孫子兵法

孫子兵法

第四回 孫子ホームページ講座(平成11年11月22日)

孫子と「兵法三十六計」シリーズ (その一)

第一計 瞞天過海(まんてんかかい)

孫子塾副塾長・元ラジオ日本報道記者
佐野寿龍

 


一、兵法三十六計について

(1)その故事来歴
 この書が発見されたのは、日中戦争の最中の昭和16年(1941年)、中国は陜西省ひん州の露天の古書店からでした。原書は手写本で、発見後、成都の興華印刷所で複製本が作られ、専門家の研究にゆだねられました。
 つまり、「三十六計」なる兵法書は、つい最近まで本家の中国でも知られていなかった、言わば「幻の書」であったわけです。この本が、いつの時代に、だれによって書かれたのかは、いまのところ明らかではありません。

(2)「三十六」の意味
「三十六」というのは、それによって数の多さを表しているものであり、中国では縁起のよい数字とされています。わが国にも、たとえば、「三十六歌仙」「東山三十六峯」などの言い方があります。
 ここでいう「三十六計」とは、易の原理にもとずいて、太陰(六爻のすべてが陰である純陰の卦)の基数六に六を乗じ、その数を借りて謀略・詭計の手口は無数にあること、しかもそれは周到厳密な計算にもとづいていることを表したものだとされています。
 また「三十六計」は、六計ずつで一部を形成しているとも言われています。すなわち、第一部は勝戦の計、第二部は敵戦の計、第三部は攻戦の計、第四部は混戦の計、第五部は併戦の計、第六部は敗戦の計です。
 この「三十六計」の名が最初に見えるのは、今から千五百年ほど前の歴史を書いた「南斉書(なんせいしょ)」という本です。そこには『檀公(だんこう)の三十六策(計)、走(に)ぐるをこれ上計となす』とあります。われわれがふだん何気なく使っている「三十六計、逃げるにしかず」という言葉の出典と言われております。


 檀公こと檀道済(だんどうさい)は、南朝宋(420〜479年)の武帝劉裕(りゅうゆう)の腹心で、開国の元勲である。三代目文帝の即位後、征南大将軍に任ぜられ、北魏(華北を統一し、漢民族の南朝と対立した鮮卑族の北朝)を攻めて三十回余りの戦闘に多くの勝利を収めた。のち、兵站線がのびきり糧秣が続かなくなったので、優勢な魏軍を前に帰還することになったが、その際、カムフラージュ(擬装)の手段を用いて相手の虚を誘い、それにつけこんで巧みに兵を退(ひ)き、軍をまっとうするという浴vれ技を演じている。
 まさに、第一計の「瞞天過海(まんてんかかい)」を地で行く策略である。
 逃げるのを上策として魏軍を避けた檀道済の戦法は、彼我双方の力がかけ浴vれているさいの退却戦における模範例であるとされ、その勇名は大いいふるったと伝えられている。


 このように、「三十六計」という言葉はずいぶんと昔から使われてきたようであるが、しかし、書物としてまとまったのはそれほど早くはなく、明代(1368〜1644年)の末期か清代(1616〜1912年)にかけてのことと推定されています。というのも清の秘密結社に関する記録に「三十六着(計)」の名称が記載されており、その三十六種類の計策と現存する「三十六計」とがほとんど同じあることが判っているからなのです。

(3)「三十六計」の具体的内容
 「三十六計」の各計の名称は、昔からの故事にもとづいてよく比喩として使われてきたいずれも有名な熟語(成語という)で作られています。つまり、三十六個の計というのは、三十六の詭道的な熟語のことであり、これを六部の計(勝戦・敵戦・攻戦・混戦・併戦・敗戦)に分けて配列し、まず計の名を出し、ついで解題(内容の大意・解説)を述べ、さらに按語(文章について自分の調べたことをあとに書き添える後)を付加して策略の兵書に組み立てたものです。

(4)兵法「三十六計」の思想(兵法の真の価値と特質とは)
 兵法とは、言わば応用学であり用途発見学でありますから、兵法の知識は、他の学問のように、それ自身で完結するのではなく、絶えず実戦(あるいは実践・行動・成果)によって検証されなければならないところにその特質があります。
 換言すれば、兵法(作戦・用兵)は原則(理論)自体に秘密があるわけではないのです。なぜなら、理論ははかりごとの一般法則を説明したものにすぎず、あくまでもこれを応用してこそ具体的な実際問題を解決できるからであります。
 このゆえに、兵法三十六計の編者は、「空理空論を排して、実際的計算を重視せよ」と強く主秩vするとともに、もし、策略のための策略を知るのみで、策略の制定が周到厳密な計算にもとづくということを知らなければ、そうした策略は、運用したところでたいてい成功しない、と警告しています。また、機密の計謀・臨機応変の手段は、本来、情理(人情と道理にもとづく対処の仕方)にかなったものであるとして、漫然としたでたらめな運用を厳に戒めています。

