孫子兵法

孫子兵法

第五回 M・M 『孫子に学ぶ脳力開発と情勢判断の方法』

〔1999/09/01〕

一般社団法人 孫子塾塾長・元ラジオ日本報道記者 佐野寿龍

 



「戦わずして勝つ」から「戦いて勝つ」までの戦略パートV
〜ペルー・リマ日本大使公邸人質事件におけるフジモリ大統領の場合〜


 1996年12月17日午後八時すぎ(現地時間)、トゥパク・アマル革命運動(以下MRTA)のテロリスト14人は、大使館裏手にある空き民家から、爆弾でコンクリートの壁を破壊して、天皇誕生日祝賀で600名のゲストらで賑わう宴たけなわの大使館に突入しました。

 MRTAは突入後捕らえた人質を、その管理能力から次第に減らし、最後は72名にしました。
 彼らはペルーと外国の刑務所に服役中の400人から500人の仲間の釈放、身代金(みのしろきん)の支払い、自らの退路の安全をペルー政府に要求したのです。

 事件勃発から翌年4月22日の武力突入による事件解決にいたるまでの間、一方の当事者たる日本政府の強い要望は、例によって例の如く「人質を無事救出するための平和的解決」のみに終始するものでしたが、一方のフジモリ大統領の作戦は極めて多面的でした。

 すなわち、先進七カ国会議で合意している「テロには屈しない」の方針のもとに毅然たる態度をとりつづける一方、平和的解決の仲介役たる保証人委員会の設置、MRTAとペルー政府との予備的対話の開始、また、これを裏付けるかの如き、フジモリ大統領自身によるMRTAメンバー出国先探しのためのキューバでのトップ交渉等でありました(日本政府にとっても、もとよりその流れは歓迎でした。3月18日には橋本首相の特使として高村政彦外務政務次官がキューバを訪れ、カストロ国家評議会議長と会談をしています)。

 しかし、その一方でフジモリ大統領は極秘裏のうちに、1月中旬から日本大使公邸の地下に七つのトンネルを掘り始め、三月初旬にはほとんど完成させていました。
 また、それと併行してリマ郊外の砂漠のうえに、日本大使公邸と同じ材質、同じ厚さで同じ建物をつくり、突入を想定した実戦さながらの予行演習を繰り返していました(日本政府が、蚊帳の外におかれていたことは言うまでもありません)。

 フジモリ大統領は、日本政府の人質の安全優先、平和的解決もMRTAの過大要求から不可能と判断、また、人質の精神的な状態が限界にきていたことなどを考慮し、逆に、RTAが日本政府の動きで突入はないと安心している虚に乗じ、事件発生後127日目の4月22日午後3時23分、140人のペルー政府軍特殊部隊をもって地下トンネルおよび地上から突入し、37分間の掃刀uで14人のMRTAメンバー全員を射殺、人質を解放しました。

 この際、人質一名と突入将校二名が死亡しましたが、文句のつけようのない奇跡的な大成功だったと言えます。

 フジモリ大統領は「孫子」の得意とする和戦両様の構えを取りつつ、「(フジモリ大統領の意図する)戦わずして勝つ」が不可能と判断するや否や、すかさず「戦いて勝つ」に方向転換し、今度は百戦百勝を目標として電光石火の攻撃を仕掛けたのです。
 この作戦が、特殊部隊の完勝に終わった要因を孫子兵法的観点より考察すれば次のようになります。


T、『凡(およ)そ、戦いは正を以て合い、奇を以て勝つ』<第五篇勢>
 ここで「正」とは、「形をもって形に応ずるもの」をいい、「奇」とは「無形にして形を制するもの」をいいます。「奇」の用兵は、それ自体としては独立したものではなく、「正」の用兵と一体となって用いられるとき、はじめてその意義と価値を生ずるものです。すなわち、奇は正あっての奇であり、正は奇あっての正なのです。
 この場合の「正」は、MRTAのメンバー14人(これがMRTAの正)に対する特殊部隊の人数140人(10倍)です。

 孫子は<第三篇 謀攻>で『十なれば、則ち之を囲み』(勝ちは大兵にあり。我が敵の十倍であれば、これを包囲殲滅できる、の意)と曰っております。

 通常の十倍はもとより相手を圧倒し包囲殲滅するだけのパワーを持つものでありますが、ここでは、対MRTAメンバーとの比較において、訓練、装備、士気、情報、準備、個人的資質等に格段の質的相違があるため、実際は十倍以上の開きがあったものと思われます(但し、MRTAには人質72名という切り札、すなわちMRTAの「奇」があるため、特殊部隊はこれへの対処の仕方が最大の課題となります)。

U、フジモリ大統領の「奇」は、日本大使公邸の地下にトンネル(七つ)を掘ったこと

V、さらに精神的な「奇」として、日本政府の動きで突入はないと安心している虚に乗じたこと(もとより日本政府の動きは、突入を意識しての意図的な動きではなく、あくまでも善意の第三者的な動きであり、単に利用されたにすぎません)。

