孫子兵法

孫子兵法

第三回 M・M 『孫子に学ぶ脳力開発と情勢判断の方法』

〔1999/08/01〕

                 一般社団法人 孫子塾塾長・元ラジオ日本報道記者 佐野寿龍


〜「戦わずして勝つ」から「戦いて勝つ」までの戦略〜


T、“事物の変化”を重視する孫子の弁証法的思想

 対立物が相互に転化し、矛盾(下記参照)によって発展するという弁証法的な物の見方は、孫子兵法のバックグラウンドを貫くキーワードであります。



※矛盾とは、矛と盾のように互いに排斥し、闘争し、対立している二つの要素をいいます。二つの要素が一組になって矛盾を構成しているわけであり、その一つ一つの要素を側面ともいいます。

『能(よ)く敵に因りて変化し、而して勝ちを取る者、之を神と謂(い)う』<第6篇虚実>は、このことを端的に表しています。

 ところで、孫子の言のうち人口に膾炙(かいしゃ・広く吹u人の話題に上って賞賛されること)するものの一つとして、いわゆる「戦わずして勝つ」が挙げられます。
 これは<第三篇 謀攻>の篇首にある『是の故に、百戦百勝は、善の善なる者に非るなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。』を云うものです。

 このことをもって、一般には「戦わずして勝つ」のが孫子兵法であると解されているようです。つまり、「戦わずして勝つ」のが戦いの王道であり、「戦いて勝つ」のは王道ではない(孫子兵法ではない)、というわけです。

 さりながら、“事物の変化”をその根底におく孫子の弁証法的思想からすれば、(当然のことではあるが)上記の「戦わずして勝つ」は、戦い・戦争という“事物変化”の片面・一面・部分・局面を指すものではあっても、事物の両面・全面・全体をいうものでないことは明らかです。

 孫子は、この局面では百戦百勝の価値よりも「戦わずして勝つ」に重点を置いているに過ぎないのであり、「戦いて勝つな」とも、「百戦百勝は悪い」とも言っているのではないのです。

 つまり、孫子は<第三篇 謀攻>前段で「戦わずして勝つ」を、後段で「戦いて勝つ」を説くものであり、その弁証法的なものの見方は、前段(戦わずして勝つ)と後段(戦いて勝つ)に共通して流れ、かつ両者を一つに結びつけるものなのです。

 孫子の兵法は、(もとより状況によってではあるが)戦わずして勝つ「王道」から、戦いて勝つ「覇道」の両面を含むものなのです。

 戦いは、孫子の言を俟(ま)つまでもなく、極めて厳しい現実のことであり、孟子の性善説も荀子の性悪説も、或いは「人間性弱説」も共に存在・許容される吹u界なのです。

 いまや社会現象と化した、不景気・リストラ・解雇・就職難などは、まさしくその戦いの最たるものの姿です。聖人君子のいう「きれいごと」などではなく、この厳しい現実吹u界を丸ごと真摯に直視し、適切に対応できなければ亡び去るのが戦いのセオリーなのです。

 『能く敵に因りて変化し、而して勝ちを取る者、之を神と謂う。』<第六篇虚実>は、このことを曰うものなのです。


U、「能く敵に因りて変化」する事例

(1) <第三篇 謀攻>前段

 『上兵は謀を伐(う)つ、其の次は、交を伐つ、其の次は兵を伐つ、其の下は、城を攻む。』

(2) <第三篇 謀攻>後段

 『十なれば、則ち之を囲み、五なれば、則ち之を攻め、倍すれば、則ち之を分かち、敵すれば、則ち能く之と戦い』

 上記の(1)、(2)は「戦わずして勝つ」から「戦いて勝つ」和戦両用の構えを取りつつ、状況の変化・敵の出かた如何によっていかようにも状況即応・臨機応変する孫子兵法の凄みと深遠さを物語るものです。

 すなわち、孫子はまず百戦百勝の価値よりも「戦わずして勝つ」に重点を置き、平素よりこれを最上策として全力を尽くすものであるが、それが叶わぬときは躊躇することなく、上策たる「謀攻」、次善策たる「伐交」に重点を移し、戦争(ここでは武力戦の意)の磨u然防止と「戦わずして勝つ」を追求するものです。

 しかし、それも叶わず已(や)むを得ずして戦争を用うる場合、つまり敵に因りて変化し「戦わずして勝つ」から「戦いて勝つ」に際会したとき、こんどはそこに重点を置き、野戦(運動戦)と攻城戦とを通じて万全を尽くし百戦百勝を目標とするのです。

 因(ちな)みに、孫子は攻城戦を否定するものではありません。当然のことながら已むを得ずしてこれを行なう場合があるからです。
 彼は「謀攻」を用いない、言い換えれば「無策」にして「人命軽視」の攻城戦は不可だというのです。そして、このことは「戦いて勝つ」場合のすべてのプロセスにあてはまるのです。
 もとより『兵とは詭道なり。』でありますから、そこには自ずから情報活動・調査分析にもとずく緻密な「謀攻」が展開されることは理の当然なのです。


