孫子兵法

孫子兵法

【「孫子兵法」伝承の歴史】

 孫武とその書十三篇について、まとまった記録としては司馬遷の『史記(前97年頃に成る)』孫子伝に『孫子、武は斉の人なり。兵法十三篇を以て呉王闔閭(こうりょ)に見(まみ)ゆ。闔閭曰く、子の十三篇は、吾ことごとく之れを観(み)たり』とあるのが最も古く、かつ、「孫子」十三篇の存在を裏づけているものでもある。 

 孫武(孔子とほぼ同時代の人)は斉(今の山東省)の生まれで、春秋時代末期、揚子江の下流、今の蘇州を中心に栄えた呉国の王闔閭(在位、前514〜496年)に将軍として仕えたと記されている。

 また、『史記』によれば孫武から隔たること約160年後の戦国時代中期、戦国七雄の一つで今の山東省に栄えた強国、斉の威王(在位、前356〜320年)に軍師として仕えた孫ぴん(“ひん”の字は月偏に賓のつくり)(孟子とほぼ同時代の人)は孫武の未裔であると伝えている。

 そして、「史記」の成立を去ること約二百年後の一世紀末に後漢の歴史家班固により著された前漢の通史「漢書」に、図書目録「漢書」芸文志があり、これには「呉孫子(孫武のこと)兵法八十二篇」、「斉孫子(孫ぴんのこと)兵法八十九篇」とある。

 もっとも、これは書名だけで残念ながら実物は伝わっておらず、身元のはっきりしている「孫子」十三篇はこれからさらに時代を下ること約百年後のことになる。

 即ち、「三国志」の主役の一人として有名な魏の曹操(魏の武帝、155〜220年)が古くから伝えられた「孫子兵法」を収集・整理し、それに略解(簡単な解釈)をつけ加えた「魏武註孫子」十三篇がそれである。魏武帝の「孫子序」に「吾れ兵書・戦策を観ること多きも、孫武の著す所は深し。孫子は斉の人なり。名は武。呉王闔閭の為に兵法十三篇を作り、之を婦人に試む」とある。

 これにより、曹操は「漢書」芸文志にいう孫子八十二篇にではなく、最初から孫子十三篇に註したと推察されるのであるが、その八十二篇が湮滅しているため「魏武註孫子」十三篇が、果たして闔閭の見た孫子の十三篇であるのか、はたまた、八十二篇との関係はいかに解釈すべきか、などが古来論議の的となってきた。

 加えて、曹操が「孫子兵法」を註釈したとき、同じく孫子と敬称されるもう一人の名だたる兵法家、孫ぴんについては触れておらず、しかも、その書名も七世紀はじめに編修された隋の正史「隋書」の図書目録からは完全に消えていたことから、「孫子」十三篇の作者をめぐって「孫武自著説」、「後人偽作説」、「孫ぴん著作説」など様々な諸説が立てられ、二人の孫子をめぐる後世の混乱がはじまった。

 ともあれ、現行の伝世本たる「孫子」十三篇は、既述のごとく「魏武註孫子」を以て嚆矢とするものであるが、その後の長い歳月の間における写し違いや研究者の解釈の相違などによって現在は「宋刊十一家註孫子」に代表されるものと、「宋刊武経七書・孫子」に代表されるもののニつの系統に大別される。


 【「竹簡孫子兵法」、「竹簡孫ぴん兵法」の出現】

 一九七二年四月十日、中国山東省臨沂県銀雀山で二つの前漢(西漢)の墓が発見され、一号墓から「孫子の兵法」、「孫ぴんの兵法」、「六韜」、「尉綾子」、「管子」など先秦諸子といわれる書物の簡冊(昔、文字を書くために使った竹の札)と竹簡の残片が大量に出土した。

 この一号墓は漢の武帝初年ごろ(前140〜118年)の造営と推定されるが、随葬されていた「孫子の兵法」、「孫ぴんの兵法」は、竹簡上の書体や、同時に出土した他の竹簡類との関係からみて、最も新しくて漢高祖(在位、前202〜195年)の末年、古ければ秦代(前221〜206年)、あるいはもっと早い時期に写し取ったものと推定されている。

 「竹簡孫子兵法」の本文十三篇の内、整理・解読されたものは「現行孫子」十三篇の三分の一程度であるが、その範囲で比較してみると両者とも、篇名はもとより文の構造と語句など大意の部分には基本的な大差はなくほぼ同じ内容である。ただし、小異の部分は細かな字句の異同が到るところに見られ、そのうち幾つかは大変重要な違いがある。ここではこの「竹簡孫子兵法」を「竹簡孫子」と呼ぶ。

 一方、「竹簡孫ぴん兵法」の内、これまでに整理・解読されたものは一万一千字で上下二篇に大別されている。「孫ぴん兵法」は、古来 その書名だけは知られていたものの、実物が湮滅していたため、「幻の兵書」とされていたが、ここに伝承通り、従来伝えられてきた「孫子」十三篇とは全く別の「孫ぴん兵法」の存在が確認されたのである。ここではこの「竹簡孫ぴん兵法」を「竹簡孫ぴん」と呼ぶ。

