孫子兵法

孫子兵法

第七回 M・M 『孫子に学ぶ脳力開発と情勢判断の方法』

〔1999/10/01〕

一般社団法人 孫子塾塾長・元ラジオ日本報道記者 佐野寿龍

 


「将の五危論について」  〜将の五徳との関係〜


 孫子は、<第一篇 計>において、勝ち易きに勝つために、まず五事・七計(戦争の勝敗を決する要素)により彼我の総合的戦力の客観的な算定・評価を行なう可(べ)きことを説いています。

 五事とは、いわゆる「天・地・人」すなわち『一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法。』<第一篇計>について曰うものです。

 「道・将・法」は天・地・人の中で「人」に対応するものですが、このうち「将」については、『将とは、智・信・仁・勇・厳なり。』と解説されています。
 このことを、いわゆる「将の五徳」と言うのですが、その具体的内容は以下のように解されています


T、「智」は、事を見通し、また臨機応変するところの知恵。

U、「信」は将の部下からの信頼。孔子曰く、「人にして信なくんば、其の可なるを知らざるなり」「民、信なければ立たず」と。

V、「仁」は、部下に対する仁愛の心情・思いやり。

W、「勇」は、強きものに臨んでよく忍び努めること。

X、「厳」は、軍の統率力としての威厳。


 一方、「将の五危」は<第八篇 九変>に次のようにあります。

 『故に、将に五危あり。

 必死は、殺すべく、必生は、虜(とりこ)とす可(べ)く、

 忿速は、侮(あなど)るべく、廉潔は、辱(はずか)しむ可く、

 愛民は、煩(わずら)わす可し。

 凡(およ)そ、此の五者は、将の過(あやま)ちなり、用兵の災いなり。軍を普u(くつがえ)し将を殺すは、必ず五危を以てす。察せざる可からざるなり。』


T、「必死」とは「猪突猛進型」「緊秩vのあまり自己を失うタイプ」の将軍は、敵の詭計に陥り易いことをいうものです。

U、「必生」とは、臆病で進むことを知らない将軍は、虜(とりこ)とされ易いことをいうものです。

V、「忿速」とは、短気で、小事でも激しやすい性癖の将軍は、敵の刺激・挑発に乗りやすく、軽率の挙に出がちであることをいうものです。

W、「廉潔」とは、あまりにも体面を気にし、かつ名誉欲の強い将軍は、不名誉な目に合わせる、恥をかかせることによって傷つき、自己の任務を忘れさせることができることを言うものです。

X、「愛民」とは、同情心に富み、小を殺して大を生かす道を知らない将軍は、決断を下せない、優柔不断に陥り易いことを言うものです。

 この五危論は、<第八篇 九変>の結論あるいは真のテーマとも言うべきものであり、時と場合により確かに長所と認められるものでも、あまりその面に偏(かたよ)りすぎると、かえって危険をもたらすことを説いているものです。


 ところで、古来、情勢判断の要訣として有名な言句に『是の故に、智者の慮(おもんぱか)りは必ず利害を雑(まじ)う。』<第八篇九変>があります。

 これは、「利・害に関する両面思考」を言うものですが、曹操は「利に在りては害を思い(利を害に雑えて)、害に在りては利を思わば(害を利に雑えて)、当(まさ)に難行を権とすべし」(利害の両面から考察すれば、香u難な状況も自己の権謀術数の中のものとすることができる―状況を自己の支配下におくことができる)と註しています。


 因みに、脳力開発では「思考方法の整備」として以下の五項目を挙げています。

1、常に中心点を明らかにし、中心・骨組で考える習慣をつくろう
  (常に目的・目標を明確にする習慣をつくろう)

2、常に両面とも考え、どちらが主流かも考える習慣をつくろう
  (いつでも対比で考える習慣をつくろう)

3、立場・観点を整理し、多角度から考える習慣をつくろう
  (多数の構成要素をいくつもの角度から検刀uする習慣をつくろう)

4、確定的事実から出発して考える習慣をつくろう
  (客観と主観を区別や整理して考える習慣をつくろう)

5、行動のつながりで具体的に考える習慣をつくろう
  (概念と具体的中身はセットで、しかも連携的に考える習慣をつくろう)

  脳力開発は、この五つの観察角度を自家薬篭中のものとして習慣化し、ビジネス・生活の場で五つの角度を一瞬にして見てとるよう頭を働かすことを一つの狙いとしているものです。


 閑話休題(それはさておき)、この「利・害に関する両面思考」は、もとよりあらゆる事象に適用されるべきものですが、ここでは取り分け、将の五徳たる「智・信・仁・勇・厳」を対象に、考察を進めていきます。なぜならば、「将の五徳」の裏返しが「将の五危」にほかならないからであります。


 戦国末期の名将、独眼竜・伊達政宗の言として

   「仁に過ぎれば弱くなる、

   義に過ぎれば固くなる、

   礼に過ぎれば諂(へつら)いとなる、

   智に過ぎれば嘘をつく、

   信に過ぎれば損をする」

 が伝えられていますが、まさにこの利害の両面思考こそ「将の五徳」と「将の五危」との関係を解くキーワードなのです。


 つまり、「智」は、過ぎれば「必生」に、「信」は、過ぎれば「廉潔」に、「仁」は、過ぎれば「愛民」に、「勇」は、過ぎれば「必死」に、「厳」は、過ぎれば「忿速」に傾く危うさを常に孕んでいると言えるのです。

 

 このゆえに、「五危論」の趣旨は、「状況即応の作戦・用兵をするために、その主体者たる将軍は、バランス感覚のとれた柔軟な思考力の整備・向上を心掛けるべし」となるのです。
 このことは、裏を返せば「九変の術」の必要性をいうものであり、これに通暁する者が、<第八篇 九変>の篇名に曰う意の「九変」を知る者、つまり「智をもって兵を用うることに自在に通じているもの」と言えるのです。