 

V、「戦わずして勝つ」から「戦いて勝つ」〜赤穂事件にみる大石内蔵助の場合〜

 浅野家断絶・所領没収の凶報に接した赤穂藩では総登城した家中一同(士分の者は278名前後)により城中で大評定が三日も続けて行なわれました。

 この間、籠城論・殉死論・仇刀u論・解散等々議論百出しましたが、事態収拾の責任者である大石内蔵助は「ここは国法に従ってひとまず開城し、赤穂藩中の誠意を示したうえで、浅野家再興の努力をしようではないか」と道理に基づく最終結論を打ち出したのです。

 その後の内蔵助は赤穂郊外の寓居に転じ、開城の残務処理に当たる一方で、あらゆる手を尽くして浅野家再興運動を極秘裏に行なっていました。その内蔵助のもう一つの願いが、武家の不文律である喧嘩両成敗に基づき吉良が処断されることにあったことは言うまでもありません。


 喧嘩両成敗を無視した幕府の片手落ちの裁定が是正され、かつ浅野家の再興が果たされればリーダーとしての内蔵助の責任は全うされたことになります。
 彼にとっての「戦わずして勝つ」とは、このことを言うものなのです。とはいえ、これをもって「戦いて勝つ」構えを崩すものでないことはもとよりのことです。敵に因りて変化するためには、あくまでも和戦両用の構えが原則なのです。


 そして、6月24日、亡君の百ヶ日の法要をすませ、その翌日、赤穂を引き払って京都の山科に閑居したのです。山科での内蔵助は、1800坪の土地を手に入れ、いかにもこの地に骨を埋めるかのごとき広大な家を建て、名前も母方の姓をとって池田久右衛門と改め、お家再興運動に一層の熱意をこめて乗り出したのです。

 しかしながら、亡君一周忌の法要をいとなんだ翌年3月中旬ごろになると、一縷の希(のぞ)みであった浅野家再興・吉良処断の夢も絶たれ、同時に江戸の急進派の仇刀uちへの願望が、もはや消し止められないほど風雲急を告げてきたのでした。

 遠謀深慮の内蔵助はこのような諸般の情勢を判断し、ついに「戦わずして勝つ」から「戦いて勝つ」への方向転換、つまり最後まで残っていた同志46名とともに仇刀uちを決行する覚悟を固めたのでした。

 一度(ひとたび)、進むべき方向を定めた内蔵助とその同志46名は、強大な権力機構を向こうにまわして、一吹u一代の大芝居を打ちつつ(これが謀攻)、吹u論という天の時、決死の覚悟の人の和、吉良が隠居した「本所」という地の利を得て、百戦百勝をめざして真っしぐらに元禄の吹uを駆け抜けて行ったのです。

 この赤穂事件を終始領導していた思想は、まさに「孫子兵法」そのものと言え、とりわけ刀uち入りは、敵地に長駆進攻して敵軍を壊滅させる<第十一篇九地>を髣髴(ほうふつ)とさせるものがあります。

 因(ちな)みに大石内蔵助は、その思春期・青春期に赤穂に配流(はいる・島流しの意)されていた孫子研究者として夙(つとに)に名高い兵学者・山鹿素行に学びその薫陶を受けたと言われています。

 それでは今回はこの辺で。

 

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 孫子を学ぶのになぜ古伝空手・琉球古武術なのか、と不思議に思われるかも知れません。だが、実は、極めて密接な関係にあります。例えば、彼のクラウゼヴィッツは、「マクロの現象たる戦争を、言わば個人の決闘的なミクロの戦いへ置き換えることのできる大局的観察能力・簡潔な思考方法こそが、用兵の核心をなすものである」と論じています。則ち、いわゆる剣術の大なるものが戦争であり、勝つための言わば道具たる剣術・戦争を用いる方法が兵法であるということです。

 とりわけ、スポーツの場合は、まずルールがあり、それをジャッジする審判がいます。つまり、スポーツの本質は、娯楽・見世物(ショー)ですから、おのずから力比べのための条件を同じくし、その上で勝負を争うという形になります。つまりは力比べが主であり、詭道はあくまでも従となります。そうしなければ娯楽・見世物にならず興行が成り立たないからです。

 これに対して、武術の場合は、ルールもなければ審判もいない、しかも二つとない自己の命を懸けての真剣勝負であり、ルールなき騙し合いというのがその本質であります。つまるところ、手段は選ばない、どんな手を使ってでも「勝つ」ことが第一義となります。おのずから相手と正面切っての力比べは禁じ手となり、必ず、まず詭道、則ち武略・計略・調略をもってすることが常道となります(まさにそのゆえに孫子が強調するがごとく情報収集が必須の課題となるのです)。

 つまり孫子を学ぶには武術を学ぶに如(し)くはなしであり、かつ古伝空手・琉球古武術は、そもそも孫子兵法に由来する中国武術を源流とするものゆえに、孫子や脳力開発をリアルかつコンパクトに学ぶには最適の方法なのです。

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