。

 この詭道を別な個所で述べているのものが、『古(いにしへ)の所謂(いわゆる)善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり』<第四篇 形>です。

 言い換えれば、詭道の本質は「勝ち易きに勝つ」にあるということなのです。

 それでは今回はこの辺で。

 

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 孫子を学ぶのになぜ古伝空手・琉球古武術なのか、と不思議に思われるかも知れません。だが、実は、極めて密接な関係にあります。例えば、彼のクラウゼヴィッツは、「マクロの現象たる戦争を、言わば個人の決闘的なミクロの戦いへ置き換えることのできる大局的観察能力・簡潔な思考方法こそが、用兵の核心をなすものである」と論じています。則ち、いわゆる剣術の大なるものが戦争であり、勝つための言わば道具たる剣術・戦争を用いる方法が兵法であるということです。

 とりわけ、スポーツの場合は、まずルールがあり、それをジャッジする審判がいます。つまり、スポーツの本質は、娯楽・見世物(ショー)ですから、おのずから力比べのための条件を同じくし、その上で勝負を争うという形になります。つまりは力比べが主であり、詭道はあくまでも従となります。そうしなければ娯楽・見世物にならず興行が成り立たないからです。

 これに対して、武術の場合は、ルールもなければ審判もいない、しかも二つとない自己の命を懸けての真剣勝負であり、ルールなき騙し合いというのがその本質であります。つまるところ、手段は選ばない、どんな手を使ってでも「勝つ」ことが第一義となります。おのずから相手と正面切っての力比べは禁じ手となり、必ず、まず詭道、則ち武略・計略・調略をもってすることが常道となります(まさにそのゆえに孫子が強調するがごとく情報収集が必須の課題となるのです)。

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