 以上見てきたように、曹操を遡ること約四百年前、はたまた、孫武を下ること約三百年後の紀元前三世紀末頃に作成されたものと推定される「竹簡孫子」が「現行孫子」の源流であることには全く疑問の余地がなく、また、「竹簡孫ぴん」の出現は、在来の「二人の孫子」にまつわる二千年来の謎を解明し、「孫子」十三篇は孫武の自著であることがもはや確定的となったのである。

 さらに、曹操の見たと思われる「漢書」芸文志にいう「呉孫子兵法」八十二篇は、孫武を始祖として発祥し春秋末期から戦国期にかけて活躍していたと思われる兵家の集団、言わば孫子学派とも言うべきものの存在を裏づけるものである。

 彼らは、その経典たる「孫子」十三篇を奉じ、それぞれの思想を附加しつつその解釈を伝承していたものと思われるが、秦の統一による戦国時代の終息、秦の滅亡、楚漢の興亡などの社会変動を背景にいつごろか孫子学派の組織およびその研究・伝承活動も歴史のかなたへ消え去り、その証として残されたものが「呉孫子兵法」八十二篇、あるいは「斉孫子兵法」八十九篇であったと推察される。

 つまり曹操の見た「呉孫子兵法」八十二篇とは、言わば内篇(本書)として『孫武自身の思想を表している十三篇』と、言わば外篇(別本)として『孫子学派の後学たちが、孫子思想の流れを汲みつつ、それぞれの思想を付加して解釈し、時代を下るに従って次第に増加していったその他の解説や異本、事蹟等を集めた六十九篇』とで構成されていたものである。

 この内、曹操が註釈を加えた孫子兵法とは、本書たる前者の十三篇を指すものであることは言うまでもない。(曹操は「孫子序」の末尾で「訓説・況文煩富にして、世に行わるる者は、其の旨要を失えり。故に撰びて略解を為る」と)。
 なお、「その他の六十九篇」については、その後価値の低いものとして顧みる者もなく、「魏武註孫子」以降のいつごろからか自然に亡佚していったものと推察される。

 また、曹操が収集したと言われる、古くから伝えられた「孫子兵法」とは、必ずしも「漢書」芸文志にいう「孫子」十三篇にのみに限られるものではなく、曹操が中原を支配した後その有利な条件を利用して、当時、世に流布していた所の多くの「孫子」十三篇を集めこれを比較したであろうことは想像するに難くないが、曹操はあくまでもそれらの中から定評ある善本を選んで、それに文字通りの略解をつけ加えたにすぎないことも疑問の余地なく実証されたのである。

 とは言え、曹操による整理の網の中に「竹簡孫子」と同一の写本が入っていたのかと言うと、必ずしもそうとは言い切れずむしろ厳密には含まれていなかったと解するのが適当である。
 なぜならば、「竹簡孫子」は古ければ戦国末期には作成されていたものであり、かつそれが随葬されたと推定される漢の武帝初年ごろと、「魏武註孫子」が成立した後漢末との間には約四百年の年代差がある上に、写本の一方は世上に流布し、他方は地下深く眠っていたからである。

 つまり、世上に流布していた方は、大意はたとえ変っていないとしても、その後、約四百年の間、漢代の人々による度重なる改竄を経て、文の構造と語句は殆ど元来有していた風格を失ってしまい、最終的には曹操が見た善本たる「孫子」十三篇の形に定着していったものと推察されるのである。

 即ち、曹操が「撰びて略解を為る」とした十三篇は、「竹簡孫子」を源流とする子孫ではあろうが、「竹簡孫子」そのものではなかったと解されるのであり、このことは「魏武註孫子」を原本とする「十一家註本」の六〇九八字と、解読された範囲の「竹簡孫子」二六四一字とを比較すると約400箇所程の相違点があり、かつその中の幾つかは大変重要な違いとなっていることからも明らかである。

 いずれにせよ、「竹簡孫子」は後世の伝世本よりいっそう原典に近いことを物語っているので、その信頼性は極めて高く、また、両者の対照研究を通じて容易に発見できることは、「竹簡孫子」が後世の伝世本と比較して、多くの部分で、いっそう情理(人情と道理に基づく対処の仕方)に適っていると言うことであり、このゆえに「竹簡孫子」研究の重要な意義があるのである。

 「孫子兵法(武岡淳彦監修・佐野寿龍校注 ありあけ出版)」は、この「竹簡孫子」と、魏武註孫子を原本とする「十一家註本」、「武経本」の三種を底本として採用し、「孫子」十三篇が元来有していたであろう生々とした普遍的な理論体系を現代に蘇らせるべく、校勘したものである。

 

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