第十二回 M・M 『やくにたつ兵法の名言名句』
〔2002/02/21〕
一般社団法人孫子塾塾長・元ラジオ日本報道記者
佐野寿龍
☆ やくにたつ兵法の名言名句 ☆
『辞の強くして進駆する者は、退くなり』
…孫子<第九篇行軍>
◇ 解説 ◇
この言は、情勢判断においては、言葉や表面的現象に惑わされるが如くきは、知性がない証左であるという意味である。言い換えれば、言葉と行動は異なるということである。
人の発言や政府責任者の声明は、その希望なり目途(めど)を表すものであり、事実を伝達しているのではない。発言され、発表されたということは事実に違いない。
しかし、その内容となっていることがそのまま客観事実と合致しているかどうかということとは別問題である。
むしろたいていは、客観事実を自分の希望なり目途(めど)なりに合わせるように、表現上の改早uをしてあるのが通例である。
「痛みなくして構早u改革なし」「構早u改革なくして景気回復はなし」などなど、人は巧みな例え話をされると、すぐなるほどと思ってしまい勝ちである。
しかし、その言葉に酔わされてはならない、それを実際行動と錯覚してはならない。言葉と行動は異なるからである。例え話にうっかり分かった気になると、実際の具体的矛盾がすっかり隠されてしまうものである。
このような場合、脳力開発でいう「立場の整理」という観点を、考え方の整理のために使いこなすと極めて有益な力を発揮する。すなわち、「立場」というのは必ず希望をもっているし、逆に希望はある立場を表しているゆえに、「こうしたい」という行動の内容がその人の立場を表わしているとということになる。
たとえば、政治家であることを自分の生活の糧とする職業的政治家は、自己の生活をなげうってまで国民のために働かないであろうし、習性として既得権益を死守しようとする官僚たちは、(道路公団の採算試算が必ず黒字になるがごとく)なりふり構わず省益あって国益なしの行動に出るのである。
このような現実を白日の下に曝け出したものが、去る2月20日のテレビ中継による外務省問題に関する参考人質疑である。小泉首相の唱える構早u改革(その土台となるものはもとより政治改革ではあるが)は、あくまでも具体的矛盾を追及しなければできないことなのであって、うまい例え話で説明すれば済むことではないのである。
とは言え、このような(国民を愚弄するがごとき)バカ話がすんなりと受け入れられてしまうのが日本社会の悲しい現実でもある。日本人に真の知性があれば、「無意味なバカ話は止めろ」というような覇気のある抗議が殺到して然るべきである。その意味で、まさに日本人に欠落しているものは、真実は何かを追究しようとする分析的思考・弁証法的思考であると言わざるを得ない。日本人が戦略的を不得意とする所以でもある。
ゆえに我々は、孫子の『辞の強くして進駆する者は、退くなり』<第九篇 行軍>の言を胸に当て、その辺を正確に判断しないと、結局は、我々自身の磨u来を誤ってしまうことになることを想起すべきである。吾人が孫子を学ぶ所以である。
それでは今回はこの辺で。
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古伝空手・琉球古武術は、孫子兵法もしくは脳力開発をリアルかつコンパクトに学ぶために最適の方法です。日本古来の武術は年齢のいかんを問わず始めることができ、しかも生涯追及できる真なる優れものです。
孫子を学ぶのになぜ古伝空手・琉球古武術なのか、と不思議に思われるかも知れません。だが、実は、極めて密接な関係にあります。例えば、彼のクラウゼヴィッツは、「マクロの現象たる戦争を、言わば個人の決闘的なミクロの戦いへ置き換えることのできる大局的観察能力・簡潔な思考方法こそが、用兵の核心をなすものである」と論じています。則ち、いわゆる剣術の大なるものが戦争であり、勝つための言わば道具たる剣術・戦争を用いる方法が兵法であるということです。
とりわけ、スポーツの場合は、まずルールがあり、それをジャッジする審判がいます。つまり、スポーツの本質は、娯楽・見世物(ショー)ですから、おのずから力比べのための条件を同じくし、その上で勝負を争うという形になります。つまりは力比べが主であり、詭道はあくまでも従となります。そうしなければ娯楽・見世物にならず興行が成り立たないからです。
これに対して、武術の場合は、ルールもなければ審判もいない、しかも二つとない自己の命を懸けての真剣勝負であり、ルールなき騙し合いというのがその本質であります。つまるところ、手段は選ばない、どんな手を使ってでも「勝つ」ことが第一義となります。おのずから相手と正面切っての力比べは禁じ手となり、必ず、まず詭道、則ち武略・計略・調略をもってすることが常道となります(まさにそのゆえに孫子が強調するがごとく情報収集が必須の課題となるのです)。
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