 『三軍は気を奪う可く、将軍は心を奪う可し』<第七篇軍争>(無形上の交戦力たる敵軍の士気・敵将の心の虚に乗ぜよ)とは、このことを曰います。

W、徹底した訓練と周到な準備
 孫子の曰う『之を知るものは勝ち、知らざる者は勝たず』<第一篇計>を具現化したものです。ここで「知る」とは、単に知識として「知っている」という意味ではなくて、自分が徹底して実践した結果としてそれを体得したレベルでの「知る」の意であります。
 ここでは、このような場合、(フジモリ大統領の如く)徹底した訓練と準備が必要であることを知り抜いており、現実に、それを実践できる力を持っていることを言います。

X、そのための徹底した情報収集と分析
 孫子は、この情報の重要性について『此れ、兵の要(かなめ)にして、三軍の恃(たの)みて動く所なり』<第十三篇用間>と曰っております。
 まさに、ペルー軍特殊部隊の140人は、この情報にすべてを託して突入計画を敢行したものと言えます。

 言い換えれば、我が「実」をもって、敵の「虚」を撃つことを可能ならしめるものが「情報」なのです。フジモリ大統領が、MRTAおよび人質の動向の情報収集にいかに腐心するものであったかはいまさら言うまでもないでしょう。

 このゆえにこそ、その攻撃の勢いは『円石を千仞の山に転ずるが如き』であり、攻撃するそのさまは『たん(石偏に段の旁・ここでは堅い石のこと)を以て卵に投ずるが如き』<第五篇勢>だったのでのです。

Y、一般に、強行突入すると、人質の三割は死ぬと言われていますが、あの場合、むしろその程度で済めば善しとすべきであったでしょう。それどころか一歩間違えれば大惨事になる可能性も十二分にあったのです。

 武器(兵)の使用とは本来そうゆうものなのです。

 孫子はそのゆえにこそ『兵は国の大事なり。(なぜならばそれは国民の)死生の地、(国家の)存亡の道(だからである)、察せざる可からざるなり(よくよく真摯に考え準備しなければならない)』<第一篇計>と曰うのです。

 この場合で言えば、人質72名、特殊部隊140人、MRTA14人の死生の地であり、フジモリ大統領の政治生命という存亡の道である。
 このことを深く考えれば考えるほど作戦はおのずから多面的・緻密・用意周到なものとならざるを得ないのである。

 ともあれ、フジモリ大統領の「物事を本質的に考え対処する」という姿勢は、実に見事であったと言わざるを得ない。

 片や、当事者の一方であった我が国の、単純・場当たり的・その場しのぎの「人質の安全優先・平和的解決」の思考法と比べれば、(立場の違い・ことの善し悪しは別としても)月とスッポンの違いがあったといえます。

 同じ日本人でありながら、どうしてこのような際立って歴然とした差が出るのか、リーダーのあり方について深く考えさせられる事件であったといえます。


 フジモリ大統領が孫子を学んだか否かは不詳であるが、いずれにせよ、孫子流の思考法に酷似した彼の作戦が、この事件の奇跡的解決をもたらした主因であることは間違いありません。

 まさに、『之を知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。』<第一篇計>であり、MRTAは敗れる可くして敗れたものと言えます。

 それでは今回はこの辺で。

 

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 孫子を学ぶのになぜ古伝空手・琉球古武術なのか、と不思議に思われるかも知れません。だが、実は、極めて密接な関係にあります。例えば、彼のクラウゼヴィッツは、「マクロの現象たる戦争を、言わば個人の決闘的なミクロの戦いへ置き換えることのできる大局的観察能力・簡潔な思考方法こそが、用兵の核心をなすものである」と論じています。則ち、いわゆる剣術の大なるものが戦争であり、勝つための言わば道具たる剣術・戦争を用いる方法が兵法であるということです。

 とりわけ、スポーツの場合は、まずルールがあり、それをジャッジする審判がいます。つまり、スポーツの本質は、娯楽・見世物(ショー)ですから、おのずから力比べのための条件を同じくし、その上で勝負を争うという形になります。つまりは力比べが主であり、詭道はあくまでも従となります。そうしなければ娯楽・見世物にならず興行が成り立たないからです。

 これに対して、武術の場合は、ルールもなければ審判もいない、しかも二つとない自己の命を懸けての真剣勝負であり、ルールなき騙し合いというのがその本質であります。つまるところ、手段は選ばない、どんな手を使ってでも「勝つ」ことが第一義となります。おのずから相手と正面切っての力比べは禁じ手となり、必ず、まず詭道、則ち武略・計略・調略をもってすることが常道となります(まさにそのゆえに孫子が強調するがごとく情報収集が必須の課題となるのです)。

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