 この点を補足して、中国・吉林人民出版社版「三十六計」の訳註者、無谷(ぶこく)氏は次のように述べています。


 相手の策略は、変幻自在で、意外な詐術、図りがたい陰謀にみちており、たやすくはつかめない。そこでこの三十六の対策を実施する前に、まず状況を察する必要がある。状況が明らかでないときは、「疑いて実を叩き、察してのちに動く」ことである。また「微(かす)かな隙は必ず乗ぜられる」から放置してはならない。
 重要なことは、「心を攻め気を奪って」「その勢いを消す」ことである。そのためには、情理に合致した人間心理の盲点を適確につかみ、その弱みを衝くことである。冒険的な策略に陥るの愚は、厳に避けなければならない。
 そして、「敵の勢いが盛んで、こちらは太刀打ちできない」劣勢な条件のもとでは、断固として「走(に)ぐるを上となす」策を採り、「勝利の転機」をもたらす迂直の計を構想しなければならない。


(5)孫子兵法との関係
 孫子は「兵(戦争)は国の大事」であるから、短期決戦・限定作戦によってこれをすみやかに終結させ、戦争を手段とする本来の政治目的を早期に達成することがなによりも重要であると説いています。
 そして、この戦争の勝敗を決する二つの要素こそ、五事七計(正)と詭道(奇)であるとし、とりわけ詭道は、「勝ち易きに勝つ」ことを目的とする兵法の本質であり、この詭道を以て戦争行為、特にその中心をなす軍事戦略のすべてを領導する基本思想とせねばならない、としています。
 孫子の曰う『兵とは、詭道なり。』<第一篇 計>とは、このことを意味しています。
 一方、「三十六計」の場合、記述した六部の計(勝戦・敵戦・攻戦・混戦・併戦・敗戦)はまた、優勢に処する計として勝戦・攻戦・併戦の三部と、劣勢に処する計として敵戦・混戦・敗戦の三部とに分けられます。
 この二種類の計は、もとより「勝ち易きに勝つ」ことを目的とするものであり、もしその運用が適当であるならば、寡をもって衆を撃ち、劣勢を優勢に転ずることができるのです。この意味においては、「三十六計」こそ、まさしく孫子の「詭道」を計略化・集大成したものであると言うことができます。

 孫子の兵法は、「事物の変化」を重視するものであり、その背景には、対立物が相互に転化し、矛盾によって発展するという弁証法的な考え方が強く流れています。この「事物の変化」を根底においた発想は、思想的には「老子」にまでさかのぼることができますが、その源流が「易経」における弁証法的認識であることは言うまでもありません。

「三十六計」の特徴の一つとして、各計の解題が、半ば「易経」のことばで構成されてるという点が挙げられます。つまり、孫子と同じく「三十六計」もまた、易の原理を軍事に応用する考え方に立つものであります。
 このことはまた、孫子も三十六計も単なる戦争指導の技術書ではなく、その底流にあるものは、体系だった思想であり、人間心理への鋭い洞察であることを物語っているものであります。

 

二、第一部 勝戦の計・第一計 瞞天過海(まんてんかかい)

(1)計略名の意味
 勝戦の計とは、十分に勝利の条件を備えた戦いのことをいいます。孫子はこのことを『勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む。』<第四篇 形>(勝利を収める軍というものは、戦いを挑む前に勝利を収めているものであり、敗北の運命にある軍は、勝利の目算もなく戦うものである、の意)と曰っています。
 第一計の計名にいう瞞天過海(まんてんかかい)とは、「天を瞞(あざむ)いて海を過(わた)る」と読み、天とは、ここでは、皇帝のことをいいます。この故事の原意は、皇帝をだまして無事に海を渡らせるという意味です。
 転じて、見慣れていると少しも奇妙に思わない錯覚を巧みに利用して、きわめて公然たるもののなかに秘計を隠し、特定の任務を達成することをいいます。つまり、人間心理の盲点を衝けということです。