 このゆえにまた、<第一篇 計>に曰う『将とは、智・信・仁・勇・厳なり。』とは、単なる知識としての言ではなく、「術」として実践に裏付けられた厳しい内容を曰うものであることを理解する必要が在ります。

 逆に言えば、これを術(知識としてではなく)として体得していない将は、磨uだ磨u熟な将であり、そのゆえに「五危」の理を利用した『故に、三軍は気を奪うべく、将軍は心を奪う可し。』<第七篇 軍争>の詭計に嵌り易いと言えるのです。

 

 天正三年(1575年)五月二十一日の長篠の戦いも「五危」の一つと言えます。


 織田・徳川連合軍は「三千の鉄砲隊」と「馬防柵」を準備するとともに、武田軍の約四倍の三万八千人で布陣した。しかし、如何にせん信長の待ち構える設楽原と勝頼のいる長篠とは直線にして約5キロの距浴vがある。従って武田軍が信長の思惑通り来襲してこなければ、せっかくの名作戦も文字通りの「絵に描いた餅」となってしまう。

 そこで登場してくるのが「詭」<第一篇 計>である。

 まずその一つが勝頼を自軍に有利な決戦場に誘致するための謀略戦である。
 例えば、武田軍は精強で、織田・徳川軍ともに恐れている。織田・徳川間には反目があり、信長は徳川方を信用していない。徳川方の部将から人質をとったのもそのためだ。織田軍は義理で来ているので士気が上がっていない…等々である。

 これらを現実に裏付けるものが、我に数倍する大軍を擁しながら長篠城を包囲しこれを積極的に救援(後ろ巻きと言う)するどころか、そのはるか手前で停止し、あまつさえ馬防柵を設け陣地を作っているその姿である。勇敢で名を惜しむ勝頼の心理を見抜き、勝頼をして信長というのはなんと言う腰抜け大名かと思わせる演出である。

 かねてより織田・徳川連合軍との決戦を強く望んでいた勝頼にとって、これらの情報は願ってもない好機と映ったことであろう。

 このゆえにまた、信長の放った二つ目の「詭」たる鳶ヶ巣山砦への奇襲攻撃とその成功は、覇気満々にして若くかつ一本調子の勝頼を強く刺激し「なにを小癪な」とばかりに遮二無二の攻撃を断行させるに十分なものとなったのである。

 

 信長は、勝頼の心理的虚を読み取って「詭」を以てこれを決戦場に誘致し、さらに開戦直後の鳶が巣山砦への奇襲の成功を以て、武田軍の正面攻撃を不動のものとした上で、予(か)ねての手はず通り、大軍という「正」を以て合わせ、馬防柵・鉄砲隊という「奇」を仕掛け、その乱れ(虚)に乗じて正面から全軍(実)による総攻撃をかけ、これを壊滅させたのであった。

 かかる場合、彼の父・武田信玄であれば、そのような見え透いた手には乗らず、逆に謀略をめぐらして織田・徳川連合軍を我が陣に引き寄せ、長篠の天険という地形を利してこれを迎え撃ち、袋叩きにしたであろうが、その子勝頼は、空堀(からほり)、堡塁、馬防柵で固められた一種の要塞ともいうべき野戦陣地に対し、自ら進んで出向き、これに正面攻撃を敢行したのであった。

 やはり、勝頼の「自信過剰」と「若さ」という驕(おご)りが浮かび上がってくるのである。


 孫子が『凡そ、此の五者(五危)は、将の過ちなり、用兵の災いなり。軍を普uし将を殺すは、必ず五危を以てす。察せざる可からざるなり。』とは此のことを曰うのです。

 我々にとっての「五危」とは、さまざまな現実の場にて露呈せざるを得ない我々自身の「性格的欠陥」の意と解せられます。

 昨今、マスコミ等を賑わしている様々な個人的不祥事は、まさに孫子の曰う五危論の問題と言えます。

 我々もこの陥穽(かんせい・落とし穴の意)に陥らぬためにはどうするか。そのキーワードは「汝自身を知れ」にある、と孫子は曰いたいのです。

いかがでしたでしょうか。今回はこの辺で終りにします。次をご期待ください。

 

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 孫子を学ぶのになぜ古伝空手・琉球古武術なのか、と不思議に思われるかも知れません。だが、実は、極めて密接な関係にあります。例えば、彼のクラウゼヴィッツは、「マクロの現象たる戦争を、言わば個人の決闘的なミクロの戦いへ置き換えることのできる大局的観察能力・簡潔な思考方法こそが、用兵の核心をなすものである」と論じています。則ち、いわゆる剣術の大なるものが戦争であり、勝つための言わば道具たる剣術・戦争を用いる方法が兵法であるということです。

 とりわけ、スポーツの場合は、まずルールがあり、それをジャッジする審判がいます。つまり、スポーツの本質は、娯楽・見世物(ショー)ですから、おのずから力比べのための条件を同じくし、その上で勝負を争うという形になります。つまりは力比べが主であり、詭道はあくまでも従となります。そうしなければ娯楽・見世物にならず興行が成り立たないからです。

 これに対して、武術の場合は、ルールもなければ審判もいない、しかも二つとない自己の命を懸けての真剣勝負であり、ルールなき騙し合いというのがその本質であります。つまるところ、手段は選ばない、どんな手を使ってでも「勝つ」ことが第一義となります。おのずから相手と正面切っての力比べは禁じ手となり、必ず、まず詭道、則ち武略・計略・調略をもってすることが常道となります(まさにそのゆえに孫子が強調するがごとく情報収集が必須の課題となるのです)。

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