孫子兵法

孫子兵法

第十回 M・M 『やくにたつ兵法の名言名句』

〔2001/02/25〕

一般社団法人孫子塾塾長・元ラジオ日本報道記者 佐野寿龍

 


☆ やくにたつ兵法の名言名句 ☆


『軍を覆(くつがえ)し将を殺すは、必ず五危を以てす。』
                            …孫子<第八篇 九変>


 孫子は将の具備すべき資質、いわゆる将の五徳として『将とは、智・信・仁・勇・厳なり』<第一篇計>と曰っています。とは言え、事物はすべて両面から構成されていますのでその全きを期せんとすれば、これだけでは不十分です。

 つまり、孫子の弁証法的思考から言えば、これはあくまでも事物の片面を言うものに過ぎませんから、その長所を裏返せば、すなわち敵に付け込まれ易い将の短所を言うものとなります。このため孫子は、いわゆる将の五危、すなわち「将に危険をもたらす五つの資質」として『故に、将に五危あり。必死は、殺す可く、必生は、虜(とりこ)とす可く、忿速は、侮(あなど)る可く、廉潔は、辱(はずか)しむ可く、愛民は、煩(わずら)わす可し』<第八篇九変>と曰うのです。

 戦国の名将・伊達政宗は「仁に過ぎれば弱くなる、義に過ぎれば固くなる、礼に過ぎれば諂(へつら)いとなる、智に過ぎれば嘘をつく、信に過ぎれば損をする」と言っています。この両面思考こそ将の五徳・五危論の趣旨たる「状況即応・臨機応変の用兵をするために、その主体者たる将軍は、須らくバランス感覚のとれた柔軟な思考力の整備・向上を心掛ける可し」とその軌を一にするものです。
 その意味でこの言は、将の五徳と五危の関係について角度を変え判りやすく表現したものと言うことができます。

 さて、私の知人に、今話題のKSD事件で逮捕された、KSD前理事長の古関忠男被告を良く知る人がいます。彼によれば、古関は顔半分に生来の青アザがあるためかコンプレックスの塊で、その裏返し的な意味で非常な負けず嫌いであり、従ってまた、自己顕示欲の塊であり、かつ、己以外の他を知るという意味では「智なる者」であったが、肝腎の己を知るという点においては「明なる者」ではなかったということです。言い換えれば、悪事を働くということの奸知には長けているが、人間的な知性と見識は著しく劣っていたと曰うことです。

 古関は、経営者というよりは山師・詐欺師・ギャンブラーとでもいうべき類の人物であり、この事件がバレなかったのは、その悪事を余りに堂々と、しかも大きくやっていたために他なりません。もとより周囲では、おかしい、おかしいの声はありましたが、まさかそこまではと打ち消す人が多かったようです。まさに「鉤(かぎ・帯止めの意)を盗む者は誅(ちゅう・死刑の意)せられ、国を盗む者は諸侯となる」の譬え通りであります。

 確かにKSD事業は大当たりしましたが、古関のその人間性ゆえに、普通の人はうさんくさい人物と敬遠し、ましてや真に尊敬し人間的磨v力を感じて近づく人など皆無でした。寄り付く人は、KSDマネーを目当てにした何らかの下心がある人ばかりでしたが、彼らとて心底は古関を馬鹿にしていたというのが実際のところです。

 しかし、古関にとってみれば甚だ面白くありません。自分の考えている価値と吹u間の人(但し、永田町界隈では多大の評価・信望があったようです。既にこのとき、古関をいかがわしい人物と判断していた人もいたようですが、これはかなり見識ある国会議員と評すべきです)の評価にズレがあると感じていたからに他なりません。

 言い換えれば、「今に見ていろ、俺を馬鹿にした奴を見返してやる」といった病的な負けず嫌いの性格が燃え上がってきたのです。普通の感覚では、それならば吹u間の人から正当に評価される仕事をして見返してやるということになるのですが、稀代の山師・詐欺師である古関の発想は実にユニークでした。

 すなわち、ここまで事業に成功してもなお評価されないのは公的な証明がないからだ。公的な証明、即ち勲章さえ貰えれば吹u間の俺を見る評価もおのずから変るはずだ、という不届き極まるものだったのです。単純明快な道理として、犯罪者・泥棒・詐欺師がいくら勲章を貰っても誰も評価しない、尊敬もしないということは判りそうなものなのですが彼の場合は例外でした。このことは取りも直さず、古関がいかに己を知らない人物であるかということの証左に他なりません。

 しかもなお、彼の狙っていたものは、民間では最高とされる勲二等であったわけですから、その厚顔無恥とハチャメチャな発想法はまさにお釈迦さまの手の平に落書きをする孫悟空もどきの者と言わざるを得ません。

 そこで古関がまずやったことは、KSDの有り余るカネにものをいわせ、叙勲の窓口たる総理府賞勳局から叙勲業務のベテランであるノンキャリアの課長補佐をKSD理事として迎え、かつ、その部下二名までも引き抜き、(勲二等受章に向けたステップとして)藍綬褒章受章の官界工作の手先としたのです。

 そして、平成五年五月に、「褒章を得るには今から受章工作する必要がある」として1500万円の工作資金を財団資産から不正支出させたのです。この資金は帳簿上、雑費名目で処理されましたが、その実際の使途は不明のままになっています。これと併せて、彼ら三名の総理府賞勳局OBを使い、自身の経歴も都合よく作文させたことは言うまでもありません。