(2)戦例
 中国・戦国時代、趙の武将李牧(りぼく)は、今の山西省代県(だいけん)西北の雁門(がんもん)で、遊牧民の匈奴に対する防衛の任についていました。
 李牧には、潤沢な軍資金があったため、毎日兵士たちに、肉をふるまって優遇し、乗馬と弓の訓練に精を出すとともに、匈奴の動静と情報を逐一報告する国境地帯周辺地域の協力者をたくさん用い、敵の奇襲に備えていました。そして、匈奴が侵入してくるごとに、予(かね)ての手はず通り、狼煙(のろし)をあげさせて素早くその情報をキャッチし、いつも城内に立てこもって、戦おうとはしませんでした。
 こんな調子が数年続きましたが、「無事これ名馬」というべきか、もとより人畜への被害はありませんでした。しかし、匈奴は、城を出て戦おうとしない李牧を臆病者と軽蔑し、李牧の部下達すらも自分たちの司令官をそのように評していました。
 匈奴や趙の兵士と同じく、李牧の深慮遠謀を理解できなかった趙王は、ついに業を煮やして李牧の職を解き、別な人物を司令官として送り込みました。
それから一年、後任の司令官は匈奴が侵入してくるたびに戦いましたが、敗北することしばしばであり、人畜の被害も大きく、ついに国境地帯では牧畜も農耕もできなくなったのです。
 こと、ここに至り、ようやく李牧の実力を認識した趙王は、再び李牧が国境守備の任につくよう要請したのです。しかし、李牧は門を閉ざして出ようとはせず、仮病をつかって固辞しました。それでも再三の要請があったため、ついに李牧も折れ、趙王に次のような条件を認めさせました。
「どうしても私にということであれば、以前の通りにやらせていただきます。さもなければ、お受けできません」

 李牧は任地におもむくと、再び、前と同じ方針をとりました。その後数年間というもの、前と同じように匈奴はなにも手に入れられませんでしたが、相変わらず李牧を臆病者と見くびっていました。
 一方、国境守備の趙の兵士たちは、毎日優遇されながらも戦いはなく、訓練に明け暮れるのみの生活であったため、次第に、戦わないという李牧の方針に反発し、誰もが匈奴と早く一戦を交えたい願うようになりました。このような戦機を見て取り、ついに李牧は選りすぐった戦車千三百台、馬一万三千頭、勇敢な兵士五万人、強弓の射手十万人をそろえ、これらを率いて演習を行いました。
 そうしたある日、李牧は国境の人々に命じて、原野が人間と家畜で溢れるほどの大々的に放牧を行わせました。これを見て、匈奴が少し侵入してきました。これを初めて迎え撃った李牧は、負けたふりをして、数千人を置き去りにしたまま退却したのです。
 これを聞きつけた匈奴の首領が、李牧と戦うのはこのときとばかり大軍を率いて侵入してきました。李牧は奇正の変を巧みに用い、鶴翼の陣形を展開して側面からこれを攻撃し、匈奴に大敗北をあたえました。匈奴の首領は、騎兵十余万人を殺され、命からがら敗走したのです。以後十年あまりの間というもの、匈奴は趙の国境地帯には近づこうともしなかったということです。

(3)解説
 第一計の解題(内容の大意)は
「備え周なれば則ち意怠る。常に見れば則ち疑わず。陰は陽の内に在りて、陽の対に在らず。太(はなは)だ陽なるは、太(はなは)だ陰なり」です。
 この意味は「準備が万全であると思えば、精神面でとかく敵を軽視するという傾向を助長しやすい。ふだんから見慣れているものには、往々にして疑いを抱かぬものなのだ。秘策は公然としているものの中に隠れているのであり、秘策と公然とは決して対立するものではない。誰にもそれとわかるようなものの中にしばしば重大な秘策が隠されている」であります。
 つまり、第一計の「瞞天過海」とは、人間心理の盲点を利用し、相手の油断をみすまして、一気に叩くということです。
 孫子はこれを『能にして之に不能を示し』<第一篇 計>(実力をもっていても、もっていないように見せかける。積極的に出ようとするときは、消極的であるかのようによそおうべきである、の意)と曰っています。

 とは言え、理論はあくまでもはかりごとの一般法則を説明したものにすぎません。その原則の普遍と特殊を知り、その利用にあたっては、みずから考えるものでなければならないのです。その前提の上にたち、実際の状勢・問題に直面して、それをいかに応用するかの「独創性」、そしてその実行を担保する「決断力」と「実行力」にこそ兵法の真の価値と特質があると知るべきでしょう。

 その兵法の本質的な思考方法を学べるところに孫子兵法の存在意義があります。孫子が兵書中の兵書と称される所以でもあります。

 

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