孫子兵法

孫子兵法

第二回 M・M 『やくにたつ兵法の名言名句』

〔1999/12/29〕

一般社団法人 孫子塾塾長・元ラジオ日本報道記者
佐野寿龍

 


☆ やくにたつ兵法の名言名句 ☆


『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、讎(あだ)は敵なり』

 …武田信玄…


◇ 解説 ◇

 この言は、『甲陽軍鑑』品第三十九に、「ある人が信玄公の御歌として言う」として紹介されているものです。したがって、本当に信玄の歌なのかかどうかは定かではありませんが、この言が信玄の軍事・政治哲学を端的に表現しているものであることは確かです。

 武田信玄は、大将(トップ・リーダー)として功名(成功)を得る資格の第一として「人材を見分ける能力」をあげています。
 そのための一つの手段として、たとえば「日ごろから領内の様子や家臣の状態などをよく観察していて心にとめ、それについて後日、素知らぬ顔をして部下に訊ねる」ということをやっていたそうです。
 それも通り一遍の返答では満足せず、くどいほどに問いただして、それに対する言葉のやり取りを通じて、その部下の人柄や才能、あるいは意欲(ヤル気)、物の考え方、心掛け・深慮遠謀の程度などを見極めていたのです。
 毛沢東の『実事求是』(じつじきゅうぜ・事実の中に真実を求める、の意)と同じく、極めて実証主義的なやり方と言えます。

 そのような場における、信玄の具体的な人物評価基準は次のようなものでした。

 

(1) まず心掛けを持たないものは向上心がない。武道(武者としての道)に無案内(その専門に関する心得がないこと)のものは、穿鑿(せんさく・根掘り葉掘り尋ね、細かいことまで知ろうとすること)し、追求しない。

(2) 無穿鑿(むせんさく)のものは必ず不当な発言をする。失言をするものは、必ず心おごりやすく、そうかと思えば消極的になる。のぼせたり、沈んだりするものは、首尾一貫しない。言行の首尾が一貫しないものは必ず恥をわきまえない。恥知らずのものは、何につけてもすべて役に立たぬものである。

 

 それでは信玄は、上記評価基準に合致した同じようなタイプの部下だけを好んだのかというとそうではありません。

 彼は、一方で、そのような評価基準に合わない(役に立たない)ものであっても、その性質にそって生かしてつかうことを心掛けていたのです。
 これが『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、讎(あだ)は敵なり』の真意と解されます。

 彼はそのことを『甘柿も渋柿も、ともに役立てよ(人はその性質にそって使うことが大事である、の意)』と表現し、『(自分は)決して人をつかうのではない。わざ(意欲)を使うのである。(その人の持ち味である)能力を殺すことがないように人をつかってこそ、心地がよい』といっています。

 さらに信玄は、部下達が働き易くなるためのシステム・動機づけのための条件づくりとして、次の三ヶ条をあげています。

 

1、(平時は)戦場では何が功績となり、何が功績とならないかの判断基準を明確にし、そのための思想教育を徹底する。

2、人物をよく見極め、それぞれに適した役を命ずること

3、(戦時は)功績のあるものには、その程度に応じて上・中・下をよく吟味して三段階に分けて功賞を与えること(これが不適切であれば、信玄が部下達から信頼されなくなるので、見方を変えれば、信玄に対する部下達の厳しい勤務評定とも言える)。

 
 人間の本性が端的に表れるのが戦場であるから、上記のことがうまくいっていないと、結果として、ゴマスリ・はったり・うそが通用する事となるので部下達の態度が悪化し、下位の手柄でもやりかた次第では上の手柄にできると考えちがいし、戦場での活動を控えるようになり、肝心の鉾先(ほこさき)が鈍ってしまう、と信玄は曰いたいのです。

 武田軍にこのようなシステムが確立していたからこそ、信玄はその戦場において手足の如く、軍を適切に指揮することができたのです。

 このような内部体制に加えて、さらにお得意の戦略面においては十分な勝算が出来上がっているのであるから、武田軍の実力が天下無敵と謳(うた)われていたのも宜(むべ)なるかなであります。

 つまり、武田信玄の軍には孫子の曰う『勢』があったのです。孫子はこのことを、『善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責(もと)めず。故に、能く人を択びて勢に任ず。勢に任ずる者は、その人を戦わしむるや、木石を転ずるが如し。』<第五篇勢>と曰うのです。

 冒頭に掲げた『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、讎(あだ)は敵なり』の句は、見方を変えれば、いかにして『勢』を演出するかのキーワードとも言えるものなのです。武田信玄がその軍旗に『風林火山』を標榜する所以(ゆえん)でもあります。

 

○ 活用の指針 ○

 思うに、武田信玄のまわりには「嘘つき、ごますり、有ること無いことを言いふらすもの、思慮分別のないもの、讒言し人を蹴落とそうとするもの」等々の、いわゆる程度の低い人物は、自然とよりつけなかったということなのでしょう。
 仮に近づけても、そのような人物は遠からず馬脚をあらわし、自らが墓穴を掘って成敗されるのが落ちであったと推測されます。

 逆に言えば、信玄は、いわゆるイエスマンやゴマスリ、はたまた腰巾着(こしぎんちゃく)や茶坊主の類を取り巻きや側近におき、お山の大将を気取って独り悦に入っている低レベルの愚人ではなかったということです。因みに、いわゆる不祥事を起こしマスコミを賑わす企業のトップはこの低レベルの愚人タイプが多いと言っても過言ではありません。

 ともあれ、このような勢い・パワーが武田軍全体に充満していたからこそ、たとえば他国の実情を探索すれば期せずして正確かつ客観的な情報が集まるのです。このことが作戦の立案に当たり、有利に働くことは言うまでもないでしょう。
 また、戦場においても信玄個人というよりも武田軍全体として、適確な情勢判断ができるシステムが自然に形成されていたと見るべきなのでしょう。

 もとより、それを統率し束ねていたのが信玄であることはいうまでもありません。

 つまり『勢』は、座して待っても、人に責(もと)めても得られるものではないのです。

 トップ、あるいはリーダーたるもの、まず自らが『勢』を演出するための条件づくりを行うことが第一の責務であると知るべきなのです。

 それを大前提として、その次にくるものが人材の適正配置なのです。『勢』の演出は、ただ人さえ配置すればそれでこと足れりとするほど単純ものではないのです。

 孫子はこのことを、『善く戦う者は、之を勢に求めて、人に責(もと)めず。』<第五篇 勢>と曰うのです。

 それでは今回はこの辺で。

 

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