 そして、その半年後の十一月、古関は労働省の推薦で首尾よく藍綬褒章を受章したのです。その翌年、都内のホテルで受章祝賀パーティーが賑々しく盛大に催されましたが、そこへ国会議員そして労働省の官僚が多数招かれていたことは言うまでもありません。また、その祝賀会にカラオケ持参で出演し華を添えていたのが、女性演歌歌手の藤あやこでした。彼女もまた、当時、多額のCDをKSDに購入して貰うなど古関と親しい関係にあったのです。

 一見、晴れがましい受章祝賀パーティーも、裏事情を知る関係者にして見れば、どこかうさんくさく、寒々としたものであったことは言うまでもありません。

 古関は、この受賞を勲二等受章に向けてのステップと位置づけ、確実にその狙いに近づきつつあったわけですが、まさに「悪を好めば禍を招く」の譬え通り、今回の事件発覚に至ったわけです。

 彼は、極めて自己顕示欲の強い人間でした。そのために、莫大なカネを惜しげも無く使って自己宣伝にこれ努めていたわけですが、悲しいことに、やればやるほど、「どうせまた何か汚い手を使ったのだろう」と尊敬されるどころか益々馬鹿にされる、というのが実際の姿であり、負けず嫌いの彼は、それを見返してやろうとして、さらにその行動をエスカレートさせて行くという悪循環に陥っていました。

 その行き着く先が、カネの力で日本中の人に自分の価値を認めさせる、というおぞましい願望とその具体化という結末になったのです。彼に物事の本質を探究できる資質があれば、あれだけのカネ・人・時間を使ったのだからもっと違う形で、吹u間から多大の尊敬を勝ち得たであろうことは間違いありません。
 しかし、現実は単なる犯罪者・山師・詐欺師・ギャンブラーとしての評価しか得られていません。勲章とは、そこまでしてでも貰うものなのか、それで本当に嬉しいのか、それだけの価値があるのかという本質的なことにまで考えが至らない心の貧しい人間と言わざるを得ません。

 「将の五危」とは、まさにこのようなことを曰うのです。孫子の将の五徳・五危論は、いやしくも将たる者、敵に付け込まれるような性格的欠陥はその責任に置いて自覚し、矯正しなければならないことを言うものです。

 昨年10月6日の東京地検特捜部による家宅捜索、そして11月8日の古関前理事長逮捕を皮切りに、次々と明るみにでるKSD事件の報道を受けて、107万人を数えたKSD加入者はその信用不安と相俟って雪崩を打って減り続け、わずか五ヶ月間で30万人余りが脱会し、組織は存亡の危機に立たされています。「将の五危」とはいかなるものか、この事実が雄弁に物語っています。

 こと古関に限らず、指導者たるものは吹uの失笑を買わぬためにも、孫子の曰う『凡そ、この五者は、将の過ちなり。用兵の災いなり。軍を普uし将を殺すは、必ず五危を以てす。察せざる可からざるなり。』<第八篇九変>の意味を厳粛に受け止めるべきであります。古関もこの辺の機微を心得、色々な意味でもう少し上手く立ち回っていれば、文字通りの成功者として金と地位と名声を収めたまま、後継者の座もめでたく長男の古関公康被告に譲り、自身はゆうゆうと引退の花道を飾れたはずです。

 しかし、現実は、彼が35年間その寝食を忘れて築き上げた、まさに彼の命・分身とでも言うべきKSDグループから永久追放されたのみならず、老残の身を刑事被告人の立場に晒され、いわゆる晩節を汚したのです。

 私の知人は、このKSD事件を振り返り、やはり指導者は、彼を知り己を知るものであることが、無事是れ名馬で人生を生き抜く根本・土台であるとしみじみ述懐していました。

 老子は、「他を知るものは智なり、己を知るものは明なり」と曰っています。古代ギリシャ・アポロの神殿に掲げられていたという金言、「汝自身を知れ」とその趣旨を同じくするものであります。

 それでは今回はこの辺で。

 

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 孫子を学ぶのになぜ古伝空手・琉球古武術なのか、と不思議に思われるかも知れません。だが、実は、極めて密接な関係にあります。例えば、彼のクラウゼヴィッツは、「マクロの現象たる戦争を、言わば個人の決闘的なミクロの戦いへ置き換えることのできる大局的観察能力・簡潔な思考方法こそが、用兵の核心をなすものである」と論じています。則ち、いわゆる剣術の大なるものが戦争であり、勝つための言わば道具たる剣術・戦争を用いる方法が兵法であるということです。

 とりわけ、スポーツの場合は、まずルールがあり、それをジャッジする審判がいます。つまり、スポーツの本質は、娯楽・見世物(ショー)ですから、おのずから力比べのための条件を同じくし、その上で勝負を争うという形になります。つまりは力比べが主であり、詭道はあくまでも従となります。そうしなければ娯楽・見世物にならず興行が成り立たないからです。

 これに対して、武術の場合は、ルールもなければ審判もいない、しかも二つとない自己の命を懸けての真剣勝負であり、ルールなき騙し合いというのがその本質であります。つまるところ、手段は選ばない、どんな手を使ってでも「勝つ」ことが第一義となります。おのずから相手と正面切っての力比べは禁じ手となり、必ず、まず詭道、則ち武略・計略・調略をもってすることが常道となります(まさにそのゆえに孫子が強調するがごとく情報収集が必須の課題となるのです)。

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